3 平凡の終わり

信越市から川沿いに険しい谷を進んでいくと川上村へと出る。核ミサイルで瓦礫の山と化した上信越市がまだ機能していた時代に、市のベッドタウンとして発展した村だ。また市の水源である白雲湖がある。戦後、上信越市にあった病院、学校、警察などの施設はもちろん、工場なども川上村へと移設された。村という名前がその役目を終えるほどの人口へと変わりつつある。
川上村は標高が少し高い盆地で、湖が近くにある事から朝になると頻繁に濃霧に包まれる。その幻想的な風景はそこへすむすべての人を魅了し、他では都会へと移り住む若者が多いのだが、川上村では村へ残るものが特別多い。
その日の朝も霧に包まれるところから始まった。
白石雄輝は川上村で生まれた川上村在住の高校生だ。どこにでもいるような特筆すべき点の無い少年時代を過ごして、現在もごく普通の高校生として帰宅部として終業チャイム後に颯爽と家へと帰り、ゲームをしてテレビを見てそして眠る、そして翌朝、寝苦しくて起きた。時計を見れば6時、まだ学校に登校するには早すぎる時間だ。
(秋も終わるっていうのにこの暑さはなんだろ…)
その暑さは何度か経験している。朝目が覚めると身体が重く大量の汗を掻いていて暑いと身体が火照っているのと、背筋に寒気が伝わる感触、つまり風邪の引き始めによくある現象だ。意識が薄れているなかで、
(今日は学校に行けないな)
などと考えている雄輝。そうは言っても風邪でも引いて学校を休んでしまうことに罪悪感の微塵も感じておらずむしろ喜んでさえいる。そのまず最初の楽しい考えとしてゆっくり寝れる、と思い、雄輝は布団を被って朦朧としている意識に任せて深い眠りへと入ろうとした。
違和感に気づく。
布団が濡れているのだ。布団は全体が濡れていて枕も同じく、服も濡れている。汗を掻きすぎたと考えたが、それにしても異常な量だ。雄輝はすぐさま電気をつけて状況を確認してみる。思惑通りに汗を大量に掻いていたのなら後で笑い話にでもなるだろうと考えて。
だが期待は裏切られた。全身を覆っていたのは大量の血だ。
体中に傷口があるんではないかと思わせるほどに血でべとべとになったパジャマ、そしてベッド。あまりの異様な光景に気を失いそうになる。だがどこか痛みが走っているわけでもなく、不思議なほどにピンピンしていたのだ。急いで洗面所に向かって、鏡で顔を確認する雄輝。血だらけの顔が映し出されて思わず叫んでしまう。痛みは無いのに目や耳、鼻など穴という穴から血が噴出している形跡がある。
(俺、死ぬのかな)
身体は先ほどまでピンピンしていたはずなのに、自分の姿をみて突然倦怠感が襲ってくる。ふらふらと廊下を歩くその足からも血が染み出てきて血のりで足型を残しながら歩く自らの姿はまるでゾンビのようだった。両親のいる部屋に行こうとしたとき、既にドタドタと騒がしさが伝わってきた。母親が慌てて部屋から飛び出して電話をしている。「救急車」という単語が聞こえている。
(まさか親父が…)
雄輝が真っ先に不安になったのは身体全身から血が吹き出るという病気が感染症ではないかという事だった。父親がどういう状態なのか、直接確認するのも何か引け目を感じて、雄輝は母親にそれを聞いた。
「母さん、父さんどうしたの?」
「あ、雄輝、父さんね、身体から血が出てて…ひっ!」
母親も雄輝の血まみれの姿をみて、彼が最初にそれを見たときと同じようなリアクションを取ったのだ。そんな風に予想外に驚かれると本人は身体になんら痛みも感じなくても精神的にマイってしまいそうになる。だが血まみれの息子の姿を見せられればそういう反応を取るのは仕方の無い事だった。
「雄輝!あんたどうしたの?!」
耳鳴りがするほどに大声で叫ぶ母親。雄輝は「どうもこうも、起きたらこんなになってたんだよ」としかいいようがない。ここでふらふらになって倒れればまだいいのだが、身体のほうは倒れるほど痛みがあるわけでもない。本人よりもそれを見せられている母親のほうが今にも倒れそうになっていた。
