170 にぃぁ放送局 11

俺は思わず椅子から転げ落ちた。
椅子から転げ落ちるのは普段からそうしているので例えそれが早朝4時であってもマコトも、それからそろそろ眠りについているナツコも気にもしない。あぁ、またキミカが椅子から転げ落ちる三枝師匠のギャグをやったのね、的に思うことはあっても気になって見に来ることはない。
が、しかし。
しかしだ。
…よりにもよって鬼女板かよ!
2chで最も濃いところじゃないか!!
何かの拍子にキレたかと思ったら不買運動とか始めて『どうせネットの力だから大した影響力はない』とかニュー速民とかVIPPERが思っててマスコミですらヘラヘラ笑ってたら、マジで日本中の奥様方が不買運動を闇ではじめてて、朝鮮企業であり日本企業でもあるスントリーのソウルマッコリを商品から消し去った実績がある、鬼女板じゃないか。
ヤベェ…ヤベェよ…。
…っていうかよく見ると小町にも通信してるぞおいおいおいおい!!
発言は?!
コイツ、どんな変な書き込みしてんだ?!
…発言は…。
ない。
ないぞ。見てるだけだ。
「ふぅぅぅ…」
俺は思わず深い溜息を吐いた。
ついぞこの前、AIとしてこの世に誕生した我が子のような存在が、いきなり小町だとか鬼女板を見るだけでもゾっとするのにコメントとかレスを書いてたらお父さんマジで椅子から転げ落ちちゃうよ。三枝師匠の真似とかそういうレベルじゃなくて受け身取れなくて肩の骨折っちゃうよ。
それにしても…だ。
クソッ!!
なんでこんな簡単な事に気付かなかったんだ!!
AIが通信を始めた時点でログを全部とっておくべきだった!!!素人だから俺はAIは何も動かないだろうなんて勝手に決めつけてた!!!!
動いてる。
しかも鬼女板とか見てる。発言小町も見てる。芸能人ヲチ板とかも見てるぞ…マジかよ、VIPPERニュー速民もドン引きの女向け3大嫉妬サイトじゃないか!!ヤバイ、やばすぎるぞこのAI…。
し、しかし…このまま通信を止めるのはなんかアレだし、このまま成長を見守ろう。俺の投げかけにも答えれる日が来るかもしれない。
えっと…ちなみに今見てるのは…。
ふむふむ。
元・スモーニング娘が自分の娘の弁当を公開してるサイト、それから鬼女板を往復しているな。鬼女板には『また嘘ついてる』『このお弁当の具材、どこのスーパーで買ったのか特定します』『特定しました。やっぱり普段行ってるミニマムヴァリュー八丁堀店ですね』『証拠はあります?』『店で聞いたところ、元・スモーニング娘が普段から弁当のおかずを買いに来てるらしいです。普段からレシートを捨ててるみたいでゴミ箱漁ったら出てきました。完全に弁当のおかずと一致します(レシートの写真)』
…ひ…ヒヒ……ウヒィィィィィィィィィィィィィ!!!
また鬼女が無意味なスパイ能力を発揮してるよゥゥ!!
生きていく上で全然必要のないどぉぉぉーーーでもいい事なのに血眼になって批判してるゥゥゥゥゥゥ!!
と、とりあえず。
俺はその日は結果的に不眠不休のまま、学校へ向かうことになった。
登校時間まで何をしていたかと言えば、家で俺の部屋にあるWiFi機器の中でAIWatchこと、AIがネット通信している内容をロギングする仕組みをつくろうとしてたってことだ。奮闘したものの結局時間足らずで作り損ねて取り敢えずはAI Watchこと黒の腕時計のような腕輪のようなものを手につけて登校することにしたわけだけれど。
放課後。
俺は今朝の出来事を、まずシドに報告した。
「なるほどな」
腕を組んで俺の話を聞いていたシドはそう言った。
「鬼女板を見たとかあるの!?…っていうかAIが学習する上で普通そういうことはじめにするもんなの?!」
「まずはAIがどういうタイプのものか、って俺が言ったろ?このAIは諜報活動を主に行うスパイ用のAIだったのかもしれない…と思った。それか女性タイプのAIだな。自分が何者なのかは分からないが、何に興味があるのかはわかる。だから興味があるものについて調べてたわけだろう」
「元・スモーニング娘が娘に作る弁当が作ってるんじゃなくてスーパーで買い集めて温めただけのものだった、ってことに興味深々のAIィィィィ?!どんだけ陰湿なんだよォォォォォ!!」
「他の人にとってはどーでもいいことだけれど、本人にとっては大切な事が沢山あるってのは、お前ならわかるだろ?」
「そりゃ…そうだけど…まだ生まれたばかりの状態なのに?」
「そうとは限らないぜ?前も言ったけれど、予め基礎知識が入ってる状態なのかもしれないしな。ま、どうして基礎知識入っててお前と会話しないのかはわからないけれどな」
「絶対にあたしの事が嫌いなんだよォォォォ!!鬼女なんだから自分より可愛い女の子が嫌いに決まってんじゃん!!ヒィィ!!」
「それは本当に自分が何者なのかわからずに模索してるか」
「う〜ん…とりあえず様子見はしてみるけれど、何か害があるようなら消したほうがいいかもしれない…」
結論。
それは『様子見』だった。
子の将来を親が決める権利はないように、こうやって何もせずとも自分で学んで…これが学んでいると読んでいいのか知らないけれど、学んで成長していってるわけだから俺が指図するのはどうかな。とは、シドの話を聞いてみて思った。
ただ、鬼女板を見ていたとか小町でトピックスに上がっている代表的なものを見ていたとかインパクトがある話題があったからすっかり俺は忘れてしまっているけれど、にぃぁの吐いている『にゃんにゃん』という意味不明な鳴き声…それにはちゃんと意味があったということだ。それは本当に興味深く、不思議で、そして…ちょっと怖ろしい。
俺がしたことは正しかったのか?
