終末論シリーズを私なりに解釈してみました - 2 - 「僕らの16bit戦争」

前回に引き続き、終末論シリーズの解釈です。
ところで、しゅうまつがやってくるのPVでは最後に少女が書いた手紙を拾う人がいますよね。そう、「僕らの16bit戦争」の「僕ら」は前作の少女の意志を引き継いだのです。

僕らの16bit戦争

D
戦争が始まった
人々は争い合う。古い価値観は崩壊しつつある
でも本当に新しい価値観を受け入れるべきなのだろうか?
※コンピュータの世界では8bit、16bit、32bit、64bit、と日々進化していきます。このうたのタイトルは時代が強制的に移り変わる様子を8bit→16bit→32bitとして示して、それに反旗を翻し古き良きモノ(価値観)を守ろうとする「僕ら」にスポットを当てているものとします

どうしてこんな事になったんだ?
誰も教えちゃくれないんだ。
何がセイギだ 何がギセイだ
“秩序”は僕を裏切った

戦争が始まった。
その経緯を説明するものはどこにも居なかった。ただ、お互いがお互いの正義を信じて殺し合う世界だった。そして死んだものは正義の為の犠牲だと教えられた。
そこに秩序は無かった。

はじめは微(ちい)さな孔(あな)だったんだ
居心地だけは良かったのにな。
プロパガンダと呑めや詠えや、
孔(あな)はしだいに誇大化した

最初は誰かが誰かを敵だと言うだけの事でしかなかった。
敵を作り出すことであたかも仲間が出来たような感覚になったのだろう。居心地はよかったのだろう。人々は誰かが唱えた理想を信じて疑わなかった。それは次第に取り返しの付かない穴となって、広がっていった。

相対 と 絶対 の 飽和水蒸気圧
都合 が善過ぎた大人達の 都合 に
ひとつ また ひとつ と 未来 は 過去 を無視した

戦争とは正義と正義のぶつかり合いだった。
お互いが自分を正義だと信じていた。子供たちは、ただただ、大人達に従うだけだった。それが今まで繰り返されてきた数多くの過ちと同じでも、誰もがその事を無視した。

65535 の テトラと
ゼロ次元 の 理想 抱えていてもなお
ひとつ またひとつとエデンは姿を消した

世界には限りがある。
そして理想の中には限りがない。
それを知りながらも人々は自らの世界…未来を壊していった。

ぼくらの16bit戦争(シックスティーン・ビット・ウォーズ)。
イデアの波に蝕(の)まれるな
残された空間で僕は
うかつに肘さえつけやしない

ただ見えるものだけを信じるな。
僕らに残された場所は少なく、そして休んでいる時間も無い。

ぼくらの16bit戦争(シックスティーン・ビット・ウォーズ)。
アルトとエゴが交差する
XYしか愛せない僕は
Z(なに)を信じて生きれば善い?

正義か悪か?
この世界にはそれしかないのか?
正義と悪…それだけしかない世界で、僕らはもう一つの生き方を信じて生きていく事が出来るだろうか?

ドット包囲網をかいくぐり
レジスタンスらを一斉掃射。
無言圧力、数の暴力
自由は既に亡くなった

だがそんな考えを持つ事も許されなかった。
俺達は打ちのめされた。
そこには無言の圧力と数の暴力があった。
そして自由は既に無くなったのだ。
そう、俺達も大人達の戦争に参加しなければならない。

ハガネ に撃ち込めよ と 鴻鵠(こうこく)の警笛
肩越しに響く 矩形波(くけいは) なる 断末
アルカディアの鐘 が なる 日 は来るのだろうか?

狙いを定めるライフルの照準には敵の戦車が。
肩越しに響く発射音。
待ち望む世界はやってくるのだろうか?

ぼくらの16bit戦争(シックスティーン・ビット・ウォーズ)。
イデアの波に(の)蝕まれるな
残された空間で僕は
今日もぐっすり眠れやしない

ただ見えるものだけを信じるな。
俺達は多くのものを傷つけてきた。
そして今日も眠れない。

ぼくらの16bit戦争(シックスティーン・ビット・ウォーズ)。
アルトとエゴが交差する
リットダウン ビットレートの積で
僕は“秩序”を裏切らない

正義と悪が存在する世界。
世界の誰もが唯一無二の思想だと信じるものがあったとしても、例えそれがどんなに聞こえが良く、多くの人々が信じていたとしても、自分はそれに従わない。そう、自分だけは秩序を裏切らない。

ぼくらの16bit戦争(シックスティーン・ビット・ウォーズ)。
世界を敵に回しても
表現し得ないものが絆(ほだ)される
現実(こと)が 何より許せなかった
ぼくらの16bit戦争(シックスティーン・ビット・ウォーズ)。

人々の心には思想や神があり、なによりそれらが優先された。僕らはそんな現実がなにより許せなかった。
例えその世界を敵に回してでも。
そしていよいよ、世界は終末へと近づいていく。

次回は「ワンダーラスト」です