174 スーツケースの男 6

いくつかの地下鉄を乗り降りして移動する。
もう俺はそのメリケンを追いかけていくしか選択肢が無かった。どこに向かおうとしているのか、何をしようとしているのかがまるで掴めない。ただ、先頭をつかつかと歩いて行くのを見ると自分が護衛される対象になっていることすら忘れているようだ。
ちなみに、メリケンは俺がなんて呼べばいいのか迷っていると、『スティーブ』と呼んでくれと言っていた。まさかスティーブ・ジョブズじゃないだろうな?…やめてくれよ、俺が尊敬する人と同じ名前だなんて。
ティーブは先頭をスタスタ歩くが、時折、重たそうに手に下げているスーツケースを地面に置いて腰を掛けて休んでいる。デジャブすら感じるほどに俺は彼と出会ってから一番最初っから見てるような光景だった。ただ、大事そうに常に持っているのにも係わらず、とにかくスティーブはそのスーツケースを雑に扱っており、そこら中に傷がついていた。
もう2、3回目ぐらいの休憩を始めたスティーブに、
「そのスーツケースは常に持ってないとダメなの?」
そう俺が聞いてみた。
「大事なものが入っているんだ」
「スーツが入っているの?」
「まぁ、そんな感じだ」
ホテルに置いてこりゃいいのにな。
今、どこに居るんだろうか…。俺はaiPhoneを開いて現在位置をGPSから取得しようとしたんだけれど、あぁ、そういえば地下なんだな、と諦めていた。もちろんWiFiなどの地下を流れている電波を拾えば現在地が取ってこれる可能性もあるんだけれど、中国のWiFiを拾ったところでまともな場所を示すかどうかは…。
試しにやってみたら案の定、ここはニューヨークってことになってる。おそらくはニューヨークのどこかで使われていたネットワーク機器を中古で買ってから中国で使い始めた時、本来なら住所などを初期化しておくべきなんだけれど、そのままニューヨークとして使っているんだろう。それを本来の住所にしたところで、普段からこの界隈でネットを使っている人間には関係ないことだ。中国人が律儀に正しい住所を設定するはずもない、それが金になるのなら別だが。
もうどこからが建物でどこからが地下街なのかわからない。
ティーブはその境界線の曖昧な猥雑な空間をどんどん進んでいき、住宅のような場所も通りすぎて、何故かその奥にエレベーターがあり…随分と上へと上がって上がって上がった。
ギリギリと音を立ててドアが開く。
埃。
そこら中が埃。
随分と人が来ていないのか。
埃が廊下に積もっている。
外へ繋がるドアもない、というのは風が一切流れていないことからわかる。ビルの中だとは思うけれど、空調も停まっている。
「こんなところになんの用事があるの?」
幾度なく聞いた質問を再びしてみる。
「面白いものがあるんだよ」
ニヤニヤとするスティーブ。額には汗が滲み出ている。
アメリカ政府関係者がスーツを来て出張の移動中のようにスーツケースを持ち歩いて、護衛もつけずにここまで来て「面白いものがある」…?
何となくその姿が狂気じみていた。
埃の積もった廊下を進んでいくと、巨大なドアの前に来ていた。中国語の札が貼り付けられてあり、この感じからすると『立ち入り禁止』という意味合いだと思う。
いちおうCoogleで翻訳すると『政府施設』とある。
「ここだ。多分。キミカ君、ここを開けてもらえないか?」
「開ければいいの?」
「あぁ。どんな方法でもいい」
んでは…。
俺はブレードをキミカ部屋(異空間)から引っ張りだすと、目の前のドアをルパン三世の五右衛門よろしく切り刻んだ。そしてしぶとくその場に残っている分厚い鉄の固まり(ドアの残骸)にグラビティコントロールも効かせた蹴りを入れて吹き飛ばした。
ドアの残骸はそのフロアに転がってゆき、何かに当たって粉砕されるか粉砕するかの激しい音を立てて埃をまき散らした。
「Wow」
ティーブはそう叫んだ。それからポケットからペンライトを取り出すと、ほぼ照明もなく埃舞い散る真っ暗の部屋の中へと入っていく。
後に続く俺。
「やっぱりここだったか」
ニヤニヤしながらライトで部屋の中を照らす。
正面のドアも他の部屋に比べると『搬入口』とも呼べるぐらいに大きい。そして、部屋の中もかなり大きい…ペンライトの光を俺の視線が追う。巨大なビーカーのようなものが真ん中にあり、コードがその周囲に乱雑に置かれていた。ビーカーの手前にはコンソールらしきものがある。
