165 気にならない転校生 5

放課後。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
それは帰宅部所属の俺にとっては競技開始の合図だ。
その一挙手一投足全てが帰宅に注がれなければならない。
そしてその動き全てに一分の無駄もあってはならない。
その無駄が積み重なって家に帰る時間が遅くなって、すなわちそれは帰宅部として敗北を意味する『寄り道』をしてしまうことに繋がっているからだ。だが世の中には、ちょっとの事ならいいじゃないかなどとマヌケな事をヌカす輩もいるようだ。
帰宅の時間が遅れる事は即ち『寄り道』をしていた事になる。例え動きに僅かな無駄があっただけで、寄り道なんてしていなくとも…その僅かな遅れが積み重なるとスケジュールをどんどん後押ししてしまうのだ。
例えば会社努めのサラリーマンが業務を終えた後にノンビリ同僚と話をしていたとする。その時間は30分かそこら…当人にとっては僅かな時間だろう。そしてソイツは30分遅れで帰宅して、それから翌朝会社へ出勤するまでの間の時間を30分ロスした状態で過ごす。
一日30分としたら週休二日制として一週間で150分。
一ヶ月で700分。
一年だと8400分。
おおよそ1年で6日分ぐらいの時間を無駄に過ごしてる事になる。
これが60年続けば360日。
ほぼ一年だ。
この1年分の時間を自分の趣味に当てて過ごした人間と、誰かとくだらないクソ話をしていた人間と…果たしてどちらが有意義に人生を過ごしていた事になるだろうか?
言うまでもない…前者だ。
だから俺は颯爽と、一分の無駄もない動きで、全ての神経を帰宅に集中し…そして去る…!!
「ン…だとゥゥ?!」
その俺の腕をガッシリ掴んでくるクソがいる。
もう少しで教室から出るところだったのに、俺の、よりにもよってギプスをハメているほうの腕を(実は義手でケイスケが俺の腕を作り終えるまでの間はこの骨折してます状態)、朝鮮人野郎のクソ・ソンヒが掴んでいやがるのだ。っていうか怪我人だったらどうするんだよ、てめぇ殺すぞ。
「部活の案内とか学校の案内してくれる約束ニダァァァ!」
「放してよ!殺すよ?!」
「なんでそんなに急いで家に帰ろうとするニカァ?!」
帰宅部だからだよ!!」
そんな小競り合いを教室の出口付近でやるので俺以外で帰宅に神経を尖らせてる奴が白い目で見る…。
「ウリとの約束はどうするニダ!」
朝鮮人に約束って概念があるとは思わなかったね、さようなら」
「『さようなら』じゃないニダ!!朝鮮人には約束の概念はないかも知れないけど日本人にはあるニダ!ちゃんと約束を守るニダ!」
どういう理屈だよ!!
「どっかその辺の人に案内してもらえばいいじゃんかよ!!」
「その辺の人ってウリの知らない人ばっかりだから嫌ニダ!」
クソッ!朝鮮人のくせになんてか細いハートしてんだよ!もうちょっと図太い神経してんじゃんいつも!
「いいから放せェェ!!クッソタレがァァァ!!」
「嫌ニダァァ!!どうせ家に帰ってもやることがないくせに、ウリの事を手伝うのがしゃくに触るっていう理由だけで帰るなニダ!!」
…こォんの野郎、言わせておけば…。
「家に…帰っても…『やることがない』だとゥゥゥゥゥ?!」
「ププププーッ!何怒ってるニカァ?図星ニダァ!プププーッ!」
「ぁアんタと一緒に…するなァァァァ!!!」
(めきめき)
(めきめきめきめき)
んんん?!
なんだこのメキメキって音は?!
俺のギプスのほうから音が…って、なんか腕が変な形に曲がってる?!俺の義手のほうがソンヒが掴んでるせいで思いっきし変な方向に曲がってるんだけどォォォォォォ?!
…。
その時だった。
(ブチッ…)
何かが鈍い音を立ててへし折れるような音が聞こえて、案の定それは俺のギプスをハメてるほうの腕…義手が壊れる音だった…。
(プシャーッ!!)
