173 ナニモノにもなれないワタシ 5

急いで屋上へとあがる階段。
途中から警察の人間が揃いも揃ってつっかえている状態だ。
ヘリの音が聞こえる。
俺とソンヒとマコトは彼らを掻き分けて屋上へと出た。
異様な光景だった。
ヘリが最低でも2機は空を巡回し、何人もの警察のスナイパーがそこから照準を向けて、ヘリのライトが地面を照らしている。そして先ほど暇そうにあくびをしていた刑事が『相手』に向かって話している。
そう。
ライトが照らされる先にはナツコと佐村河内小保子が居た。
佐村河内はナツコの頭にピッタリとハンドガンをつけていつでも撃てる状態にしていた。その位置がマフィアやヤクザが銃弾の発射速度に自信を持って、ある程度の距離を設けるのとは違う。ピッタリと、一ミリも隙間なしにくっつけている。
そうだ。
奴はドロイドバスターである俺が、ナツコを人質にとられた状態でも奪還可能であると踏んで、絶対に奪還できないようピッタリと頭にハンドガンの銃口をくっつけたのだ。
いわゆる、ドロイドバスター対策ってやつだ。
時を止めるぐらいの力がない限り奪還はできない。
「少し目を離した隙にやられた…まさかマスコミに混じって逃げて、石見博士を連れて行かれるとは…」
と刑事は言う。
「言い訳は結構です」
と俺は返す。
刑事は佐村河内に言う。
「スナイパーが何人も君を狙っている。少しでもおかしい動きをすれば射撃するよう命令がされている。ここいらで考えなおさないか?こんなことをしても何も解決しない。お母さんもお父さんも悲しんでいるよ」
セオリーどおりの説得だ…こんなので転がるようなタマじゃない。
「ソンヒ。ドロイドバスターじゃなくて普通の人間ならどれぐらいの時間で蘇生できるの?」
「うわぁぁぁ…キミカ、まさかナツコの頭に銃弾が突き刺さった状態で蘇生をウリに依頼するつもりニカァァ?!人間の蘇生はドロイドバスターよりも難しいニダ!!第一、頭に弾丸が突き刺さったら人が高確率で死ぬニダ!!死んだ人間はどんなに蘇生させても元には戻らないニダ!」
「き、キミカちゃん…ど、どうすればいいのかな?」
「交渉するしかないじゃんか!!」
「こ、交渉?!」
しかし、俺は一瞬でも刑事のほうを見てみた時に、あぁ、コイツはダメだァと思っていたのはさっきのセオリー通りの交渉でわかる。アレは本人に刺激を与えないようにする事しかしてない。
交渉ってのは考えを改めなおさせるわけだから、結局刺激を与える事以外にはないんだよ。そもそも本人が自分が嫌々やってる時にしかそういう手段は使えない…と思う。
俺の彼女(キリカ)がたまたまここにいれば、交渉どころか幻覚を見せて人質を奪還できるのにな…クッソォ…。
俺は刑事達よりも前に進み出た。
「刺激するような事を言っちゃダメだぞ!」
という刑事のクソみたいなアドバイスを背中に受けながら…。
ナツコが銃を頭につきつけられながらも言う。
「キミカさんは人質をとっても屈しませんわ。ドロイドバスターの中でも冷血で合理主義者ですわ。人質ごと相手を殺すような人ですわ!あなたなんて蚊を殺すぐらいにしか思っていませんわ!!」
っておいおいおいおい…俺はどんな酷い奴なんだよォ…。
それを鼻で笑ってから佐村河内は言う。
「私は別に殺されても構わない。死ぬ前に一矢報いるつもりだから!!…私のような人間はゴマンといる。あなたのような才能と幸運に恵まれた人間が、私のようなゴミみたいな人間に殺されるなんて、なんて社会的損失が大きいんでしょうかしらね?!」
泣きはらしたのだろうか、佐村河内の目は真っ赤になっていた。
俺は武器を持たなかった。そりゃ奴が銃を撃ってきたらそれこそその一瞬をついて奴を始末できるからな…だけれど、ドロイドバスターをよく研究しているよ。一瞬の隙をも見せなかった。
ピッタリとナツコの額に銃をつけたままだ。
俺は空を見上げて言う。
「ヘリが周回してアンタの命を狙ってる。日本中がテレビ中継でコレを見ている。これが望みなの?アンタが叶えたかった夢がコレ?」
背後から「キミカ君!!相手を感情的にさせちゃダメだよ!」という刑事の声…が感情を揺さぶらなきゃ心変わりなんてしないだろう。もうやるだけだ。やってみるだけだ…コミュ障の俺に交渉ができるか知らないけれど、やるしかない。ナツコは命の恩人の妹だからな…。
