10 予測と憶測 3

千葉教授は真っ白な頭髪に指を突っ込んでぐしゃぐしゃとかき混ぜた。彼が悩んでいる時や困っている時にその仕草をする。
「なんたらシフトというのは、パラダイムシフトの事ではないかね」
その単語が思い浮かばなかった青井は恥ずかしそうに頭を掻いて笑いながら、
「ああ、そうでしたね。そうですよ」
「あれはまだ開発中だよ。なりきりシステムってのは夢と同じ原理だと思う」
「夢?ですか」
「うむ。夢というのは所謂、妄想って奴だな。人の頭ってのは意識と呼ばれる、コンピュータでいうところのプロセスというのが動いておる。通常はこの意識ってのは一つだけが動いていて、頭の中で何かを妄想すると小さな意識がもう一つ生まれてそれが主となって動く。このプロセスは寿命も短いし、ちょっとしたショックで本来の意識に戻る。ぼーっとしてる時に背中を叩かれると、はっとしてめがさめるという奴だな。夢を見るときは本来動いている意識がいったん停止して、小さな意識が沸いたり消えたりを繰り返すんだよ。もちろん、レム・ノンレムなどによって意識の持続時間は違うがな」
「夢なら、覚めるという事ですか?」
「どうだろうな。人工的に発生させる夢に本来の夢と同じ性質が見られるかどうか。そうだな、如月君に周囲にその世界の価値観と一致しないものを知っている人がいるか確認してくれんか?」
「わかりました」
青井はモニターに身体を向けて、カタカタとキーボードを叩く。モニターにはLOSシステムと接続できるバックドドアのソフトウェアが起動されている。開発者用として作られているので親切なUIや見た目などもそれほどこだわった形跡はない。使えればそれでいいという程度の代物だった。そしてその画面ではLOSシステムに侵入している風雅こと如月とのやり取りをデータから音声に変換する過程がモニターされている。
「今時珍しいな。キーボード派なのかね、君は」
電脳通信でコンピュータとのユキビタス接続が一般的になっている日本においては、青井のようにキーボードなどのインターフェイスを解してコンピュータへの情報をインプットするというのは珍しい。それを見て千葉が問うた。
「そうですね。でもこう見えても、俺は家の外で遊ぶよりも先にネットに接続してたぐらいのジャンキーでしたよ。最初に繋いだのは6歳かそれぐらいだったかな」
「ほう」
「でもその時、不用意にもウイルス入りのプログラムを電脳にダウンロードしてしまいましてね。それ以来ですよ。コンピュータに接続するのが怖くなったのは」
「君が6歳かそこらの頃か。まだ法整備も電脳のセキュリティも発展途上だった頃か。仕方がないな。私にはその経験がないからどういう気持ちなのかはわからんが。でもどうしてそんな経験をしてまでも、この会社を選んだのかね?」
「まぁ…手に技あれば食う為に使うというのが人でしょうから」
「ふむ」
「それに、俺はこうやってキーボードを叩いたりしていますが、別にコンピュータが嫌いというわけじゃないですよ。コンピュータウイルスが嫌いなだけで」
「ははっ。そうだな」