164 ジャーナリズム 5

俺は家に帰っていた。
マコトもケイスケも俺の無事を泣いて喜んだのち、俺の腕が無くなっているのを見て驚いてそのまま意識を失う結果となっていた。
ただ、ケイスケ曰く腕は培養液の中で新しく創りだすから問題はない、しばらくの間は片手だけでオナニーするしかないけれど、などと付け加えていた。
そしてその日の夜。
久々に味わう俺の部屋…Map Proを起動して見るサイトは国民投票サイトだった。相変わらず開戦派が過半数…いや、大多数になっていた。
このまま戦争へと突入するのだろうか。
国会中継には復帰した安倍議員が松葉杖をついた様子で現れて議員達からは拍手が起きていたが、それでも相変わらず過半数は開戦派だった。久々に国会の中で会う総理と議員は疲れた表情で薄く笑い合っていたが暫くすると再び席へと戻って厳しい表情になった。
俺達の努力も、おそらくは総理がしたであろう努力も虚しく、日本は開戦への道を歩んでいた。それを何もすることができずただ椅子に座って見ている…そういう表情だった。
もう、あの国会の中で、安倍議員や総理が開戦に反対する理由はないのだろう。というよりも何かコメントする理由はない。どちらの意見を言っても国民には受け入れて貰えない。
少なくとも今の彼女らの意見は。
俺はエルナから預かっていたマイクロチップを机の上に丁寧に置いた。
エルナの声が俺の記憶から読み起こされる。
「これ…私が持っていても没収されるだけだし、キミカさんに預けます…どうするかは、キミカさんが決めてください…別に捨ててしまっても…いいです」
そう言って俺に渡したマイクロチップ
それはCoogleグラスが捉えた映像が詰まっている。
エルナと俺達が過ごした中国での行動全てが。
エルナが所属する会社はチャンネル椿だ。
その立場上、中国に行って中国人であるファリンと共に過ごした日々は、チャンネル椿が報じる事ができないだろう…。ニュー速板のスレッドにはチャンネル椿の報じたニュースが幾つかあり、それらはどれもが、開戦を支持する同社の姿勢を表す情報だった。
俺は悩んだけれども、これを捨ててしまうのは俺達やファリンが過ごしたあの日々を永久に封印するような気がした。そんな気がして、俺は今までずっとこれを捨てれないでしたし、そして今も、このマイクロチップ・リーダーに挿入しようとしている。
サイトに接続した。
YouTubeだ。
並んでいるのは中国の重慶市で起きた反政府軍による愚行。
アメリカの衛星や、現地の知識人が捉えた反政府軍による大量殺戮兵器使用の証拠。
もちろん…現地の知識人で今、生きている人間は居ないだろう。
アップロードのボタンを押した。
マイクロチップ内の映像がネットにアップロードできる形へと補正・変換されながら、YouTubeにアップロードされていく。
その過程で俺はその映像に収められたものを見ることになった。
エルナの視点だ。
朝鮮のあたりの映像から、重慶市内で俺達が戦闘を開始したところ…そして、そこからエルナと合流し、トラックで旅をする映像。反日デモ
ファリンの頬から伝わる涙がCoogleグラスに捉えられている。
「中国人は、みんな、馬鹿」
運転しながらファリンはそう言った。
「少しでも優れた人間がいたら引き摺り落とそうとする。いつも誰かを妬んでばかり…何も学ばない。映画の中で中国4000年の栄光がとか、馬鹿ばかり…何が4000年だ。嘘の歴史、みんな嘘ばかり。私ももう一度生まれるなら、生まれる場所、選べるなら、日本に生まれたかった…深夜アニメとか見たかった。コミケとか行ってみたかった」
そんなことを涙ながらに話しているファリン。
そこには国は紛争や政治は関係ない。
ただ一人の中国人が日本に憧れ、自らの国を恥じているだけだった。
「馬鹿だけど…みんな、生きてる」
そう行ってファリンは涙を流していた。
そしてシーンは切り替わった。
ファリンの実家で料理を振る舞ってくれるファリンの家族の映像。
寝ているファリンや俺の顔の映像。
エルナが親戚や家族と遊んでいる映像。
クマのぬいぐるみに入っている安倍議員と遊ぼうと言っている親戚の子供達の映像。
夜には寝ている俺やタエの顔を映像に収めていた。その映像の中にはエルナの姿もあったから、おそらくはファリンがエルナにCoogleグラスを借りて撮影していたのだろう。
俺が投稿した映像はどんどん視聴者数を伸ばしていった。
日本の人口をも超えていたから恐らく世界中が見ているのだろう。ほんの数日前、中国、重慶で起きた事件…その事件に巻き込まれた当事者達が体験した映像なのだから。
シーンは切り替わった。
牢屋の様な場所だ。
そこで涙を流しながら中国語でファリンが話している…。
エルナを相手に中国語で?
