157 土下座外交 10

歴史の教科書の大戦の項目にはまずいちばん最初に『中国政府は中華思想に基づき、周辺国家への侵略を開始した』という文言が必ずあるのだ。そして、その項が終わるその時まで一度足りとも『内戦』というキーワードは出てこない。李国家主席語ったのは今まで中国が公には語らなかった前の大戦の真実だった。
「我が国では仮想敵国を定義することで国民を団結させてきた。古くからその仮想敵国として実際に過去、中国へ侵略を行った、大国日本を定義していた。その手法は別に中国に限った話ではない…ただ、他国と違うのは中国のような巨大で、国民の教育があまり進んでいない国でそれが行われたということだった」
幼女がツッコむ。
「自らの失政から国民の目を逸らさせようとする、まさに某国と同じだな。そもそも戦争の理由はそこにあるのではないか」
しかしそれに国家主席は反論した。
「それも全て、中国という国を一つにまとめる事が目的だった。元々、中国は様々な部族、民族が結合して出来た国で、過去を紐解けばその歴史は激しい領土争いと失政による分裂が繰り返し行われた血塗られた歴史だった。一つの国になれば同じ国の人間を殺してはならないと国民に理解させることができる。流れる血の量を減らせる。しかし…ようやく中華が統一された後も、幾度と無く内戦や分裂に見舞われた…あなた方がよく知る同盟国の台湾も、元々中国の国の一つだったのだ。あなた方の国と違って海という天然の国境があるわけではないから大規模に分裂してしまえば再び血が流れる。いかなる手段を用いても、それを阻止しなければならなかった。ある時は戦車で民衆を轢き殺したり、またある時は民衆の間に政府転覆を図るような思想家を殺害した。驚かないで頂きたい。内戦によって流れる血に比べれば遥かに少ない血だ」
ネットにたまにアップされるグロ画像にはそんなものがあったような気がする…戦車の前に抗議の為に座っている人をそのまま轢き殺したりしていたっけ…キャタピラの形に真っ赤な肉が変形してて、それでもまだ身体の一部が動いていた。
あんな残酷な事をしてまでも成さなければならないこと?
詭弁じゃないか。
「血の量に多い少ないがあるとは、反戦家が聞けば卒倒しそうな物言いだな…まぁ、中国の国家主席だから目を瞑れるが」
渋い顔をして翻訳されたアンドロイドからの言葉を聴いている国家主席。そしてその表情のまま安倍議員に向かって言い返す。
「それを考えなければならないのが、10億の民を束ねる中国政府の指名だ。1の死と10の死では1の死を取らざるえない…常人の考え方では理解できないだろう。私だって今の立場でなければ人が死ぬことをすんなりと受け入れられない」
「その1の死には他国の人間も含まれるのだろう?」
間髪入れずに幼女がツッコむ。
それから、前の大戦の事情を知っていると思われる柏田総理も国家主席に話している。
「世界経済が不安定になった事を皮切りにして国民の目は政府の失政に向くようになって、それを『反日』と叫ぶことで逸らすことに成功した。味をしめて何度か失政する都度、同じように叫んでいたらエスカレートしていき、ついには、コントロール不能に陥った。軍部が暴走し、大戦への火蓋が切って落とされた…というオチだな」
「まさにその通りだ」
本当に馬鹿の見本市だな…。
俺はてっきり中国政府が軍部へと指示をだしていたんだと思っていたんだけど、結局、民衆に脅されてやってたってことなのか?
