174 スーツケースの男 5

ドヤリング!!
人は何故ドヤるのか?
日常は主観的な視点から展開されて、他人からどう見えているのかは殆どの人が過ぎ去る時の中で置き去りにしている。しかし、ある時ふと今の自分を見つめなおす瞬間がある。自分は将来の自分をどう願ったのか、今の自分はどうあるべきなのか。そんな気持ちが『常に人は変わりたいと思っている』という変身願望を創りだす。
日常という名の機械細工の歯車の1つとして稼働していた自分が、もし別の人生を歩んでいたらどんな気持ちになれるのか、どんな風に人の目に映るのだろうか…。
その答えこそがドヤリングの中にある。
演じているのだ。
日常の中にない自分を、ドヤリング・スポットの中で演じている。
あえて言おう…ドヤリングをしている人間の中で、本当の意味で自分自身をそのまま出している人間なんていない。女がパーティに普段着で化粧もせずに向かうようなものだ。そんな女はいるわけがない。
別の自分を、歯車ではなく別の人生を歩んだ自分を、その存在価値を認めてもらえる空間…それがドヤリング・スポットであり、ドヤリングの醍醐味なのだ。
俺は香港の屋台街で彷徨い中華料理を何品か食ったのちに、シメとしてスターバックスカフェに足を運んだわけだ。
外見は日本にあるスタバとそれほど変わらない…スタバはそれぞれの国・地域ごとに周囲の景色に馴染むように店舗を作るという話もあるのだが、香港ではそれはしなかったようだ。というのも、この陰鬱とした湿気の舞う中華街のような中洲屋台のような猥雑な空間に馴染ませると、もうそれはスタバでもなんでもなくなるからではないだろうか。
だから夜の街にスタバだけがオフィス街にあるかのように、整然とそこに存在し、ドヤリストである俺は吸い込まれるように入店した。
冷たいクーラーの風がにじみ出ていた俺の身体の汗を冷やす。
周囲にコーネリアの影は…ないな。
また俺がスタバでボッチでドヤリングしてたら…っていうかドヤリングは普通はボッチでやるものなんだけど、あのメリケン野郎は1人で行動しているのを見るとドヤリングだろうが何だろうが「Oh!!キミカガマタ、ボッチ飯シテマース!!可哀想デスネー!!」などと大声を張り上げるんだよ。香港でもスタバは腐るほど建てられてるから、本気で俺を探そうと思ったら1件1件見ていかないとダメだろうし、そんな事を念入りにするような性格じゃないから鉢合わせすることはないか。
んじゃ、さっそく注文しましょ。
日本人のようにも見えるスタバの中国人店員と向き合って、
「えーっと…」
そこで俺は青ざめる事になった。
その日本人のように見える店員の口から得体の知れない言語が飛び出してきたのだ。いや、中国語なんだろうけどね。
って、おいおいおい…気づけよ俺、わかってたことだろうが、いまさら大慌てかよ!!スタバは現地の人間を採用するからアンドロイドのようにどんな言語でも通用するわけじゃないってことを。しかも敵国人である俺が日本語をペラペーラ話したらマジでこの店員は警察に通報しそうな気がしなくもない。あの長ったらしいフラペチーノの品名を喉まで出かかって抑えこみ、声には出さないでおいた。
どうする、どうすればいい…ほとほと俺のノンビリな性格には飽々していたところだよ。準備をしていればこんな事には。今、俺の脳のCPUがフル回転で『準備』をしている。
日本語を発するのは禁止だし、下手に身振り手振りをするとバレるし、あくまで自然に、メニューから選んでいる素振りをしつつ、こんな時はCoogle先生だと、俺は電脳通信経由でバッグに忍ばせたaiPhoneからCoogle翻訳APIをコールした。
言語野とCoogle翻訳を接続し…俺が声を発しようとしたらCoogle翻訳結果を中国語に変換するようにScriptを組む。
そして…
「(中国語でクソ長いフラペチーノの品名をペラペラ話す)」
中国語わからない俺の、その口、及び肺、及び喉がCoogleのAPIにより筋肉制御されて滅茶苦茶に流暢な中国語がでている。俺自身、何て言ってるのかわからないけど、1つだけ言えることはCoogle先生すげぇ…。
店員は驚いていた。
俺が流暢な中国語を話したからか?日本人だと気づかれた前提で、それを話せば驚かされるが…いや、驚いたのはこんなクソ長い品名をスラスラと言ってのけた俺に対してだろう。
店員が俺に言う。
「(何かの中国語)」
おっと!!