「え、ちょっ…えぇぇぇええぇぇぇ?!」
「ぎゃぁぁああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「「「「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!」」」」
戦慄した。
ギプスがへし折れただけだと思ってた…思ってたのに。
何故かそのギプスから血が噴きでたのだ。
その血はソンヒに降りかかり、出口でモタついていた俺達につっかえて外に出られなかった連中の顔に、手に、制服に、降りかかった。
もうスプラッター映画さながらだ。
周囲の人間は俺が骨折してるだけでまさか腕が切断されてて代わりに義手つけてるなんて思ってないから、ソンヒが俺の腕を切断したと勘違いしてもう完全にパニック状態だ。
っていうか俺も驚いてるよ!!!
なんだよこのギプスは!!!
完全に俺の肩から分離されたその義手…血みどろの俺の腕はソンヒと握手したままの状態でぶらんと地面に垂れ下がった。
「ぎゃぁぁああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ソンヒが慌ててそれを放す。
(べちょ)
血まみれの教室の廊下に俺の腕がゴロンと横たわり、脈打ち、びゅびゅびゅびゅ…と血を吹きながらピクピク動いている…。
「ご、ごめんなさい…ニダァ…」
もう涙声で言うソンヒ。
「ほ、保健委員は!?」「保健の先生呼んで早く!」「保健体育の先生呼ぶの?!」「うわぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!」「きゅ、救急車!!早く!!救急車呼んで!」「腕が取れた時は塩漬けにしてたら後で繋げることができるよ!」「っていうか引っ張っただけで普通、腕がとれるの?!」
教室はパニック状態だ。
「えっと、いや、これは…」
俺がそう言おうと思った。「そう」っていうのはまぁ、そのつまり、アレだよ、誤解を解こうと思って。この腕は義手で…っていうと、そもそもなんで腕が無いんだよっていう話になるのか!面倒くさいな。
…その時だった。
ちぎれ、床に転がっている俺の腕が、持ち主である俺と『接続』が切れてる腕が…何故か動いたのだ。
動いてるっていうか、もう指とか激しく使って移動してるのだ。
「「「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!」」」
女子がパニックだ。男子も「おおぉぉおおぉぉぉぉ!!」という驚きの声をあげて逃げまわる。
「う、動いてる!」「っていうか歩いてる!!」「キメェェェェェェェェエエェェェ!!」「ちょっ、早く、先生呼んできて!体育の先生!」「消防に連絡したほうがいいんじゃないの?!」「いや、警察よ!」「霊媒師だよ!霊媒師に連絡だよォ!」
腕はクラスのフロアを血みどろにしながらも動き回っている。クラスメートの足下を駆け巡り、机の下を駆け巡り、その動きには何ら目的がないようにも思えたのだがひとしきり駆け巡り終わると廊下へと走りでたのだ。
「「「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!」」」
「「「うぉぉぉおおぉぉおぉぉぉおおぉぉお!!」」」
放課後の廊下に悲鳴が響く。
「どど、どどどど、どうなってるニカァァァ!!」
パニックのソンヒは俺の両肩を掴んでガタガタと震わせる。
「な、なにがどうなってるのかさっぱり…」
呆然とする俺の元に、マコトが苦笑いで近づいてくる。そしてそのそばには反省でもしてるかのように俯いた顔のナツコ…。
って、お前のせいだったのかよ!!
「ナツコが作ったんでしょ!!」
俺が問い詰めると、
「あれは確かにわたくしのものですわ…まさかお兄様が勝手にキミカさんの義手に使うだなんて思ってもいませんでしたわ…」
と他のクラスメートに聞こえないように小声で言う。
さらに小声で、
「あれは本体と接続が切れると自分勝手に暴れだすのですわ…」
「え、ちょっ!!」
その時だ。
廊下のほうから叫び声がするのだ。いやまぁ、さっきから叫び声はしてるけどさらに酷い叫び声が。
で、俺達は廊下に飛び出てみた。
そこでナツコが言っていた意味がわかった…。
俺の腕が…女子の足首を掴んだり、男子の股間を掴んだりしてる…。
「や…っべぇ…早く止めないと…!」