173 ナニモノにもなれないワタシ 6

「体育会系?私が?」
佐村河内小保子は俺にそう言った。
自覚なんてものはないらしい。
「みんながみんな貧乏な国と、貧富の差はあるけれど貧乏ではない国…どちらの人間が不幸と感じているか、わかる?」
「…」
「人は自分の近くに自分よりも金や、地位や、名誉を持っている人間がいると、自分を不幸だと感じる。今日行きていけるか、死ぬか、そんな経済状況に見舞われている国に住む人達よりも、隣の家が自分の家よりも金持ちだと気づいた人間のほうが自分を不幸だと感じる。そう。彼らは競争しているんだよ。自分が何を持っているかじゃなく、何を持っていないかで評価している。他人と自分を比較してどっちが上なのかばかり考えている。愚かで醜くて哀れでバカな人間。中身が何もない、薄っぺらい、そんな自分を必死に大きく見せようとプライドだけは高い。そういう人間を『体育会系』って呼ぶんだよ」
「…」
「何が努力だよ…。アンタが必死にさっきから言ってる『努力したら報われる』って言葉を盛んに使っているのは、アンタのような『体育会系』なんだよ。自分たちの能力の無さを『努力』や『根性』って言葉で曖昧にして必死にボロボロのプライドを守りながら生きてる。夜遅くまで『頑張った』んだから、結果はダメでも認めてくれって?バカな事を言わないでよ。どんなに頑張っても結果は結果なんだよ。アンタのような人間がいるから『努力しなくてもできる』人達が正しく評価されない社会になってるんでしょ?企業面接で受かったらそれまでで、資格試験に合格したらそれまでで、その為に購入して本棚に積み上げられた本達が可哀想だよ。アンタは、人類の英知を冒涜している…この人間の世界は、アンタのように富と名声を得られればいいと願っている愚かで醜くて哀れでバカな人間のものではないんだよ」
「それが…それが人間でしょうが?!そうじゃないの?!」
「違う。それは人間じゃない。ただの『動物』だよ…あなたの隣の人は、富や名声欲しさにドロイドを作っていると本気で思ってるの?」
佐村河内はナツコを見た。
「だって…そうでしょう?」
ナツコは首を横に振った。
「それが体育会系と人間の違いだよ。半人間と、人間の違いなんだよ。本当に素晴らしい物を創りだす人間というのは努力なんて最初っからしない。他の人から見たら努力だと思われる事を、なんら苦痛を感じずにやってのける。そういうのを見て無能な人間どもはこう言う…『努力すれば報われる』自分も必死に頑張って苦痛を味わえば、高みに近づけると、そうやって自分の心を必死に救済しようとする」
「…」
「でも本当は全然違う。…本人は、ただ好きだから、それを愛しているからやっているだけなのに、それを見た心の貧しい人は妬んで羨んで、得られる富と名声欲しさに必死に自分にムチ打ち挑もうとする」
「…」
「ナツコは家ではスプラッタービデオを見てる。人が悲鳴をあげて死ぬのを見るのが一番好き。ドロイドの運動性能をあげようとしているのは残酷に人間を殺すのが好きだから。自分は女で力も弱く人間の社会では人を殺せば法律に反する。だから力の強いドロイドに戦争で人殺しを正当的な理由でさせている」
そこでナツコ、「おいおいおいおいオマエ、突然なんて事を言いだすんだよクソ野郎…」という表情をしている。
俺は構わず続ける。
「最初っから誰かと自分を比較しようなんて思ってない。そこにあるのは『好き』という欲求。『愛』という感情。あなたには『好き』がない。『愛』がない。ナツコが好きでドロイド開発をしてるのに対して、あなたはドロイド開発を自分が他人に認めてもらえる手段として用いているだけ。そこには『愛』なんてない。『好き』なんてない。『好き』がない人間は薄っぺらい。空っぽなんだよ。体育会系の人間は、空っぽな人間は、それを埋め合わせるために誰かに勝たなければならない。勝って勝って勝ちまくって名声を手に入れなければならない。自分は空っぽじゃないんだと、社会に認めさせなければならない」
「…やめて…」
「そうでなければ存在価値が無くなってしまうから。でも空っぽだから何をしても他人の真似ばかり。他人を見て真似て真似できれば超えたと錯覚する。中身が空っぽだから手に入れてもすぐに欲しがる。常に飢えている。何をしても人生は面白いと感じない。
「もうやめて…もう…やめて」
「空っぽのあなたがどんなに優れた『物』を手に入れたとしても本体が空っぽなんだから幸せを感じることができるはずがない。幸せを感じる部分が空っぽなんだから、豚に真珠、猫に小判だよ。あなたの人生は空っぽである『不安』と、空っぽを満たそうとする『欲求』と、満たしたと錯覚した後の『安心』でしかない。そこに『幸せ』は存在しない!」