「は?これが夢なわけないでしょう?!」
「名声が欲しかったんでしょう?」
「誰だってそうよ…誰だって。ドロイドバスター・キミカ。あなたのようなヒーローで人気者で超人離れした力を持っている存在には、どんなに頑張ってもわからないことよ」
「中身が何もない、薄っぺらい人間だよ。アンタは」
緊張が走る。
俺の一言は刑事達の視線を一斉に俺に向けるのに十分な力を持っていた。アレだけ犯人を刺激するなって言ってたのに刺激しちまってるからな。しかし…消毒ってのは刺激が強いほど効いてるのよ…たぶん。
「あなたにはわからない。人間はね、大抵そうなのよ。中身がなんにもない、薄っぺらい存在…最後の最後まで誰かに存在を知られることなくただ生きて死んでいく存在…何者にも…なれない存在なの」
最後は涙で正しく発音すらされない。
佐村河内はさっきの記者に言われた言葉を繰り返した。
それから言う。
「あなたには私は薄っぺらくて中身が何もない存在に見えるでしょう?そうよ。何の取り柄もない、毎日不安でしょうがない。何のために生まれてきたか、何のために生きているのかすらわからなくなる…」
スキが出来るかと睨んでても全く隙ができない…。
クソ。マジでナツコを殺して自分も死ぬつもりなのか?
佐村河内は続ける。
「よく『努力すれば報われる』なんて言葉を偉そうに口にする連中がいる…努力した人間に送られるプレゼントのような言葉。とても残酷な言葉…だってそうでしょう?努力すれば報われるのなら、成功しない人間は『努力してない』事になる。何が『努力すれば報われる』よ…何が『才能は自分で磨いていくもの』よ!!!たまたま努力したら報われる環境にあって、たまたま才能を磨けるような環境にあったからじゃない!!私は産まれた時から父親が居なかった。母親1人で育ててくれた。家はずっと貧乏だった。生きていくのに…精一杯だった。そんな人間はただその日を生きていくのに時間を使うだけなのよ!!父親が元南軍の総司令官、兄は天才生物学者…そして何にも努力していないのに、日本を代表するドロイド兵器開発者。金も地位も名誉も、全てを持っている。石見夏子!!アンタの事よ!!努力するだけの時間があって、磨くだけの環境があって、それを実現するだけの金も人脈もある…おまけに今はこうしてヒーローであるドロイドバスターに守ってもらってる…。才能っていうのはね、生まれてきた環境に宿っているものなのよ!!」
俺は刑事に言う。
「ヘリを退けさせて」
「し、しかし…」
「どうせスナイパー配置しててもナツコは守れないんでしょ?!」
「…」
「あいつがナツコを撃ったらあたしがあいつを始末するよ。早くヘリを退けさせて。ああやって犯人もあたしも人質も急かすのが、結果的にこの場を刺激してるってのわかんないの?!」
「…わかった。ヘリを退けさせよう」
ヘリが空の遠く、遠くへと消えていく。
後に響く音はビルの屋上へ流れる夜風だけだった。
佐村河内はもう枯れているんじゃないかっていうぐらいの瞳から涙がポロポロと溢れだしている。
「そうよ。ドロイドバスター・キミカ。あなたの言うとおり。私には何もない。中身が何もない、薄っぺらい人間。マスコミの記者が言ったように『何者にもなれない存在』でも、それは私だけじゃない。この世界にいる殆どの人がそうなのよ…最後まで誰にもその存在を知られることなく朽ちていくの。だったら…奪うしかないじゃない!!誰かの名声を奪うしか、私が幸せになる方法はないじゃないのよ!!」
今の言葉の中、『奪う』という言葉で佐村河内のハンドガンのトリガーが強く握られた。一瞬ナツコの命を奪うのだと思ってかなり焦った…が、まだトリガーは引かなかった。
もう、一か八かだ。
引いてダメなら、押すしかない。
俺は静かに言った。
「あたしは、体育会系の人間が嫌いなんだよ。
「…」
「聞こえなかったようだから、もう一度言うね。あ・ん・た・の・よ・うな、体・育・会・系・の・人・間・が、大・嫌・い・なんだよ」
戦慄が走った。
警察もマコトもソンヒも、俺を、核爆弾のスイッチの横でダンスを踊るマジキチ大統領を見るような目で見ていた。