結局無事に救急車は呼ばれて、雄輝とその父親は病院へと運ばれた。
病院につくと雄輝と同じように体中の穴という穴から血が吹き出た患者が運ばれていた。意識がある者、無い者様々で、病室はたちまちいっぱいになったのか患者は廊下に横たわっていた。例え身体に異常はなくとも、そんな光景を目の当たりにすれば精神的に調子が悪くなりそうである。雄輝のように若い患者は意識もしっかりしていて身体も普通に動かせるのだが、雄輝の父親をはじめ、年配の人はそのまま意識を失っているようだ。血の気が無くて死んでいるようにも見えるが確かに呼吸はしている。
だが一つだけ、雄輝が病気に無知であっても一つだけ奇妙な点に気づく事があった。
患者は全員、男性であった。
「雄輝!お前も病気になったのか?」
元気に声を掛けてきたのはクラスメートの佐藤だった。その挨拶はまるで学校の朝の時間を連想させる。唯一違うのは二人は血まみれという事だ。佐藤はそのまま続けて、
「ずいぶん派手にやったな、何人相手にしてきたんだ?」
などと冗談をかます。それほどに心に余裕があるのか、余裕が無いが余裕がある事を見せたいのか、それかただ馬鹿なのか。今の状況でそれだけの事が出来る事に雄輝は少し羨ましがった。
「売られた喧嘩は利子付きで返す主義だからさ」
などと同じように余裕がある所を見せる雄輝。
だが、そんな二人をよそに周囲の人々で余裕のあるものなど居なかった。動けるものは若いものだけだったが、そんな彼らの中には呆然と床に座り込む者、医者に状況の説明を求める者、泣いている者ばかりだ。
談話室ではテレビで川上村の惨劇がさっそく報道されていたのだが、当てにしていたマスコミの報道も惨劇を直に味わっている者達、つまり雄輝たちと同じで「血だらけになっている」「若い人は動ける」「年配の方は意識がない人ばかり」という見たままを伝えているだけだった。専門家が出てきては病状からウイルスなどを起因とした病気だと的を絞るも、明確にコレだと言い切るものは居ない。
「マジでヤバイかもな」
佐藤はそういい捨てると、談話室から遠ざかって廊下を進んでいった。雄輝もそれについていく。何があるわけでもないが、動けるのなら動いておいたほうが気が休まるという奴なのだ。二人は病室で医師達が診断をしている様子を遠目で見ながら、そして相手にその視線を見つからないように廊下を進んでいった。それぞれの部屋の扉は開けっ放しで診断の様子は見れるのだが、それをじっと見つめていると看護婦やらに待合室で待っておくようにと注意されると感じていたのだ。
それまで診察の時のやりとりばかり聞いていたのだが、ある部屋の前、患者が居ないその部屋の中から気になるやりとりが聞こえてきた。
「ホルモンのバランスが崩れていますね」
代謝もあがっているんじゃないか?」
「出血は体内で古い細胞を外へと排出しているからか?こんなパターンは見た事がないな…他の生物でもこれはありえないだろ?」
「いや、ありえなくはないんだけど、ほら、身体を切ったら2個に分身する奴がいるよな、あれぐらいの代謝速度じゃないか」
その話を最後にして、二人の会話は終わり医師と思われる二人は患者の元へと戻っていった。
「ん?どした?」
どうやらその話を聞いていたのは雄輝だけだったようだ。佐藤は雄輝がぼーっと扉の前で立っている様子を不思議がって聞いてきたようだ。
「いや、別に」
雄輝は今の二人のやり取りを言おうと思っていたのだが、結局結論の出ない話を言ったところで聞いてこられれば答えられないと思ったのだ。佐藤にその話はしなかった。
しばらくすると病院の外が騒がしくなってきた。雄輝達にとっては映画などの中でしか聞こえなかった反重力コイルの電子音、映画の中では「アサルトシップ」と呼ばれている兵員輸送をメインに行う軍機である。
