162 脱出経路 4

トラックは朝から走っていた。
砂埃を巻き上げて。
凸凹の整備が行き届いていない道はもう通りすぎて、いよいよアスファルトによる舗装すらない道になっている。何年も雨が降っていないのかトラックの後方に砂埃が巻き上がる事は勿論だが前方ですらも巻き上がる準備をしているかのように風が吹き荒れてる。
崖の間を進み、桟橋を渡り、荒野を走って、崖の間を進み、橋のない川を渡る。
そんなことを幾度と無く繰り返した。
突然トラックは停まったのだ。
エンジンはまだ動いているからブレーキを踏んだというのが正しいだろう。
ファリンは道案内をしていた助手席のほうのタエを見て言う。
「もうこの先は何もない」
そういえばこの道をくる途中に何やら黄色の標識のようなものが並んでいたような気がする。日本のようにマークが施されて言葉が通じない人間でも理解可能なように、という風にはなっておらず、まぁ、かろうじて黄色であるところは同じだが、あとは中国語で何やら書かれていたので俺には理解できなかったんだ。
ファリンにはそれが『このさきは通行止め』のように見えたんだろう。
タエが言う。
「いいから進むんだよ。こっちで道はあってる」
「でも…」
山の中腹、峠に差し掛かっていた。
さっきの標識に書かれていた意味は恐らく『崖崩れ』じゃないか。
そう思ったのはこの道路…と呼べるものでもないけれども、そこら中に山の上から転げ落ちてきたであろう石が散乱していたからだ。そして、俺達が進むに連れて石の大きさは無視できないサイズになっている。
過去に大きな地震が起きて、その後、石をどけるだけの人も重機も提供できなかったのではないかと思える。
渋々ファリンはアクセルを踏んだ。
石やら岩やらの断片をトラックのタイヤが踏みつけながら進む。パキンだのゴキンだのタイヤが石を粉砕する音が聞こえたり、トラックの片方だけが宙に持ち上げられるように浮かんだり、その度に後部座席の俺達は身体をくっつけたり離したり、ドアに寄りかかったりもする。
…。
再び、トラックは停まった。
俺達の目の前には通行止めと今度こそ明らかにわかるような鎖と中国語による警告。道路は封鎖されていた。そして、その鎖の前には思いっきり山から土砂が流れ落ちてきていて、谷の遥か下には錆びついたトラックが数台転がっている。
ファリンは再び隣で道案内をしているタエを見て、
「もうこれ以上進めない!」
そう言った。
重力波を検知した。
空間がねじ曲がる。
タエの右手の前の辺りの空間が。
「いいから進むんだよ」
俺の目の前にはタエがどこからか取り出したハンドガンを構え、ファリンに向けている光景が広がっていた。おそらくは今の重力波は物質を転送させたんだろう。ハンドガンという物質をどこからかこの地球上の特定の場所から。
「そんなことしなくたって!」
そう言って止めに入ろうとしたのはエルナだ。
「悪ぃな、とりあえずこうしなきゃいけないんでね」
タエは静かにそう言った。
それから、
「アクセルを踏みなよ。大丈夫、谷底に転げ落ちたりはしないよ」
ファリンはゆっくりとアクセルを踏んだ。
ジワジワと進むトラック…しかし、タエの言うとおりにファリンがトラックを進めてもハンドガンを下ろすような気配は見せない。
あと1メートルかそこらで土砂の上にトラックが乗り上げて、ひっくり返り、谷底へと転げ落ちるかと思ったその瞬間、俺達の乗るトラックはその土砂の中へと突入した。…そう、車は土砂を貫通してまるでハリボテの中へと突入するかのように、整備された道路へと出たのだ。
「ど、どうなってる?」
慌てているファリン。
「そのまま、真っ直ぐだ」
銃を突きつけながら静かに言うタエ。
ホログラム…?