それとも間違ってたのか?
正解は無いけれど、一つだけ言えるのは他の人が触れない部分に、俺が触れているということだ。数ある生きていく上で意味のないものの中の一つに俺が触れたということだ。
とりあえずは俺はそういう収穫を得た…という事にしておこう。
…。
ん?
校門のところで俺をじっと見ている女の子がいる。
見れば眼帯をしているではないか。キリカか。
「いよぉーぅ」
俺は手を振る。
キリカも嬉しそうに僅かに微笑んで手を振る。
それから、
「昨日、キミカには悪いと思ったけれど私なりに調べてみた」
「調べてみた?にぃぁの声の正体?」
「そうそう。それで…」
言い掛けて、止まる。
笑顔がなくなり何かを警戒しているような緊張した顔に変わるキリカ。そして、その視線はジッと1点を見つめていた。
俺が手首にしている黒い腕輪を。
そう、この腕輪…Coogle Watchをキリカにお披露目するのは今回が始めてだ。今までは家の机の上に置いたままの状態にしておいたのだ。なにせなんも反応が無かったから持ってても意味が無いと思って。
さてはデジモノを集めてるキリカはこの腕輪…Coogle Watchが気になりますかぁ?確かにMapple信者でもあるから魅力を感じるのはわからなくもない。なんだかんだ言ってもCoogleはMappleを追従しているからな。デザインセンスにしかり、機能にしかり、人をワクワクさせてくれるのは両社とも同じなのだ。
「あ、これェ?(ドヤ顔)ま、高いけれどね、シド先輩があたしに貸してくれたんだよォ〜。あたしも買おうと思えば買えるんだけれど(ドヤ顔)電脳化してるから買ってもお蔵入りになっちゃいそうd」
「どこで手に入れたの?」
「いや、だからシド先輩に、」
「中に何が入ってるの?」
キリカは真面目な表情は一切崩さなかった。
そして眼帯の前でいつものVサインを作って、腕輪を見つめる。
「中に何が入ってるって、そりゃぁ…前に言ったじゃん。AIが入ってるんだよ。MPU記憶媒体の中に入れたの。にぃぁの鳴き声を分析した結果出てきたバイナリデータを入れて起動したの」
「中に…生物は入ってない?」
「え?は、入ってないよ。これ、電子機器だよ?」
「この腕輪…ソウルリンクがある」
「え?」
「この腕輪は…アカーシャクロニクルと接続されている…こんなの見たことが無い。幽霊が取り付いてるのとは違う、この腕輪、魂があって、アカーシャクロニクルに接続されてて…つまり、生きてる」
「え…ちょっ、まさか、だってこれバッテリーで動いてるんだよ?中にはMPUが入ってて、そこにデータ入れたのはあたしだし、」
「昨日、気になって調べてた。にぃぁの声の正体…。最初に石見先生の記憶を見た時はモヤがかかって見れなかったけれど、病院に入院したその日からだんだん見えるようになってきた。にぃぁの声は適当なデータを音声に変えて排出してるわけじゃないの」
つい最近まで扱ったけれど、この頃、夕方は特に寒くなった。
それ以上に寒気がする。
喉の奥までカラッカラになった。
「…」
(ゴクリ)
そのカラッカラの喉に精一杯の水分を送る俺。
「石見博士は事故の後、にぃぁの体に細工をしてる。アカーシャ・クロニクルからの情報をラジオ放送みたいに、猫の鳴き声に変換して垂れ流しにしてた。どうしてそんな事をしてたのか…それは多分、そうするのが『アカーシャクロニクルとの接続が切れない唯一の方法』だったから。アカーシャ・クロニクルとの接続が魂が存在しない状態で繋がってる『モノ』それがにぃぁだった」
「えっと…その、じゃあ、コレは…これは、つまり、なんなの?」
俺が無意識に『コレ』と読んだ腕輪…Coogle Watchをキリカの前に突き出すと、無意識にキリカは身体を後ろに除けた。
まるでヤバそうなモノを見るような、焦り。
「わ、わからない…」
そう言った。
額を汗がゆっくりと降りてくる。
俺にも、キリカにも。
「…」
「キミカ…一体、何をしたの?」
何をしたのか、俺にもわからない。
いや、一つだけわかるとしたら…。
俺は…。
俺は、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。