ヤバイ。
話すところだけCoogle翻訳APIと接続していた。聞くところも接続せねば…俺は素早く脳内で中国語→日本語翻訳もScriptを組んでおく。そして「もう一度お願いします」と中国語で話した。
『店内でお召し上がりですか?』
よし。翻訳完了ゥ…。
『はい』
よくよく考えていたら、こういう準備をしておけばメイリンが何を言ってるのかもわかったかもしれないな。ったく、今気づいたぜ…ま、これも全部CoogleとaiPhoneによる電脳通信連携のお陰なんだけどね。
さて、俺のフラペチーノは作るのに時間が掛かるから席に座って待っておけと言われ、店内を見渡す。
最初に気づいたのはこのスタバ、東京などにある古いタイプの店とおんなじだってことだ。慌ただしいサラリーマンなどの僅かな休憩時間を癒してくれるをコンセプトにして席数は多めに、本棚だとかテーブルだとか、ソファなんてのも置かない。コンセントとソロ用テーブルがあるだけの店か。これじゃ他の店(ドトォールとかタリーヌ)と変わらないじゃん…この店舗も日本の他店を追従して欲しいな。
しかし、ドヤリスト達には力が入ってるようだ。
タンクトップで汚らしいズボンを履いた男、日焼けした肌がまた、アジアで暮らしてます感を漂わせているが、そいつがMappleストアのバッグをテーブルの隣に通行の邪魔になるレベルで下ろしていて、テーブルの上にはiMapが置いてある…それは店の備品じゃなくて、たった今買ってきました的なものだ。なにせコードの周りを巻いているプラスティックのビニールがついた状態だからな。ほんと、こんなのが日本にいたら「アイタタタタ…」な印象をあたえる。
周りの客は様々な国の人間なわけだが、中国産のヤバイ人間を見てしまったという顔で、なるべく関わらないように離れて座っている。
しかし、ドヤリストである俺はこの男を評価しよう。
10点満点中の5点だ。
まずMappleストアで買い物をしてきました感が3点、そして普通は店内ではノートブックタイプのMapBookAirやMapBookProを使うものだけれど、デスクトップを使っている点が1点、そして、周囲に自分自身を主張するタンクトップに汚らしいズボンという点が1点。
俺は男の近くを通って何をしているのかチラ見する。
ほほぉ…XCodexが起動されてるぞ。
もう2点追加しちゃおうかな?
うッ…。
クッ…セェ…。
臭い!!カブトムシのバター焼きみたいな臭い…つまり、何日も風呂に入ってない系の臭いがするゥゥ!!!周囲の客が離れていったのもこのせいか!!ヤバイ!!コイツはヤバすぎる!!
XCodexで何してんだろと思ったらコイツ、ゲームのハッキング用プログラム作ってんじゃん!ネトゲで金稼ぐ奴が使うマクロのソフトだ!
『何をやってんだ!!どけ!!糞野郎!!』
突然叫びだす男。中国語が翻訳されて日本語で頭の中に響く。
うわぁ…同業者のマクロ使いっぽいキャラに向かってリアルで怒鳴り散らしているぞ。
最悪だ…減点。マイナス20点。
…ったく、こんなのがスタバにいるなんて最悪だ。他のスタバ民も低く見られてしまうぞ。まぁ他のスタバ民は様々な国から香港へ出張してきてるサラリーマンっぽいのが多いから、一見様なんだろう。
白人に黒人にアジア系に…。
おや、アメリカ人ぽいのが笑顔で俺のほうを見て手を振っている。
アメ公はどこでも自国の言葉が通じると思ってるフシがあるからな、無視だ。無視。翻訳ソフトは入れてませんよ。
「いやぁ、奇遇だな!」
そう微笑みながらそのメリケン男は重ったらしそうなスーツケースを持って立ち上がって俺が今しがた座った席にやってくるではないか。何が奇遇だよ、俺はお前なんて知らない。アジア人だから中国人と見られていい、英語は話せそうにないって思わないのか?
無条件に話しかけて来やがる。
…ん?英語の翻訳ソフトは入れてないぞ。
「蓮宝議員の護衛はしなくていいのかな?」
って、コイツはコーネリアが護衛する事になってるメリケンの代表者じゃないか!!!
『ゲェッ!!』
俺は思わずゲェッと口に出して、それが中国語に翻訳されて、
「哎呀!!」
アニメ声で口から出た。
『おや、君は中国語が話せるのか?』
中国語で流暢に話すメリケン男。
『Coogleの中国語翻訳を入れてるだけです…』
「そうか!あれは素晴らしいね、私も愛用しているよ」
「こんなところで何をしてるんですか?」
「ホテルの食事も屋台の食事もあわないんだ。アメリカの食事が食べれるのはここいらではスターバックスカフェしかないようだ」
俺は慌てて周囲を見渡してコーネリアの姿を探す。最初に店に入る時に確認したから奴は来てない…はずだ。しかし、このメリケンがいるとなると護衛にいる可能性が高い。また俺がボッチでいるところを学校で話されると厄介だからな…。
「コーネリアは?」
メイケンは肩をすくめてから言う。
「彼女はホテルで薄い本を見てるよ」
「…」
「ところで、君は今は時間はあるかい?」
「えーっと…」
店員が俺の注文した長ったらしい名前のフラペチーノを持ってきた。それを見て理解したのかメリケンは手で「どうぞ」のジェスチャー
「これを飲み終わるまでは時間はありませんけど…それからなら。日本側の護衛のあたしに、何か用事ですか?」
訝しげな目で俺はそう尋ねると、
「ちょっと行ってみたい場所があるんだが、コーネリアはご多分に漏れずホテルだし、心細いので君に一緒に来てもらおうと思ったんだが…まぁ、別に構わないよ。行こうと思えば私一人でも行ける。君のドヤリングの邪魔をするのはギルティだしね」
クソッ…俺がドヤリストである事がバレている。
「いいですよ。一緒に行きますよ…」
仕方なく俺は了承した。そう、ドヤリストドヤリングをしている、と、周囲にバレるのは嫌いなのだ。もうバレた時点で『演じている』こともバレているわけで、続ければそれは恥ずかしい行為なだけだ。