170 にぃぁ放送局 8

俺を『ニワカ』だとか『ドヤリスト』だとか言って罵っていた先輩の男…それは本名を志藤大輝(しどう・だいき)と言った。
俺が男だった時よりも背は高く、身体も俺が男だった時よりもガッシリしている。俺が男だった時なら喧嘩をしたらまず勝てそうにない。ちなみに今の俺なら喧嘩をしたら勝てるが、女の子が男の子と喧嘩をするほど絵にならないものはない。
こんなガタイだからか本棚と本棚の間にいなけりゃこの図書室ではかなり目立っていたことだろうに…。しかし、これだけスポーツ系の身体をしていながらもスポーツ系の部活ではない、らしい。
そしてアダ名はシド。
日本人の癖にいい身体をしているからか?
なんでそう呼ばれてるのかと言うと、彼はこの学校で唯一の機械科工学のドロイド工学を部活にしてしまった人間だからだ。で、部員は彼1人で普段から放課後は工場でドロイドを作っている。そんな彼を見たクラスメートは某ゲームで様々なものを開発する『シド』というキャラクターとたまたま彼の苗字『志藤』を被せて『シド』と呼ぶようになった。
しかし…日本人でモノ造りが旨い人にはもうちょっと気の利いた、例えば平賀源内の源内からとって『ゲンさん』とかあるだろうに。それはアゴなしゲンとオレ物語のゲンさんと被っちゃうからだダメなのか?
まぁ、某ゲームのキャラクターは身体はわりとムキムキボディであったし、偶然にも志藤もムキムキボディだから被せたというのもある。
志藤こと、シドは言う。
「ドロイドにはAIを搭載するんだけど、どういうのがいいのかを適当なのを入れるよりもAIとは何かっていうのをちゃんと勉強してから入れようと思ったんだよ。ま、見ての通り俺はどっちかっていうと体育会系の脳味噌が筋肉でできてるほうの開発者だからな、入門書から探さないといけない。見ているうちに興味が湧いてきて今ではリバース・エンジニアリングの本も読みあさっているわけよ」
「それは脳筋とは違いますね」
バッサリと俺が遮ると、シドは肩をすくめて返す。
「いや、脳筋さ。俺が一番嫌いなのは頭でっかちの人間だ。自分が知らないうちに自分がそういう人間になってしまうところだった。このまま放っておけば知識だけひけらかして自慢する信念も何もないクソみたいな人間になっちまう。そんな人間はコンピュータと記憶媒体の登場でクソになっちまった。用なしクソ野郎だ」
「あたしは知識を得ることは全然いいことだと思いますけど」
「そうか?いつまでも本業しないでこんなところで本を読みあさっているのは結果的にネトゲして時間潰してるのと同じで有益じゃない時間の使い方だと思うがな」
「お陰であたしの迷っていたところに光が差してきました」
「…」
「それで、先輩の意見を聞かせてください」
本棚から幾つか本を取り出したシドはテーブルの上にそれを置いて、
「そのソースファイルは持ってきてるか?」
「えぇ、クラウドに入れてます」
「何か見れるデバイスはあるか?」
俺はaiPadを広げていくらか操作して、今朝にはCoogleAnalyzerが完全に終わらせたリバース・エンジニアリング後のjavaソースを開いた。テーブルの上にはホログラム表示されたソースが並ぶ。
シドは俺の目の前に本を広げた。
AIこと、人工知能…つまり、ニューラルネットワーク・プログラミングについての本。その中のページを開くと脳の神経細胞シナプスの構図、その隣に『ハブ』と呼ばれるニューラルネットワークの中にあるプログラムの単位、そして『リンク』と呼ばれるハブとハブを結合する線がある。専門書ではニューラルネットワークが人間の脳の中にある構造をシステム化する過程を図解説明しているようだ。
「おそらくだがお前が見つけたjavaの各クラスは『ハブ』だ。で、メソッドは『リンク』だな。メンバー変数…プロパティとかは記憶素子…『アイテム』のようだな」
そしてシドはaiPadを俺よりも華麗な手さばきで操作し、ニューラルネットワークがどのように機能しているのかを示す解説サイトを開く。
ニューラルネットワークでは数えきれないぐらいのこういうハブが複雑に絡みついて、入力された状況を幾つものハブが判断して結果を出力する。エントリーポイントがないってのがピンと来たんだよ。確かにニューラルネットワークにはエントリーポイントがない。プログラムと違って上から順に実行されるわけじゃなくて、そこに既にニューラルネットワークが存在して複数のハブのアイテムに情報がインプットされるわけだからな。情報を必ず使うわけでもない…記憶や経験を使う場合もある」
しかし…驚いたな。
ニューラルネットワークだとしたらにぃぁの言葉が全て収集しなくても動くわけだ。まぁ、ばあさんがボケて孫の名前を忘れる程度には色々欠落するとは思うけれども、人間の脳ってのは凄くて、そうやって一分が欠落してもある程度は動き続ける。
問題なのは…。
「仮にこれがニューラルネットワークだったとして、これを逆アセンブル…リバース・エンジニアリングすることはできるんですか?」
CoogleAnalyzerが解析できないのなら何か便利なリバース・エンジニアリングツールがあるのかな?専門的な分野の。
「…ん〜。そりゃぁ…できるけれど。っていうか、そもそも、お前はリバース・エンジニアリングするのが目的なのか?」
「え?」
突拍子もない事を言われて俺は拍子抜けする。
そもそも解析するのが俺の使命…だったはず。
「そりゃできるっちゃぁできるけれど、大量のハブとアイテムとリンクの集合体だぞ。それがわかったところでどうなるんだ?」
「どうって…あたしがしたかったのは『にゃんにゃん』っていうのがどういう意味だったのか…」
「だからな、例えば、仮にだ。仮に、今、お前の目の前には『128TB』もの容量の脳味噌が置いてあるわけだ。それが何を意味しているのかを脳味噌を解析していくのか?それが近道なのか?」
「あぁ〜…つまり、リバース・エンジニアリングしたところで滅茶苦茶難しいんじゃないの?って話ですか?」
「あぁ」
「出来るには出来るんですね」
「できるけれど、あんまり意味が無い」
「じゃあ、どうやって脳味噌の中に何があるのかを見るんです?一番知りたいのはそこなのに」
「お前は俺と話をするときに、俺の脳味噌の中をいちいち覗かないと俺が言っている意味がわからないのか?」
え?
それは…つまり…。
「この、プログラム…いや、ニューラルネットワークを起動するって事ですか?そんな事ができるんですか?」
シドは首を横に振った。
『出来ない』って意味じゃないな、これは。
「お前は俺が何を出来るのかも知らないのに、まるで俺が出来ないかのような言い方をするんだな?」
「いえ…それは…。すいません」
「いいよ、面白そうだ。よく考えると面白そうじゃねぇか。俺のやりたい事からは外れてるけれども、寄り道としては面白そうだ。どこかで拾った意味不明なルールに基づく羅列が、実はニューラルネットワーク・プログラミングで造られたバイナリデータで、今からそれを起動するのか!背筋がゾッとするぐらい面白そうだ!やってやるよ!」
そう言ってマッチョなシドは幾つもの重量のある本をヒョイヒョイ持ち上げて本棚に運びながら、俺を見て親指をクイッと後ろに押し上げ、
「今から俺の『アトリエ』に案内してやる」
そう言った。