2 核が落ちた日

5年ほど前のある日、学校から帰宅途中に陽が沈む山の辺りから、沈みかけた陽が昇ってきたかのように赤くなっていった。
「なんだあれ?」
友達とその赤を睨む。UFOかも知れないなどと話していると暫くして「コォォォォ」という波のような音が聞こえてきたのだ。
「UFOだ。すげぇ」
のんきにそんな事を言っていた気がする。
家に帰ると親父とお袋がテレビに釘付けになっていた。
「おい、日本に核ミサイルが落ちたぞ」
親父は喜んでいるのか、単に驚いているのか解らないような声でニュースと同じ事を言っている。ニュースでは上空からカメラで捉えた都市の様子が映されている。既に核が落ちた後の都市は煙と炎と瓦礫しかなかった。
その日、島根の上信越市に核ミサイルが落ちた。
俺が見たあの光は、ほんの数10キロ離れた上信越市の核爆発の光だったのだ。ほんの数10キロ離れたその場所で同じ日本人が沢山死んでいる。地震でも火事でも原子力発電所メルトダウンでもなく、どこかの国のキチガイが放った核ミサイルによって。
ただただ驚いた表情で腕組みしてテレビのディスプレイを見つめていた親父だったが、テレビのリモコンを操作しながら国民投票のサイトへと接続していた。
様々な意見が既に上がってはいたが、その殆どの意見が瓦礫の山と化した上信越市の映像の前では無意味と化した。「日本は戦争をしない」「平和的な解決を」当たり前の様な台詞が歯の浮くような言葉となって響く。
「朝鮮への宣戦布告を行う」
親父は黙ったまま、その選択をした。
一部の反対派の声も空しく98%の国民の支持を受けて日朝戦争が開戦された。その当時の「宮里総理」の演説が開戦した次の日に行われた。
「1ヶ月前、私は家族を失いました。多くの人々も私と同じく家族や友人や恋人を失いました。上信越には記憶があります。そしてその記憶の最後の1ページに悲惨な記憶が刻まれました。我々はその記憶から眼を逸らしてはならないのです。『日本は戦争をしない』それは日本という国を守る為でもありました。だから日本は子供達の未来を守る為に戦争をします。日本は大切な人々から笑顔を奪われない為に戦争をします」
それから5年の月日が流れた。
戦争については詳しくないから、誰が勝って誰が負けて、どの地図が書き換えられたかなんてのは時間が経ってからじゃないと解らないけど、時折ニュースから伝えられる戦地の映像やら戦果の報告を除けば今までどおり平凡な日々が過ぎていった。そしていつのまにか戦争は終わっていた。
日本のもっとも新しい戦争は画面ごしぐらいの印象しかなかった。
核が落ちた上信越市は放射能の危険がある為、立ち入りは禁止され、都市から少し離れた場所に観測基地が設けられた。そこを中心に市を取り巻くように壁が作られた。