今のはどう考えても人為的なものだ。本当に目の前に瓦礫があるような、土砂崩れが起きていたかのような飾りが施していた。実際にここに辿り着くまでの途中は土砂が散見された。
でも今、俺達が走っている道路は今まで来た道とは違って舗装されているのだ。
「なんだか、中国の道路違う」
ファリンは震える声で言う。
その道は検問所のような場所に続いていた。
検問所を過ぎるとトンネルがある。
…人がいる。
「ど、どうなってるんですかァ…?」
窓にほっぺをくっつけて周囲をキョロキョロと見るエルナ。
まるでここに来ることを事前に知っていたかのように冷静に外を見ているくまの人形…安倍議員。知らされてないのは俺とエルナとファリンだけか?
トラックは再び停まった。
検問所だ。
…っていうか何だコイツ等…銃を持っているので軍人だとは思ったけれど中国軍ではない…顔には冗談にも思える和製の面を被っているのだ。
窓を開けると助手席のほうに座っているタエに向かって兵士と思しき男は言う。
「このまままっすぐ進んでください」
…日本語だ。
随分と一般人の日本語は聞いてなかったから懐かしく感じた。
とても中国人が勉強して話していたとは思えない、流暢な日本語だ。
「ほら、言われたろ。まっすぐだ」
ファリンに向かって言うタエ。
ファリンは震えている。
「こんなとこ、中国にあったなんて…」
銃を向けたまま、無言のタエ。
トラックはトンネルををいよいよ抜けた。
そして、俺は目を疑った。
ここは…中国の奥地だよな?
さっきまで荒野と山と川しかなかったのに…。
どこなんだ?ここは?
どこの…『国』なんだ?
舗装された道路はそのままに、滑走路のようなものがいくつか設置されている。ジガバチと呼ばれている地対空ドロイドが数体、その滑走路の周囲を周回している。そして滑走路上にはアサルトシップがいつでも飛び立てるような状態で宙に浮いている。
道路脇には多脚戦車タイプのドロイドや、多脚戦車そのものがある。ただ並べてあるだけじゃない、電源はオンの状態で兵士が乗り降りしているのだ。さっきの面を被った兵士だけじゃなくて整備をしていると思われる作業着を着た人々もいる。
飛行場と思しき場所をグラウンドとしても使っているようで、兵士達は列を揃えてマラソンをしている。さすがに彼らは面を被ってはいないが、見慣れない中国産トラックがゆっくりと坂を降りてくるのは視線を集めるのに十分な要素だった。
「な、なんで中国の中、どうして…こんな基地がある?!」
唯一知っているであろうタエに聞いているファリン。
無言。
タエはファリンの質問に答える気はないようだった。
トラックがその『基地』と思しき場所のちょうど真ん中辺りにある建物の前のロータリーに来た時に、少なくともこの場所がどの国なのか、俺にも分かった。
ロータリーの中心には国旗が飾られている。
日本の国旗が。
しかし、その隣には見慣れない旗があるのだ。
炎の上に鬼の面を書いたような絵面。
そこでようやく、くまのぬいぐるみの中の安倍議員が口を開いた。
「大戦時中、中央軍の傘下に『関東軍』という、希望者のみで構成された部隊が置かれていた。大陸での戦闘を有利に勧める為に諜報活動を行うが、そのサポートとして一躍を担っていたのは彼ら彼女らだったのだ。あくまで都市伝説なのだが…休戦協定が結ばれたあとも密かに活動を続けている部隊が存在しておる。その1つに、中央軍司令官直属の部隊がいたと言われておる…たしか名前を『不知火』と呼んでおったな」
トラックは武装した兵士達に包囲されていた。しかしその銃口は俺や議員ではなく、ファリンや一般人であるエルナにのみ向けられていた。
助手席のタエは銃をファリンに向けたまま、ゆっくりと路上に降りて言う。
「長旅、お疲れさん。ここが『脱出経路』だよ』