3 否現実の人 7

みのりは井川春樹を知っている。
井川はみのりの勤めるゲームセンターの常連客だった。
みのりの勤めるゲームセンターでは3種類のゲームを扱っている。
一つはネットワークロールプレイング。一つは卓上ゲーム。最後の一つは恋愛シュミレーション。
殆どの会員はネットワークロールプレイングを主ゲームとして選択する。仲間を連れてやってくる客は、仲間内で卓上ゲームをする。そして、ほんの一部の客が恋愛シュミレーションを選択する。
恋愛シュミレーションゲームはオタクゲームとして扱われ、それを「人前で」プレイすることは常人には勇気がいることだった。
勿論、ゲーム端末を店の奥に置くなどの工夫はされているものの、最低でも店員には知られることになる。特にみのりのような女性店員が勤めるゲームセンターでは客は案内される途中から変に自分の存在を気にしてしまう。
みのりが井川春樹の名前を覚えることになんら苦労は無かった。珍しく恋愛シュミレーションを選択する客だったからだ。みのりが男の時に通いつめていたゲームをプレイする客、みのりの中では少なくとも自分と同じタイプの人間だという疑念が沸いていた。
「現実を否定した人間」
ロールプレイングにしても現実にはあり得ない仮想世界だったが相手にするのは生身の人間だった。だから会話や協力しあうことも通常の世界と同様、だが恋愛シュミレーションは違っていた。
仮想空間で相手にするのはコンピュータの作り出す仮想人格で、それも男性の好みに合わせて性格が変化するロジックを組み込まれたものだった。プレイヤーの思い通りになる世界、現実にあり得ない世界がそこにあった。
プレイヤーはその仮想空間で恋をしセックスを楽しむ。
(みどりさんは、また別の男を捜せばいい…その恋が実らないとしたら)
話を聞きながらみのりは考えていた。
どうしてそんな男を好きになってしまうのか?
どうして男は現実を逃避しなければならなくなったのか?
井川が自分自身の姿に重なって思える。自分の事に目を向けてくれる人がいる、なのに何も変わらない。井川という男は自分から動こうとしなかった、だから変わらない。
(動かなければ何も変わらないんだ)
自分を思い出す、デブで醜くて…誰も自分に目を向けてくれなかった。
女性へと変化して強制的に変わってしまったが、本当に自分という人間は最初から変わることが出来なかったんだろうか?
現実を否定して殻に閉じこもっていた。
もっと愛された自分が居たかもしれない。現実に立ち向かった自分が居たかもしれない。どうしてこんなことになってしまったんだろう…。
今となっては美しい自分を手に入れたが、何かを失ってしまった。…そう、自分自身が堕ちた場所から這い上がるチャンスを。
「ねぇ、みのり姉さん、どう思う?」
「え?何が?」
「だから〜どうすれば彼と仲良くなれるかな?って思って」
(チャンスがあるんなら、這い上がって欲しい)
「その人は…頭の中に理想の彼女がいて、その人のことを好きになっているんだと思うの」
「え?…じゃあその理想の人に近付かなきゃ…」
「違うの、理想は理想だけでしかないと思うの。現実は違うと思う。理想の彼女、想像した世界の中だったらどんなことだってうまくいく。現実には辛い事だってあるし、喧嘩したり、慰めあったり…彼に話し掛けたらいいと思うよ。彼を理想の彼女から引き離してあげて」
「…みのり姉さん、何かあったの?」
心配そうにみのりの顔を覗き込むみどり。
ハッとして俯くみのり。俯いたまま話し始めた。
「井川って人、私の前に付き合っていた彼氏に似ているの。印象がね」
「え?!どんな人なの?みのり姉さんの彼氏って」
「彼は…自分は嫌われてるって思ってたよ。いつもボーっと何か考えてた。みんな自分のことを避けてるって、それで彼も他の人を避けたの。でも違うのよ、私だって彼のことを好きだったし」
いつのまにか、みのりは井川を自分と重ねていた。
現実を見なかった自分、現実から逃げた自分、そして、結局、最後までその場所から戻ろうとしなかった自分。
「…それでどうなったの?」
「私の前から姿を消したの。今はどこにいるか判らない。だからあの時、『辛いことがあっても一緒に頑張ろう』って言えていたら何か違っていたんじゃないかって思えるの」
結局、何も成し遂げることなく暗い部屋でみのりが男性の時の姿である「吉村秀人」は消えていった。まるでサナギの抜け殻のように、用済みになったソレは土へ落ちて解けて消えた。
「…今度井川君に話かけてみる」
「うん。頑張って。出来ることやって、それでもダメだったらしょうがないよ。…何もしないまま終わって後悔しか残んないよりもマシだよ…」
(吉村秀人のようにはならないで…)