もう馬鹿過ぎて話にならない。
はっきりいって政府が軍に指示をだして戦争を仕掛けていたっていうほうがまだ救いがある。誰が悪いのか明確だからだ。戦争で死んだ人間に顔向けできないほど醜悪な政治じゃないか。
と、俺は考えていたらこれをマジで言葉に出す馬鹿がいた。
俺の隣に。
「馬鹿の見本市だな。マジで笑えない」
言いやがった。タエが。
しかもちゃんとアンドロイドが通訳してるし。
国家主席はキッとタエのほうを睨んでから中国語で言う。
「中国の民衆を例えるのなら8割の馬鹿と2割の知識人だ。数でも力でも劣る2割の知識人が理性的に国民をコントロールしていることが、どれだけ綱渡りな政治か、民衆の9割が国政に参加できるほどの知識と理性的な性格を持っている日本人には到底理解できないだろう」
「あぁ!理解できないね!だからクソは肥溜めの中で静かにして欲しいっつてんの!周りの国に迷惑を掛けるな!」
「あなたは、あなたが言う『クソ』に向かって静かにしていろと命じて、その『クソ』が静かにしていると本当に思うのかね?」
「…」
「これが中国の現状だ。外貨を得て金持ちになって知識を得ると、この国がどれだけ救われない国なのか理解する。そして金を持って国外へ逃げる。最後は馬鹿で貧乏な民衆だけが残る。だからと言って国民に教育し少しでも発言権を持たせると政府の転覆を考え始めて国が分裂を起こす。過去の文化も思想も知識もそこでクリアされ一からやり直し。もし我々の国を救う方法があるのなら教えてほしい。その通りにやってみせよう。だが、あなた達の国の方法をそのまま中国に適用できない。我々中国人はあなた達とは違う」
「…」
「…」
安倍議員もタエも反論をしなかった。
だからといって全てに納得がいっているわけではない。ただ、俺も含めて答えは何も見いだせないのだ。
答えがないから、今も、中国はそうなんだろう。
「そして、安倍議員の質問へと戻るのだな」
話を割るように総理が言う。
「大戦の後、中国は実質3つの国に分裂した。対外的には中国は一つで、国交が今でも残っている国々では我々の代表が外交を行っている…が、実際は内戦に近い状態だ。その中の一つ一部の『中華思想』を信じる者達がクーデターを起こした。政府は転覆され軍は掌握された。今は国境線沿いに部隊を配備して事態は終息したとも見えるが…先手は打たねばならない。日本の協力が得られれば我々は我々の国と領土を守れる」
総理はため息をついてから言う。
「協力…?これが協力だと言えるのか?『日本を巻き込めば』の間違いだろう。先の大戦で、多くの日本人が血を流した。彼ら彼女らに『中国の内戦に巻き込んでしまってすまない』と言って誰が納得するのだ。その傷もまだ残るうちに、再び内戦をしようというのか」
「戦うのは我々だ。日本には誰が中国の代表であり、政府なのかを示してもらえればいい。どうか、助けてくれ」
国家主席はそう言って、椅子から立ち上がり、そのまま地面へと跪いた…そう、朝鮮でも見たあの光景が再びここでも。
タエはこれが見たかったからここにいるんだろう…。
でも、もう誰もそれを笑わなかった。
笑えなかった。
笑えないのだ。
中国の国家主席が日本の総理を前に土下座をするほど、逼迫した状況は、いずれ日本へ降り掛かってくる。これが笑えるのは日本に住んでいる人間ではないし、アジアに住んでいる人間でもない。
「それは…同じことだ。いずれ対岸の『火事』は橋を建設して堂々と我々の国へ侵攻してくるだろう」
土下座を前にしても総理は冷たく言い放った。
幼女が静かに言う。
「頭を上げるのだ、李国家主席。最初に言ったはずだ。この映像は国会で中継されている。そして我々では軽々しく決断は出来ない」
それから幼女は総理に向かって言う。
「こんな事は想定外だ。今すぐ結論を出さなければならないのではないのか?また戦争が始まってしまうぞ」
「議論しなければならない。我々人間は考える動物…感情に支配されてしまえば他の動物と同じ。ベストを尽くすことを諦めたら、流れるままの結末がある。流れを見極め、流れを操らなければならない」
どこかで聞いたことがある台詞だ。
俺の心眼道の師匠と考え方が似てるところがあるのか…。
いっぽうで土下座をしながら李国家主席は呟いたのだ。
中国語で。
暫くしてからアンドロイドがそれを翻訳する。
「もう対岸の火事ではない」
もう対岸の火事ではない…?
その時だった。
俺達のいる会議室の外、向かい側のビルのフロアが2、3フロアほど、真っ赤な光を放って爆発したのだ。
衝撃波で窓ガラスが一斉に白くなる…が、防弾なのかバリアが展開されているのか被害は殆どなかった。
だが、何かが起きたという事実は覆せなかった。