176 深淵を覗く者 1

護衛してくれと言っておいて先頭を歩いているのは他ならぬスティーブだった。前日に俺と二人で研究所跡地に言った時に同じく、彼は自身の危険を顧みない性格のようだ。
ただ既にその性格が災いして1回死んでいる…。
…はずなのだけれど、何故かスティーブは今日も生きていて、俺達と共にいる。それは一度死んで生き返ったのか、それとも別のスティーブが送り込まれて俺達の前にいるのかはわからない。
目的は前日のスティーブと同じだが、記憶が同期されていないからおそらくは後者のほうなのだろう。だったらアンドロイドだという可能性はあるのだけれど、昨日、俺はスティーブが強酸性の溶液で身体を吹き飛ばされて内部が露出するのを見てるからな…アンドロイドならアンドロイドらしく、体内を構成するものが人間と異なるはずなんだ。
…。
まぁ、グロい話は置いといて。
この『ガラガラ』という音。さっきから何がそんなに激しい音を立てているのかと気になっていたけれど、スティーブが重たいスーツケースを運ぶのに疲れてなのか、昨日と違って荷物を運ぶあの手押し車を持っているのだ。っていうか、昨日俺が持って帰る時に使ったものだ。
ホテルについたら適当にその辺りに放り投げておいたんだ。それをスティーブが持っている…偶然なのか?
ティーブはそんな俺の心を他所にして、
「中国という国は力がある者が正義になれる国なんだ。君達にこの意味がわかるかい?」と話をし始める。
「『力』をどういう意味で捉えてるの?」
「様々な意味さ。金、美貌、カリスマ…そして暴力。自分がしたいことが力さえあればすることが出来る。例えば赤子を切り刻んで中華スープの中にツッコんで薬味を入れて食べることなんてできるかい?我々先進国に住む者達が、そんな野蛮なことはできない。どんなに金があっても、美貌があっても、人々から信頼されていても、暴力で支配したとしても、倫理的に反することは出来ないのだよ」
赤ちゃんが料理でてきたのを思い出した。
あれ、ちょっとだけスープを飲んでしまったんだよな…。
「これから向かうところもそういうところ、なんでしょ?」
「…ん?さっきから気になってはいたんだが、何故、キミカ君、キミは僕が行こうとしているところを知っている素振りを見せるんだい?」
「マルデ、昨日ソコニ行ッテイタ様デスネ…」
「なんとなくだよ、なんとなく。ほら、初めて行く場所でも昔どこかで行ったことがあるような…って思うことがあるでしょ?デジャヴって奴だよ。記憶の断片を脳が本物の記憶と勘違いするんだよ」
俺は誤魔化した。
「そう、これから向かうことろはキミカ君が言うとおりの場所だよ。ドロイドバスターを生成する実験施設がある場所なんだ」
と、ニンマリ笑って言うスティーブ。
そこまで話してようやくコーネリアの視線が変わった。
鋭い眼光がスティーブを睨んでいる。
「中国では金さえあればなんだってできる。力さえあればなんでもだ。まさに古き良き『発展途上国』の時代だ。それに比べて先進国はなんだ?法に秩序…絵に描いたような幸せを『演じ』なければ人間として否定される。日本のアニメでも見ようものならロリコン扱いだ。部屋で服を脱げば窓から覗いたババアが警察に通報する、これが健全な『先進国』の世界なんだよ。反吐がでる」
「Yeah…That’ fuck」
コーネリアがそう言いながら深く頷く。
「でもここではなんだってできる。生きている人間を連れ去ってここで殺してドロイドバスターを生成することだってできるんだ。誰もそれを咎める者はいない。まるでジャングルだよ。そういうジャングルのような場所というのは、新しいものが常に産み出されるんじゃないか?得体のしれない何かが暗闇で蠢いているような気がしないかい?」
「まぁ、そういうイメージは強いな」
