163 三十六計逃げるに如かず 3

確かに誰も居なかった。
ついぞ1日ほど前にはここはデモ隊や住民でごった返していたのに、今、俺達の目の前には誰も居ない。誰も、生きているものは居ない。都市高速の道路から少し下へ見下ろすと何故、誰も居ないのかはっきりした。
「おいおい…つか、どういう事だよ、これ」
タエが口を開いた。
死体の山だった。
死体と言っても形が人を物語っているものは一部しかない。
身体からは水分が抜けて風化して軽く吹き飛ばせば砂の埃になってしまいそうな、そのような状態。そんな死体の中でもまだ一部に水分が残っている場合は、ガスなのか液体なのか得体の知れない生物兵器に『曝された』部分だけが砂状に分解され、水分が残っている箇所はまだミイラ化した死体程度の存在感はある。それでも、死んでいることには変わりない。
それらが影になっているところに集まっているのは、おそらくは何らかの生物兵器が使用された時に、無意識にだろうが影に逃げ込んだんだろう。その箇所だけは砂と人間が集合した『何か』になっている。
とにかく、それらは異様な光景だった。
これだけ大量に人が死んでいるのに、死臭は漂っていない。
もとより重慶を含めて中国は大気が滞留しやすいから十分に空気は汚いのだけれど、それでも、人が居ないことがまるで良効果でもあるかのように以前よりも空気が澄んでいる。
全員が言葉を失った。
あれだけ中国を見下していた安倍議員さえも、あまりの殺戮ぶりにコメントしようがない。もうジョークすら通り越して人知を超えている状況なのだ。人知を超えたような状況には普通の人間は何もアウトプットを出せない。なぜなら、まだインプットすらできていないからだ。
この状況で最初に口を開いたのはファリンだった。
「父さん、母さんところに行く」
震える声でそう言う。
「ンなことしてる場合じゃねぇだろ…」
タエがそれを制止する。
確かに俺達は今からすぐにでもここから脱出しなければならないし、それが俺達にとってのゴールだった。でも、タエのその一言には建前としてはそうだけれども、裏には本音がある。
こんな惨状になっていて助かっているはずがない。と。
親の死体を、しかも人としての原型を留めていないような死体をファリンに見せたいとは思わないのだ。
「でも、まだ生きてるかも、しれない」
ファリンは続ける。
もう涙声だった。
「生きてないってさっき言っただろ…聞いてたのかよ。ちゃんと。もうこの地域半径10キロぐらいは生物はいないんだよ」
「逃げ切れたかもしれない!」
「逃げ切れてたら…逃げ切れてたら、また会えるだろ。ファリン、アンタさ、ウチ等についてくるとき、どういう気持ちで親と別れてきたんだよ?こうなることだって想定してたんだろ?」
ポロポロとファリンの頬へ溢れる涙。
クマのぬいぐるみを操作する小鳥遊だけは死体などを触ったり、息を吹きかけて壊したりなどをしている。
暫くそうした後に小鳥遊は俺達の元へと戻り、言う。
有機物を分解するタイプのマイクロマシン兵器が使用されたようだね」
冷静にそう言った。
それからぬいぐるみの手につけた白い粉上の…おそらくは死体の成れの果てを俺達に見せてから、
「分解されて炭…炭素になっている」
そう言った。
焦土作戦っていうやつ?」
俺が小鳥遊にそう聞くと、
「いや、そうじゃないと思う」
小鳥遊はそう答えた。
詳しい説明は議員がしてくれた。
国家主席の処刑はおそらくは重慶市民向けなのだ」
「えと、つまり、最終通告ってこと?」
「貧富の差を味わってきた『貧』の側からすれば所謂報復になっている。こんな事をしなくとも重慶は落とせたが周囲の人間は納得しないのだ。『貧』の多くを占める人間は。最終通告後、大量殺戮兵器を使った。そしてこの都市は一旦はクリーンな状態にしてから、再構築する」
間に小鳥遊が補足を入れる。
「おそらく、その頃には『重慶市民を殺したのは李国家主席』ってことになっているだろうね。中国の歴史上は」
「うむ。そうなるのがストーリーとして組み込まれていたのなら、どうせ殺すのなら無残な殺し方をしようとする」
その間にタエは悪態でもつくような勢いで、
「都市の一つや二つで自分達の歴史を塗り替えれるのなら安いもんだってことか。ったく、マジで信じらんねぇ〜…ありぇねぇよ、人の命をゴミみたいに思ってるんじゃないのか?」
そう言った。
しかしそれは俺達に向かってではなく、これらの殺戮を行ったであろう首謀者へ向かってだ。無人のビルが続く果てへと向かって言うのなら、その声は方角さえ合っているのなら、言ったことにはなるだろう。
「ゴミ…なら、ゴミという意味での存在はあるだろうね。でも、ゴミですらない。存在を消して土へと還したんだよ。そうすることで情報を完全に封鎖するつもりだったんだ」
クマのぬいぐるみは冷静にそう言う。
エルナは影になっている部分に集まった死体達を指さして言う。
「どうして、みなさん影のほうへと集まっているんです…?」
それには小鳥遊が答えた。
「この兵器は熱源を元にして活性化するんだ。おそらく太陽の光が熱源になっているから、冷たいところへ集まろうとしたんじゃないかな。人としての本能として…それよりも、そろそろ忙しくなる頃だよ」
「来た…ってことか」
タエが静かに言う。
遥か遠く、高く、空の上で何かが高速に通り過ぎるような音がする。
「反政府組織の早期警戒機が1機、今通り過ぎた。ここから東に50キロの地点の飛行場に地上部隊が展開している。かなりの数だよ」
「ンで、そいつらはいつここに来るんだ?」
タエが怒鳴る勢いで小鳥遊に聞く。
「向こうにこちらの存在がバレた」
「だから!いつ来るんだよ!」
「今から1分後」
「はぇぇよ!!」
「ここの2ブロック先に部隊が転送されてる」
「またそのパターンかよ!!」