174 スーツケースの男 7

「ソウルリンクだよ」
ニヤニヤしながらスティーブは装置の前でキーを叩いた。
写真を撮るに飽きたらずデータも抜こうとしているのか?
「ソウルリンク…人や生き物の身体から伸びた管のような…」
「そうだ。来たまえ」
ティーブが見せたのは埃の積もったディスプレイだ。手の平で不器用に埃をどけると埃の中から輝きが見える…解像度の低い汚らしい画像が広がっている。そこにはヒトの脳の断面図があり、紐のようなものがそらに伸びている。
「神への道だ」
「それがここへ来た目的?」
「あぁ。私に何かあっても、スーツケースは持って帰ってくれないか?あの中身が重要なんだよ。ほら、今もこうして重要なものをとってる」
と言いながらスティーブは俺にスーツケースを見せた。データを抽出している最中なのだろうかケーブルが伸びている。
アメリカはドロイドバスターの研究をしてるんだね」
「随分と前に廃れた研究だ」
そうして幾つか再びキーを叩く。その度に埃が舞う。
ティーブは続ける。
「石見と明智は実験中に偶然にも次元の歪みを見つけた」
「歪み?」
「後に『ソウルリンク』と呼ばれるものさ。次元物理学と生物学の融合だ。その頃はまだ理論上の存在でしかなかったワームホールを彼らは偶然、魂の消滅の瞬間に検知したんだよ」
ワームホール…次元の歪み…」
「そう。次元の歪みだ。それらはこの宇宙空間の至る所にあり、発生と消滅を繰り返しているランダムな存在…だと言われていた。しかし、違ったんだよ。それを利用している『何か』が居た」
「それを創造主だとか神様だとか言ってるの?」
「我々ヒトには、定められた世界の中でしか物事を表現できないからな。理解を超える存在をどう表現していいのかわからない時は、我々が知っている言葉でソレを表現するものだろう?例えば…幽霊だとか、魂だとか、天使、悪魔、神…なんだっていい。得体の知れない何かさ。余計な価値観を付随させない為にも例えばXとしよう。Xは唯一無二の存在であり、数多くの存在でもあった。そう…例えば…」
ティーブはその場をウロウロし始めてから、自分の思惑にそったものが近くに無いか探していた。そしてついに見つけたのだろう、俺にそれを堂々と見せびらかした。
「コンピュータ?」
「サーバだよ」
「凄いと思わないか?我々人間は無意識のうちに神と同じものを産みだしていたんだよ。そう、これがまさにそれだ」
「…」
「唯一無二の存在であり、数多くの存在。Xには数多くの情報が蓄積されるが、そこに意識はない。意識はX内で産まれ消滅し、複製される、まさにプロセスがそれに値している。ヒトが、生物がどこからやってきたのか…このようなものから来たんだ」
「それで、どっからドロイドバスターの話になるの?」
ティーブはカタカタとキーを打った。
画面には遺伝子の構造から物質が変換される様子が貧弱な画像で表示されている。言いたいことはわかるけれど、画質が悪い。
「石見はソウルリンクからXの力を呼び出せる事を知った。詳しい原理はわからないが、簡単な物質の変換をやってのけたのだ」
…物質変換?
ドロイドバスターの能力の一つじゃん。
「当初はコンピュータで制御を行ってソウルリンクから力を引き出していたが、ソウルリンクの『先』の存在にそれが気付かれ、力は封じられた。Xの存在だ。Xの存在にそこで気づいたのだ」
本当に楽しそうに話すスティーブ。
「石見は彼の父親の権限により大学を中退させられ、その研究に没頭するようになった。彼と同じ研究室の室長だった明智教授にとっては大きな損失だった。殆どが石見の発見だったからな」
父親…あの怖ろしい人か。
そういえば軍属だっていう話は聞いたことがある。
ケイスケの研究は軍に利用されるようになったってことか。
「…この宇宙空間はそのサーバが創りだしたシュミレータだとか、そんな事を誰かが言ってたような…確かそれでアドミニストレータ権限がどうとか。ドロイドバスターはそういう宇宙の法則を無視できるから、サーバで言うところのアドミニストレータで、ゲームで言うところのゲームマスター的な存在って言ってたっけ」
アドミニストレータ権限!!君はいい言葉を使うね」
「…いい言葉?そうかな」
「石見は研究の中でコンピュータによる制御よりも人間による制御のほうが『気付かれにくい』という事を知っていた。ソウルリンクの先の存在は繋がっているのが生物なのか機械なのかを見破るからな。そして軍の許可の元で人体実験を行う。被験者は残りの命も短い人間が選ばれた。被験者が死亡してから装置にかけて、彼がいつもそうしていたように途切れたソウルリンクを再び被験者に紐つける。君の言う、アドミニストレータ権限を与えて。しかし、そこで実験は失敗した」
俺の脳裏にはにぃぁが実験に失敗し、熊の様な得体の知れない姿の怪物に変貌した映像が再生させられていた。
「実験は…どうして失敗したの?」
「その理由は私には説明できないな。だが、私の『感想』を君に言うのなら…それは神の逆鱗に触れた…とでも言っておこう」