何を言ってるんだ?
ここは…もしかして…。
あぁ…。
そうだ。
ここは不知火の基地の1つだ。
俺達が不知火と共に行動した時、エルナとファリンは部外者だからそのまま連行され、地下牢かどこかへと囚われたのだ。
ファリンの中国語は何を言っているのかわからなかったが、リアルタイムで俺がアップロードした映像にどこかの親切な中国人が日本語に訳してくれていた。
「父さん、母さん、おばあちゃん、おじいちゃん、今まで育ててくれてありがとう」
ファリンは涙ながらにそう言っていている。
それはビデオレターというものだった。
恐らく、もう不知火に連行された時に殺されると思ったんだろう。
死ぬ前にと生きている自分の最後の映像を残しておこうとした…皮肉なことに、その映像は両親も祖母も、祖父も見ることがなかった。
「風邪に気をつけて」とか「これから中国は大変なことになるだろうから、逃げて」とか…そのような伝えたい事だけを残している。自らが殺されることよりも誰かのことを心配する、そんな姿がそこにあった。
そしてシーンは俺達が中国を脱したあの日、トラックの中に切り替わった。
喧騒の中、ファリンが囚われてエルナが叫んだ。
そして銃声が響いた。
頭を撃ち抜かれて、そのまま横たわるファリンの映像がそこにある。
「馬鹿だけど…みんな、生きてる」
俺の脳裏にはそのメッセージが強く残されていた。
そのメッセージをかき消すような喧騒が、映像の中に響いていた。
もうそろそろアップロードが終わる。
最後、俺が意識を失っていた間の映像がある。
タエが泣いていた。
顔を手で覆って、
「助けられなかった」
そう呟いた。
エルナが撮っているのを気づくと、
「撮るな」
そう言った。
映像のアップロードは終わった。
YouTubeの視聴者数はどんどん伸びていった。
俺達は命からがら中国から逃げてきたが、同じその口で『こんな国無くなってしまえばいい』とはいえない。少しでもそんなことを思い浮かべたらファリンの顔が脳裏に浮かぶのだ。
「馬鹿だけど…みんな、生きてる」
彼女が流した涙は、どうしようもない今の状態に向かって流した涙だ。
解決しようがない問題を前にして
「生きているんだ」
「生きたいんだ」
生物として当たり前のことを言っただけだ。
…。
突然、俺のaiPhoneが鳴り響いた。
着信…しかも非通知だ。
『誰?』
電話にでる。
『お願いしたいことがあるんだけど…』
この声…。
スカーレットじゃないか。
デジャブを感じた。
俺が中国への任務へと向かう前にもスカーレットから電話が掛かってきたから。
『…と思っていのだけれど、貴方は私がやりたかったことを代わりにやってくれたわ。だからお礼を言わせて。ありがとう』
電話は俺が反応する間もなく、一方的に切れた。
いつも突然に電話を掛けてきて人が理解する間もなく切るんだな。
ったく…。
お礼?
マイクロチップ・リーダーからチップを引き抜いた。
これのことか?
暫くして俺は国民投票のサイトに再び接続した。
もし…。
もし俺がアップロードした映像を見ても日本国民が戦争への道を選ぶのなら、俺は何も言わない。きっとそれだけの事件なのだ。
でも俺はこれを誰かに見せたかった。
見てから決めてもらいたかった。
中国という国と、中国人という人々を。
全てを理解した上で決断したのなら、それがきっと正しい決断なのだから。
国民投票の結果を見た。
過半数
過半数が中国との戦争を反対し、投票は締め切れられた。