「おぉ!軍も来てるのか?見てみようぜ」
佐藤は外へと駆け出した。それに雄輝も続く。
病院の外では2台のアサルトシップが着陸しており、無菌服で身体を包んだ兵士や病院関係者が患者を船に乗せている最中であった。空にはまだ複数の船が待機中のようだ。船の中からかアナウンスの声が周囲に響く。
「これより軍が臨時で設置している病院へと搬送します、動ける方は指示に従って乗船してください!」
山陰から太陽が顔を覗かせると、空に沢山のアサルトシップが待機している様子が見え始めた。感染したのが男性だけだとしても、川上村に在住している男性が全員感染したほどの数だと想定されるほどにだ。病院からは列がアサルトシップへと続いており、船の手前では兵士が乗船する住民の一人一人の網膜認証を行っている。
雄輝達も列に混じって乗船した。
30分ぐらい経過しただろうか、船はようやく出発した。飛行機とは違って加速して上昇するのではなく、エレベータの要領で宙に浮くので雄輝にとっては経験したことの無い感覚だ。今まで見たことの無い角度からの川上村の朝。太陽は村を照らそうとしているのだが、盆地になっている川上村は周囲に比べると朝が訪れるのが遅くなっているようにも感じる。霧に包まれた川上村がどんどん小さくなっていく。病院がある場所からは雄輝達の乗る船に続いて別のアサルトシップも上昇しているのが見える。
軍の人間が先ほど話していた「臨時で設置された病院」というのは街中にある建物ではないようで、船は川上村からも隣街からも遠ざかっていた。山中に通行がそれほど無いはずなのに4車線ぐらいのわりと整備の行き届いた道路が続いており、病院というよりも企業の工場のような建物が見える。感染症の患者を街中の病院に搬送してしまえば感染の範囲を広げてしまうだろうから山中の隔離された建物に収容するのは適切なのかもしれない、と雄輝は考えていた。ただ、子供の頃から川上村に住んでいて周囲の地理は詳しいはずなのに、わりと近い場所にそんな建物が造られているというのは意外であった。そして山中にある4車線の道路も違和感があった。
「柏田重工?」
佐藤がその建物を見て言う。
「あの建物の事?柏田重工って?」
「ああ、日本の兵器メーカーの一つだよ。ドロイドだとか、戦車だとか…あとはこのアサルトシップとかも作ってる。兵器工場はこういう人目につかない場所に建ってるもんだよ。でも道路とか見ると最近造られたみたいだなぁ」
船は建物の門前のロータリーへと着陸して患者は柏田重工の建物の中へと移動するようだ。また長い列が出来初めた。雄輝と佐藤は列に続いて建物へと移動する時に、門の前のプレートが目に入る。
「柏田重工生物学研究所」
それを見て佐藤は、雄輝の頭の中にも浮かんだ事を口にした。
「俺達ってモルモットにされるんじゃないだろうな」
だがもう一つほど気になっている事が雄輝にはあった。それを口にする。
「なんかさ、手際があまりにもよくないか?…今朝感染が広がってるのが発覚してから軍がいきなり駆けつけてきて、うまいぐあいに患者収容する建物が身近にあって、しかも都合よく生物学研究してる施設でさ…。もしかしたら、この研究所から変な細菌が漏れたんじゃないのかな」
「あ〜…映画でそんなの見たことある。それだと感染したら死にまくってたけどね」
感染したら死にまくるという佐藤の言葉でふと、推測の一つが雄輝の脳裏に浮かんだ。細菌というと感染すれば身体に害を及ぼす事をイメージする。だが、さきほど雄輝が病院関係者から聞いた話だとその細菌が代謝をあげてホルモンバランスを崩すという奇妙な動きをしているのだ。そして柏田重工の生物学研究所との繋がりが頭の中で無関係な偶然だとは割り切れないのだ。
所内に案内された雄輝達は血液検査やレントゲンなどが行われて、その後は各自病室へと案内された。外からの光が遮断されるような窓になっている為か、病室ではすぐに眠気に襲われた。