「でも、条件がそこでわかったんでしょ?うまくドロイドバスターになる条件とならない条件」
「私の知る限り、被験者は女性だった。女性は感情が男性に比べると不安定だ。感情が不安定なのは感情をコントロールしているプログラムに精神が委ねられている…つまり、神々のコントロールに近い事になる。私の言葉で言わせてもらうのなら、『神々のコントロールに近いから、ソウルリンクの先の存在に気付かれて消された』という事だ。石見博士が『コンセプトモデル』を創りだしたきっかけはそうなのだ。合理的に考える能力が女性に比べ優れている…が、女性のようにソウルリンクとの適正が優れていない。この二つのいいところをとる、つまり、見た目は女性でソウルリンクとの適性が優れているが、脳は男性で合理的に思考できるから、結果的に暴走して消滅することがない」
「ちょっ、ちょっとまって…暴走って?」
「君は、ドロイドバスターに『変身』していると思っているようだが、そうではない」
「え…?ど、どういうこと?」
「ドロイドバスターから人間に『変身』してるのだ。そうやって自分は人間であると誤魔化して、ソウルリンクの先の存在から姿を隠すんだよ」
「まってよ!バレたら化け物に変えられるってこと?」
「私はバレたのを見たことがないからそうではないと思うが、安全装置としてダメージを受けすぎると『ヒト』の姿に戻るよう…いや、ヒトの姿に変身するよう設計されているから、そうなんだろう」
化け物になるってことなのか?
あのキリカが見せてくれた過去の記憶みたいに。
みんな?俺やコーネリアやメイリンも、安全装置がちゃんと働かなかったらあの熊の化け物のような姿になるのか??
「そろそろ転送も終わりそうだ。今日はじつにいい日だ!」
と、その時だ。
ティーブは表情を曇らせて画面を見入る。
「どうしたの?」
何が映ってるのか、俺も画面を覗きこむ。中国語で何やらメッセージが出ているようなのだが…。
(パシャッ)
一瞬、カメラのフラッシュのようなものがこのフロアを照らしたのだ。俺は泥棒野郎がフロアに入ってきたらその様子をカメラに収めるような、ちんけな仕掛けが発動したんだと思ってしまった。それでも中国製だからかフロアに入って随分と時間が経ってからその仕掛けが発動して、もし泥棒なら逃げた後だから意味がねぇじゃん、なんて思っていた。
しかし、そんな俺の安易な思いを裏切っていた。
隣から肉が焼けるような臭いがするのだ。
「え?」
俺は息を飲んだ。
今まで隣で意気揚々と話していたスティーブが、その顔の皮膚がドロリと音を立てて地面に落ちたのだ…さながら広島の原爆記念館の蝋人形のように…もう目玉も落ちて、喉も溶けて胸の動きもないから死んでいる。
頬骨だけが不気味に覗かせ、肺に溜まっていた空気が喉から外へと向けて白い煙をあげているのだ。
「う、うわぁぁああぁぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁああぁぁあああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!!!!」
俺は叫んだ。
レーザーだ。
カメラのフラッシュだと思っていたのはレーザー光だ。顔面に直接当たったのか身体を貫通したのか、とにかく光と同じスピードで逃げる間もなく正面に立っているものを焼く、そういう仕掛けなのだ。
ヤバイ。
ここはヤバイ。
前回の重慶のところと比較できないほどにヤバイ。
ティーブの身体も骨以外はボトボトと周囲に散らかり、スーツケースを持っていた腕だけがレーザー光から外れたのか、しっかりと握ったままで固定されている。
「す、スーツケース…」
俺はスティーブの言葉を思い出して無意識にスーツケースをグラビティコントロールで引っ張りあげていた。
その時だった。
俺の腕時計…以前、にぃぁが無意味に流していた声を解析して、そこから創りだした人工知能が入っている、腕時計から壊れたラジオのような砂嵐のような音が聞こえまくってくる。
どんどん大きな音になる。
「ちょっ、なにこれ?なんなの?!」
今までスティーブと一緒に居たから何も感じなかった。
今はじめて気づいた。
ここは、ヤバイ。
腕時計から砂嵐の音が聞こえるからとか、そういうレベルの話じゃない。俺の脳の後ろ側、延髄から背中にかけてが、風邪を引いて40度ぐらいに熱が上昇した時のあのゾクゾクする感覚。
「やばい、やばいやばいやばい!!」
スーツケースをグラビティコントロールで持ち上げたまま、ドロイドバスターに変身するとそのまま一直線に研究室の壁を蹴り破った。
外だ。
香港の毒々しい夜景が見える。
深呼吸をする。
背中のほうがまだ、ゾクゾクする。
ヒソヒソという声が背後からしてくる、そんな気がする。
俺はその夜景の中にダイブした。
過ぎ去る景色には俺が蹴りあげたビルの一箇所から、空へ向かって埃が立ち上ったのが見えた。しかし、その埃が何か別の力によって、フロアの中に吸い込まれる…ように見えた。
俺は目を逸らした。