「そう!僕は政治の話も面倒くさかったんだよ。中国に来た理由はこれさ。じつに素晴らしいじゃないか。全てを記録しておきたくなる。大航海時代にインドに船を向ける時の商人になった気分だ。ここにあるものを持ち帰れば富と名声を手に入れることができるんだよ!!」
「そういうのは危険を排除してから言う言葉だね」
「危険?それは君とコーネリア君がいるから大丈夫だ」
「あたしとコーネリアは『敵』だって奴が明確に襲ってきて、狙われてるってシチュエーションになってから対抗できるんだよ。例えばスティーブがちょっとクソしたくなってトイレに入ったら便器にヒビが入ってて、ケツがズッポリめり込んでそのまま死んだとしても助けることは出来ないんだよ。便器は敵じゃないし、まずクソしているところに助けに行くのはレディーにとっては酷い話だからね」
「それぐらいなら自分でなんとかするよ。君達は僕に出来ないことをしてくれればいい」
「いやだから…」
あんたは昨日、自分勝手に装置を触ってて、誰かが仕掛けたトラップに引っかかって死んだんでしょうが…。
と言いたかったが喉の奥でぐっとこらえた。
どこへ行くのかは何となくわかるものの、昨日とは場所が異なる事を周囲の雰囲気で察していた。さすがに俺も昨日行ったルートとは周りの景色が違うなんてデジャヴでもなんでもなく、記憶と照らし合わせたらわかる。煩雑な中華街の奥底でも。
昨日とは異なる場所にもドロイドバスター生成施設があるのか?そんなコンビニみたいにどこにでもヒョイヒョイ作れるものじゃないだろうに…どうなってるんだ?と、俺は正確な位置を把握するためにもaiPhoneのCoogleMapで現在位置を表示させようとする…が、意外にもここは圏外の表示になっている。
クソッ…まさかの世界のンテテ社で圏外になる場所があるとは、中国恐るべしだ。嫌でしょうがないがコーネリアに聞いてみるか。
「コーネリア、現在位置は見える?」
「Oh…マサカノ世界ノ『ンテテ社』デ圏外ニナル場所ガアルトハ」
こォ…んのやろうゥ…。
グレート・バリア・リーフでも圏外にならなかったんだから、中国の電波事情は最悪らしいってことだよ。コーネリアの軍事用ケータイなら衛星から電波受信でマップデータも最新のが見れるでしょ?」
「Yeah」
取り出したケータイは重苦しい合金色で包み込まれて銃弾すら通さないガードが張り巡らされている。今どきこんな無骨なデザインのものを支給されてるだなんて軍隊も大変だな。こんなのは絶対にスタバでは使えない、ギャグとして使う以外には。
「圏外デース!」
「マジで?」
なんなんだ?
あんまりにも整備が行き届かなさ過ぎて圏外になってるのか、意図的にジャミングを行っているから圏外になっているのか…中国だとすれば前者か。何しろ中国で爆発しないものは爆弾ぐらいだっていうジョークなのか事実なのかわからない話が伝承されている国だからな。
ネット時代の一般庶民である俺やコーネリアはケータイの電波が圏外になるだけで不安になってくる。2chやらTwitterやらに繋がらないから今、自分が何かをしても全部が無意味に見えてきたりさえする。「○○なう」とかやりたかったのに…くっそぉ、写真だけ撮ってから後で時間差「○○なう」とかやるか。
そんな風に2名が慌てているなかでも、スティーブだけは意気揚々と手押し車に重たそうなスーツケースを乗っけて人通りの少ないほうへ、ビルの暗部のほうへと進んでいった。
そして、小一時間掛けてから昨日とは明らかに違う場所の、どこかの廃ビルの上層部へと辿り着いた。思い出すのは重慶旧市街でのあの廃ビルのソレ、機材搬入用の巨大なエレベーター・シャフトだ。構造がほぼ同一。あぁ、そうだ、必要な機材が同じなんだから搬入口まで同じなのはわかる。ってことはビジネス用途で作られたかのような外観を装って、このビルは最初からドロイドバスター生成の実験施設になることを想定され作られたってことなのか?CoogleMapがあれば建物が何年に建てられたかもわかるのに、肝心な時に使えなくなるな…。