デジャブを感じる。
この構成、配置、そして巨大なビーカー…。ケイスケの家の地下にあるラボによく似ている…が、完全に同じというわけでもない。特にコンソールの部分はかなり古いコンピュータが使われている。
まるでラピュタを発見したムスカのようにいきいきとした表情で装置にペンライト当てている。わかる人間にはわかるらしい。が、その人間に俺も含まれていそうで、それが怖い。
不安を払拭する為にはまず聞いた方がいい。変に勘ぐって精神が疲弊するのはしんどいからな。
「ここって、何なの?」
「何?」
「この実験施設みたいなところ」
「君はここに見覚えはないのか?」
その言葉で俺は8割がた理解した。
このスティーブというアメリカ人の男が俺についてある程度知っていて、その俺に関係する場所であり、俺が知っている実験施設は一つしかない。
「そりゃ…見覚えは少しはあるけど」
残りの2割に掛けて俺は言う。
しかし、次の言葉はやっぱり残り8割の予測が的中した。
「ドロイドバスターの製造装置だよ」
少なくとも俺はケイスケの家の地下室と、重慶市とで2度、この実験装置を見たことがある。しかも2度目にはどういうわけかその場所で起きたであろう過去の様子を幻覚として見た。
ティーブはスマフォのカメラでそこら中の装置を写真に収めながら俺に話しかけている。
「君は明智誉(あけちほまれ)という男を知っているか?」
最初に会ったのは某大学で、その時はまだ生きていた頃だ。たしか、ロシア系のマフィアかテロリストと思われる連中と共にきたドロイドバスターに殺された。あれが最初で最後の出会いだった、はずなのだが、俺は重慶市で幻覚の中で明智誉の若い時の姿を見ることになる。
奴は日本からの旅行者を誰かに拉致させ、生きたまま巨大なビーカーの中で殺していた。いや、実験をして、殺していた。
奴の実験は必ず殺す必要があったのだ。その殺し方は必ず…現世に悔いが残るように。そうすればまだ生きたいと思って死ぬし、それがドロイドバスターとして再生する原動力になる。
ここまでディープな事を知ってても俺は、
「どこかで聞いたことがあるような…」
…そう言っていた。
知っているかと言われるとよくは知らない。明智という男が何を研究していたのかは何となくはわかるのだけれど、それが知っているというレベルに達していないと思ったから俺はわざとすっとぼけた。
じつはそういう事を俺はしてしまうのだ。
見透かされていたらバレてしまうかもしれない。
そういう、知ってても知らないと答えてしまうところ…俺の中にある好奇心が相手に『話させよう』としてる時、俺はあえて知ってても知らないと答えてしまう。
ティーブは忙しそうに部屋中の写真を撮りながら俺に話してくれた。自分が知っている明智誉について。
そして、俺のよく知る人物の事について。
明智誉と石見佳祐は大学で出会った。彼らはまだ若くて、ヤンチャだったんだ。ヒトとは何か、生物とは何か、彼らはその答えを探していた。ヒトはどこから来て、どこへ向かうのか…君も興味はあるだろう?」
「…ケイスケとあの教授が知り合い?」
「そうだ。石見佳祐は君には話していないようだな」
「あたしが出会った時には既に二人はドロイドバスターの研究をしていたように思えるんだけど、そうじゃないの?」
「最初は違った。彼らは純粋に生物の起源を探していたんだよ」
「生物学が専門だって…そう聞いてた」
「そうだ。生物学…研究しつくされているが、生命の起源については、それだけはわからなかった。君が知る『遺伝子』はただのデータ配列だ。そこからどのようにして生物が作られていくのか…データがあれば、それを読み込む装置がある。装置を作ったのは誰だ?」
俺はデジャブを感じていた。
この話は重慶で見た幻覚に似ている。
明智が話していた内容に…似ている。
「ある者は宇宙の中にあるルールがそうさせると言った。しかし、物質はルールに従ってしかるべき反応をするのに、生物の中には明確な目的や意志がある。それは何故だ?何故そのように作られた?」
「創造主だとか神様だとかそういう話でしょ…」
ティーブはパチンと指を鳴らして俺を指さした。
「そうだ。彼らは神を探していた」
ティーブは意気揚々と装置の周囲にあった埃を手で払い、息を吹きかけて飛ばして、電源を入れるところまで持っていった。…というより、ここは給電されてたのか?
「そして、それを見つけた」
ティーブはそう言ってニヤリと笑った。