158 重慶の春 12

「おい、これはどういうことなのだ?」
静まり返った車内に幼女の声が響く。
トラックのエンジン音と時々クラッチが空回りする音、それから、
「…どういうことなのだ?」
再び幼女の声。
しかし、先程のも合わせて『くぐもっている』
ソレもそのはずだ。
助手席には巨大なクマのぬいぐるみがあり、その中から幼女の声が響いてくるからだ。それ自体がそもそも異常な光景であるが、俺達は決して誰も笑ったりしなかった。
そうしなければならない理由があったからだ。
結局、あの後どうするかみんなで考えたあげく、
「変装すればいいんじゃないですか?!」
と目を輝かせてエルナが言ったのだ。と、言っても特殊メイクをするようなスタッフは居ないし、そんな道具もない。
するとエルナが再び、
「人形みたいな被り物の中に入ってたら誰にもわかりませんよ!」
などとテレビ番組で芸人に被り物させる司会者的な発言をするのだ。ネトウヨから愛されている幼女にそれをさせようとするのだ…。俺はつくずく、エルナは早死するんじゃね?と心の奥底で思ってしまった。
しかしタエは、
「ん〜…名案かもしれない」
と腕を組んで言う。
「ですよね!ですよね!」
と興奮するエルナに幼女は、
「この私にディズニーの夢を与えるスタッフの真似事でもさせるというのか…それなら最初っからスーツで来ないぞ!!」
当然のようにキレる幼女。
そりゃいくら危ないからって日中会談の席で着ぐるみしてたら、馬鹿にしてんのかレベルだ。
そんな話は無視して、タエは淡々と異次元空間から『着ぐるみ』らしき巨大な…といっても幼女の身体に合うぐらいのサイズのクマのぬいぐるみを出したのだ。普段からタエが持っているあのぬいぐるみの巨大バージョン…というところだけれど、人が着れるような感じじゃないな?これ、後ろにチャックみたいなのがないし。
すると、タエはどこから出したのかリモコンをぬいぐるみに向けてスイッチオン…。
「ちょっ…えぇぇぇええぇ?!」
俺は驚いた。
俺の目の前ではぬいぐるみがパカッと割れて中に人が乗れるようなスーツというかコックピットらしきものがあったのだ。
そして、今に至る。
幼女はそのぬいぐるみマシーンに乗って、その上で車の助手席に乗っているわけだ。
「菓子が食べたいのだ」
幼女が言う。
「口を開くっていう操作をするとクマが口を開くから、そのまま菓子を食べればいいよ」
タエが説明する。
しばらくすると幼女が言う。
「こうか?」
クマのぬいぐるみの口がアングっと開いて、クマのぬいぐるみの手に持っていたブラックサンダーを中へと放り込んだ。中では中で「むしゃむしゃ」という幼女がチョコに齧りつく音が聞こえてくる。
「凄い技術…」
そんな様子を横目で見ながら、ファリンは言った。
そんなトラックはどこへ移動しているのかと言えば、ここから近いという街へと移動する。途中は都市高速が走っていて、そこもお金持ちエリアで設備は整っていても使う人間はほとんどいない。
さっきPAに立ち寄った時は設備のいいトイレが『有料』だったのだ。金を持っている人はいいだろうが金をたまたま忘れた人とかはそこら辺でクソをするしかない、が、そもそもファリン曰く、金を忘れるような人間はこの街には来ないし、もちろん、金を持ってないような人間なんてこの街に居ない。とのことだ。
エリアを少しでも移動すれば『圏外』となっている通信電波状況についても改善されるものだと信じて…そう、さっきの襲撃を受けた時に何者かが通信施設を破壊したようなのだ。
ケーブル経由の通信はそれで出来なくなったが、それでも軍用の衛星回線はと俺もタエも色々と試しはしたが、やっぱりダメだった。
通信施設を破壊したってことは中国国内での通信をさせたくないからやったわけで、その目的から考えれば軍用回線なんて真っ先に切断するのが当たり前だ。俺が司令官ならまずそうする。
だからケーブル回線を頼りにしてた。
ほら、何かの映画では通信衛星が宇宙人に破壊された後でもケーブル通信はなんとかうまく繋がってて、モールス信号で反撃のチャンスをみんなに知らせたりしたじゃん?
隣の街で市販の回線に繋がればヨーロッパ経由とかで日本と通信出来て、2chVIP板で「いま中国だけど何か質問ある?」っていうスレ立てたり「アンカで中国人に色々とやってみるけど?」などとスレを立てたり、Twitterで「中国なぅアル」とかツイートしたりできるじゃないか。それから今週待つ放映予定だったアニメを見たりもできるし…まぁ、回線はヨーロッパ経由だからちょっと重いのはご愛嬌ってことで。
「んん?!」
隣でPSPを見ていたタエが突然、変な声をあげるのだ。
ゲームしてたと思ってたんだけど、なんか見てるのはテレビか何かの映像なのか?ネット通信できてるんじゃないのかね!!
「どしたの?」
「中国のテレビ局の電波を受信したんだけどさ、つか、これ、李国家主席じゃね?!」
車を停めるファリン。
それから、「見せて」と言っている。
車内でタエのPSPに映っている映像を皆で見る。
国家主席だ。
椅子に座らせられて縛られて、大勢に民衆に取り囲まれている。
それだけじゃない、体中があざと血だらけで暴行されたんだというのが伺える。
ファリンが中国語で何か呟いている。
番組はもちろん中国語なのだから俺達には何を言っているのかわからない。髪の長い、髭の長い巨漢の男が、縛られた李を前にして演説のようなことをしているようにも見える。
何かを叫ぶたびに民衆の歓声が場内に響いているのだ。
どこかの競技場後なのか?
「これは、オリンピック会場後だねぇ〜」
とクマのぬいぐるみの田中くんが言う。
それからクマのぬいぐるみの安倍くん、いや、安倍幼女議員が、
「よく見ておけ。これが中国の伝統『国クリア』だ」
そう言った。
ファリンが小さな悲鳴をあげた。
テレビの中では、髪と髭の長い男がハンドガンを持って、李国家主席に向けた。そして、何か中国語で呟いたのち、その手に持っているハンドガンの引き金を躊躇うこと無く引いた。
血飛沫。
それが空へと舞い上がって、風に舞う。
ピンクやら白やらの頭の『中身』が飛び散って、首も力なくガクンと項垂れる。さっきまで一緒に会談をしていた李、俺達の国に総理や議員に向かって土下座までやっていた李。しかしその築き上げた栄光も権威も一発の銃弾によって全てを失って、今はただの死体になっている。俺達が散々見てきた中国軍兵の死体のように。
その日、クーデター軍が政権を掌握した。