139 白子のコミケ 5

俺とマコトはコミケ待機行列の前にいた。
…つもりだったのだが、ここは別の行列のようなのだ。そう、行列の遥か先には仮設トイレが並べておいてある…つまり、これはトイレ行列ということか。
トイレに行列かよォ…。
田舎育ちの俺にはトイレに並んで入るとかありえなかった。
どこのトイレも十分な数が用意されてて、人よりも圧倒的にトイレの数が多い施設だってある。まさか、東京という世界に名高い大都市のど真ん中の『コミケ会場』という場所で、不衛生で旧時代的な『仮設トイレ』ごときものにこれだけの行列が出来るとは…東京民は一体どこへ向かおうとしているのか。
ん?
なんか臭うな…。やっぱ仮設トイレだからかな?
「キミカちゃん、あの人、なんだかズボンの当たりが…」
「え…?」
トイレの列の10人目ぐらいの人が立ったまま、下を向いて不自然に固まっている。そのズボンの色はどう考えても漏らしたような変色の仕方だ。そして周囲の人間はそれに気づいたのだろう、一斉に離れている。トイレ列はその呆然と立ち尽くすお漏らし男を迂回しながら再形成された。
「ま、マジで漏らしたの?マジ…で…」
「いい大人なのに、漏らしてしまうなんて…トイレ環境が悪すぎるんだよ」
マコトは憤りを隠せない様子だ。
俺は漏らした男に近づき、本当に漏れてるのかを確認していく。どうやら小便だけじゃなくてウンコも漏らしているようだ。『ウンコ』というよりも『ウンチ』と言うべきほどにドロドロの下痢状の液体が股間から足の付根までを濡らして異臭を漂わせている。その男はふるふると震えて、これまた人前であるのに泣いているのだ。これだけ大勢の前でウンチを漏らして泣く、それはコミケというなの戦場の厳しさを表すのに十分過ぎるほどのエピソードに違いなかった。
しかしそれにしても、俺が思ったほど顔はそれほどヲタクっぽくない男である。どっちかっていうと普通にリア充な感じがする。いや、顔でウンコ漏らすとか漏らさないとか判別出来るってわけじゃないけどね、コミケってそもそもこんな奴がくるもんなのかなぁ、って思って。
「あっちのほうが本来のコミケ列なのかな」
とりあえずトイレ列は置いといて、俺とマコトは本来の列のほうへと歩いて行った。すると、トイレ前でクソを垂らした男を嘲笑している男達がいる。
この寒いのに半袖で頭には鉢巻をして大きなリュックを背負っている。リュックは空っぽな風にも見えるから、これから大量のエロ本を購入して戦利品として持ち帰る算段らしい。その男達は、
「フッ…馬鹿な奴だ」
とお漏らし君を見て笑っている。
気になるので俺はそう言った彼に近づき聞いてみる。
「何が『馬鹿な奴』なの?トイレに並んでいる人達?」
「ん?うん。彼等はコミケをナメてるね」
「!!」
コミケに着て小便だのウンコだのするなんてありえない。トイレが混雑するなんて何百年も前からの伝統なんだから…。あれはコミケに来たことがない人だな。だからコミケをナメてるって俺は言ってる」
「じゃあ、家でオシッコとウンチを済ませてきて、コミケでは水分を取らないようにしてるとか…」
「基本はそうだね。コミケが始まってからなら会場内のトイレも使えるし、小便だけに限ってはそれほど気にする必要はない。問題は便意のほうだね。まぁ、これも基本は我慢するんだけど」
「我慢しきれなくなったらトイレに行くしかないじゃん?」
「君、コスプレ滅茶苦茶似合ってるのに、コミケは新参者なのかい?基本中の基本だよ。コミケではトイレはないものと思え、オムツは必須」
「」
俺は目が点になった。
「どしたのキミカちゃん?」
「この人、大人なのにオムツしてるって…」
「え?!」
ドロイドバスターのコスプレをした女の子2名がヲタクを前にして「オムツ」だとか言ってるとさすがにさっきまでのドヤ顔の男は顔を赤らめてメガネの位置を直しプルプルと震えてたりしている。
でも、凄いな。
トイレに並んでない人って殆どがオムツしてるのか。
こんなひょうひょうとした一般人ズラしておきながら実はオムツしてるとか、いやはや…恐るべし東京民…などと思いながら男も女もオムツしているのだと想像しながらジロジロとトイレ行列に並んでいない連中を見てまわる俺。
と、その時、俺の電脳通信に着信。
どうやらお呼びがかかったようだ。
「マコト。そろそろいかなきゃ」
「あ、うん」
グラビティコントロールを発動させ、足が地面から離れようとするその時、俺達に向かって「ちょっとまってくださぃぃぃ」と発する声が聞こえた。
見ればベレー帽を被った女が俺達にカメラを向けて、何か期待するかのようにカメラの奥からチラチラと覗いていた。
「なんだよ?任務中だよ」
「お、覚えていますか?!えるなです!久万田えるな!」
「いや、覚えてないよ。誰?」
「ドロイドバスター専門の記者です!あなた達の写真を雑誌に載せたり写真集として出したり記事書いたりしてます!」
そういえば前にどこかで会ったような…気がしなくもない。
となりでマコトが言う。
「あ、キミカちゃん、この人って、この前、北九州とか福岡で出会った人だよ。スカーレットとの戦いの時に」
「あー。そういえばそんな人いたねー」
俺やマコトがそれらしく話しているのと、記者がドロイドバスターというキーワードを並べたからか、行列にいる人達は俺達を見ながら「え?本物?!」などという声がヒソヒソ聞こえてくる。
囲まれてしまう前に戻るか。
「んじゃ、そういうことで」
俺はマコトと俺にグラビティコントロールを働かせ、地上から1メートルぐらい離れたところでいきなり久万田えるなことエルナに思いっきり足を掴まれた。そのままの勢いで5メートルぐらい上空まで引っ張りあげてしまう。
「何やってんの…」
「ひぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁああああぁっ!」
と、その様子を行列の中に居た人々がケータイのカメラに収める。そこらかしこでシャッター音のオンパレードだ。
「つ、連れてってくださいぃぃ…」
泣きそうな声でエルナが言う。
「えー!」
「今日、任務でコミケに来てるんでしょ?!白子のバスケのテロを防ぐために来てるんでしょ?!情報は入ってますよォォ…(睨」
ったく、うるさい奴だなぁ。
俺はエルナにもグラビティコントロールを働かせて、しぶしぶ、コミケ会場、白子のバスケブースへと空輸していった。