161 アカーシャ・クロニクル 1

「21グラム…その理由を当時の化学では証明できなかった」
その男、明智教授は言う。
目の前の装置を操作しながら。
すると彼の目の前にホログラムが現れて様々なデータが表示される。
「んー!んんー!!!」
何かくぐもったような声で叫ぶ誰かがいる。
見れば巨大な試験官のような密閉された場所にアジア系の女と思わしき人間が閉じ込められている。手は紐で結ばれて口にはガムテープが3、4枚貼られている。
「化学の為に犠牲はつきものだよ、どんな時代でもね」
そう言って明智教授は安っぽい液晶パネルを女に向ける。
何かを見せようとしてるのか?
これがただの幻なら俺はズカズカと踏み入ったところで『これらの事実』に変化はないだろう。だから躊躇なく研究室内を進んで、女が見せられているであろう何かを俺は確認した。
…家族の写真か?
雰囲気的には日本のどこかで日本人の家族だ。
「家族に会いたいか?」
ニヤけながらそう言う明智教授は、もう殺人鬼の顔そのものだった。まるでわざと女性を怖がらせようとしているかのようにだ。
「ンーッ!!」
「残念だがもう君は家族に会うことはできないだろう。後悔するがいい。日本から逃げ出してこんな遠い地で一人旅をする、そう思い立った時、君の運命は決まってしまった。揺るぎない死の運命だ」
その表情は先ほどのニヤケ面とは違う。
まるで悪い事をした子供を叱る時のような顔…。
教授は今まで大学で生徒を教えていた。
そんな中で女生徒に向かって、自らの身体を軽率に扱うんじゃない、などと言っていたのだろう、そんな光景が俺の脳裏に思い浮かんできた。しかし、それは風俗嬢に説教をするようなものだ。
彼は今から人を殺そうとしている。
そんな人間が殺す相手に説教なんて、甚だおかしな話だ。
もう一つおかしな事がある。
明智教授が自らの研究について、わけもわからない一般人に向かって説明していることだ。
これをなんと捉えるかって?
贖罪って奴だよ。
今から罪深いことを化学の為にする、しかし化学の発展に犠牲はつきものだと彼は言ったのだから、せめて自分がやろうとしていることを、まるで講義を聞きに来た学生に説明するように、話しているのだ。
「過去の研究者が21グラムを突き止めた時、彼らは人の死とは何なのかについてさらに研究を重ねた。その答えの断片は既に宗教の中で語られていた。『アカーシャ・クロニクル』だ」
こいつ…どこまで知ってるんだ?
俺の脳裏には最初にアカーシャ・クロニクルについてキリカから説明を受けたあの日の事が、あの日の言葉が浮かんでは消えていく。
そこに明智教授の言葉が重なってくる。
「『アカーシャ・クロニクル』、英語読みするならアカシック・レコード。この世の全ての情報が記録されている『何か』。生命の死を研究することは生命の誕生を研究することに等しい。ある者は我々人間を含めた生命は宇宙の一つの法則によって動いていると言った。DNAも進化も、全てが宇宙の法則なのだと。笑える話だろう?」
「ンーッ!!」
「彼らは宇宙について研究してきた、だから宇宙の常識の中でしかDNAも進化も、DNAマップから生物が作成される仕組みも、説明できないのだよ。科学的にはとても『真っ当』さ、存在するものを使って証明する数学の試験と同じだ。しかし、そこに一つの落とし穴がある」
ホログラムには膨大な数の古文書のようなものが広げられていく。何かの宗教のドキュメントようなものか?
「この世の存在が確認されていないものから、存在が生み出されている事を証明することが出来ないのだ。無いものは証明できない。仮にDNAマップから生物を作成する仕組みが宇宙に存在しないものなら?彼らにはそれを証明することはできない。だから生命を宇宙の物理法則の一つとして捉えた。実にマヌケな話だ。幽霊は存在していない、何故なら私が見たことがないからだ…だから幽霊をプラズマや幻覚・幻聴で説明しようとする。彼らが失敗して私が失敗しないのは、私が存在しないものを信じているからだ」
ホログラムは俺に向けて、いや、これから殺されるであろう女性に向けて表示が切り替わった。
その巨大試験官の状態を図として表示している。
「これからこの密閉された試験管内には腐食性のガスが投入される。そのガスは空気よりも重いから君の足元から腐っていく。君の身体には麻酔が施してあるから、おそらくは胸のしたの辺りまで溶けても死ぬことはないだろう。その間、試験管内の様々な装置が観測し続ける…もちりん、その中には君の電脳の状態の観測も含まれている」
マジ…かよ。
言うが早く、茶色だか黄緑だかのガスが足元からゆっくりと流れていくのだ。腐食性のガスはまるで硫酸だか塩酸だかのように試験管内の女性の足をぶよぶよにする。
皮膚は剥がれ落ち、肉も溶け、骨が顕になる。
痛みはないのだろうが見ているだけでショック死しそうだ。
女性は白目を剥いている。
「走馬灯の仕組みを教えてあげよう。それは人の記憶というデータをアカシック・レコードが吸い上げているのだよ。君は今から帰るのだ…君や生命が来たであろう場所へ」
汗びっしょりになっている明智教授。
俺は奴の背後に回って、素人目にはわからないながらもホログラムに表示されているものをマジマジと見てみる。
わけのわからないグラフやら数値の表やらの中に俺にも分かるものがある。それは映像の断片を補正したようなものだ。
記憶だ。
今、死にゆくバックパッカーの女性の記憶が、電脳を通じてホログラムに表示されている。
人生においての様々な印象に残るシーンだ。
俺が見ても、それは印象に残るようなものではないものも多くある。だけれど、本人にとってはそれは大切な記憶の一つなのだ。
それが時を遡るように過去に向かって流れていく。
周りの人間がどんどん若くなっていくからそう思える。
そして、最後の記録の断片が示すのは、彼女が子供の頃、産まれて間もない頃の、彼女を見つめる両親の笑顔だった。