1 脱皮 5

鼻をつく腐臭で秀人は目が覚めた。それは何かが腐った時に発する臭い。それは動物性の肉が腐った時の臭い。
硬く、冷たい感触が彼を襲う。どうやら秀人は床で寝ていたようだった。
(身体が軽い…?)
普段は100キロを超える体重を支えていた秀人だったが、まるでそれらがどこかに消え去ったような感覚になっているのに驚く。
意識が途切れる前までの記憶を必死に追う。
暗闇、苦痛、悲しみ、それらが頭をぐるぐるとまわり気分が悪くなる、そういう記憶が最後にあった。それだけの事があったにもかかわらず、今はまるで何も無かったかのように、というより、以前の自分自身の身体ではありえないような清々しさに包まれていた。
「あ〜…直ったのかな?」
背伸びをしようとしたその時、秀人は異変に気付いた。
「ん?あれ?」
彼が出す彼の「声」それが異変だった。
秀人の巨漢からは発せられるはずのない声、つまり女性の声だった。しかも年齢はかなり若い。中学生ぐらいにも思える。
起き上がろうとする秀人。何かが足に絡まる。
「え?」
よく見ると、肉片のようなものから出る途中の自分の身体がある。その肉片は青白く変色してはいたが、明らかに人間のものだ。まるで自分が「脱皮」をしているようだった。
その肉片からゆっくりと這いでて自分の身体のお腹から手をゆっくりと上に這わせる。その手はまず膨らみに当たった。胸だ。それも女性の胸だ。手から胸の感触、胸から手の感触が感じられる。つまり、その身体が紛れも無く彼のモノだということを証明していた。
秀人は急いで洗面所に向かった。
洗面所に向かう途中、ほんの数秒だが、身体が嘘のように軽い。と感じていた。起き上がることすら辛かった身体が、自分が想像できないほどの速さで移動している。そして奇妙なほど感覚がクリアになっていた。
部屋の入り口にあるポスターのcopyrightが目を凝らせば見えた。彼の部屋では珍しくも無いゴキブリの動きまでをも察知出来ていた。音、というより空気の流れすらも読み取ることができるような気さえしていた。目をつぶっても歩けた。
「え、なに?なに?」
洗面所に駆け込んで鏡を覗き込む。
秀人は驚いた。そしてすぐ涙があふれて来た。
鏡には女の子が映っていた。顔や身体が血と肉片まみれだった。彼の望む魔法少女ミミではなかったが、アニメばかりみていた秀人が現実に「人間の女性」で可愛いと思えるほどだった。
「神様…」
ふと思いが声にでた。
瀕死の辛さを味わっていたあの時、朦朧とする意識の中で、それまでに信じもしなかった「神」を口にした記憶が蘇る。
「神様…ありがとう」
秀人は鏡の前で目を瞑り祈った。