「ヤメテェェェェェエェェ!!!!」
佐村河内は地面に両膝をついた。
それはつまり、ナツコの額から銃を離したという事だった。
…つまり、もう立っていられないぐらいに酷く精神をぶん殴られたって事だった。頭の中をグチャグチャにされていたって事だった。既存の価値観を滅茶苦茶にぶち壊されたって事だった。
誰もがその行動を見守っていた。
佐村河内はその銃を自らの頭に向けてトリガーに手を添えた。
頬には大量の涙が伝っていた。
「佐村河内小保子…あなたは生き方を間違えた」
「…」
「あなたは自分が何をすれば幸せなのか、その判断を見誤った。何が幸せなのか、もう一度考えなよ。…自分が幸せなのかどうかを、他人と比較しなきゃいけないのは、それこそ一番不幸な事じゃないのかな?」
「…幸せだと思えば幸せなの?…ははっ…笑わせないでよ。そんなの、ただの自己満足じゃないの…」
「全ての幸せはただの自己満足…でも、それでいい。だから人生は素晴らしい。春に咲き乱れる花を観て嬉しく思い、夏に響くカエルの声に生命の息吹を感じ、秋に散る葉に哀愁を感じて、冬をじっと身を潜めて耐える力強さを学ぶ。ちょっと見方を変えるだけで何万通りもの幸せが得られる。探せば『好き』が沢山見つかる。あなたの『好き』を見つけなよ。それをどんどん好きになれば、それがいずれ、あなたの価値になる」
そこで佐村河内はハンドガンを地面に落とした。
警察に包囲される。
涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
それでも、俺の言葉を聞こうと目をジッと見つめてくる。
警察に腕を掴まれながらも。
「不幸か幸せかはあなたが決めること。あなたを幸せにするのは他人じゃない…あなた自身」
佐村河内小保子は、俺の言葉を最後まで聞いてから、呟くような小さな声で言った。
「ありがとう」
…。
…。
それから、一連の騒動は終わって1週間ぐらいは過ぎた。
学校でナツコが財布の中から名刺を沢山並べてた。
その1つを俺に見せた。
「わたくし、人の顔を名前は覚えられませんから、名刺を貰っていた事も忘れていましたわ。3枚も。最低でも3回はお会いしていたんですのね。…そういえば、名刺配りに必死でしたわ。私に名刺をくださった時も当たり障りのない会話をしてきましたわ。でも目はどこか遠くを見てて他人から言われる言葉に怯えてて、今すぐにでもここから立ち去りたい…そんな風に思っているようでしたわ」
「ナツコの事を尊敬していたんだよ」
「え?」
「そういうところが鈍感だなぁ…ケイスケと一緒で」
「殺そうとしたんですよ?わたくしを」
「一番尊敬していた人に酷く罵られると、人間ってのはいとも簡単に精神がやられてしまうもんなんだよ」
「え、だって…」
「ナツコはドロイド開発が好きでやってるから、周囲の人間は見えてないんだよ。ま、天才っていうのはそういうもんだけどね。きっと今までも尊敬の念を抱いてナツコに近づこうとしたんだけれど、色々な偶然と理由が重なって結果的にこうなってしまったんじゃないかな」
「…そういえば…」
「?」
「名刺配りをしている時、今すぐにでもここから立ち去りたいような焦りがあったはずなのに、わたくしと話す時だけは表情を崩していらしていたわ…」
「ほら。そういうことだよ。コミュ障な人はわかんないけれど、ちょっとメールを無視されたからってショックで自殺するような人間だっているんだから…」
「…それはさすがに…。あぁ、そうだ。わたくし、キミカさんに言おうと思っていたことがありましたのよ?」
「お礼なら身体でお願いします」
「…」
「え?」
「お礼ではありませんわ。文句ですわ!」
「ナツコがあたしに文句言うなんて珍しいね」
「キミカさん、佐村河内さんの説得の時、『幸せになるには自分で幸せの形を自分で決める』…そうおっしゃいましたけれど、それが出来るほど、人は強くはありませんことよ?。それが出来るのは一部の限られた人間だけですわ」
「へ?限られた人間って、休みの日にはMBA片手にスタバでドヤリングしてることが幸せだと感じているあたしの事かな?…特別な存在だとか思わないでよ。学校じゃぼっちなんだから」
「きっと、それが幸せになる秘訣なんだと思いますわ」
「あ…あぁ、そうか…」
ナツコはクスっと笑った。
そして、言う。
「だから、誰にでも出来るような簡単な事じゃないんだと思います。1人で生きていくのはつらいですから…自由にはなれますけれど」
そう言ってナツコは遠くを見つめた。
寂しそうな目で。