154 ハナガ…サイタ…ヨ… 6

キミカファンクラブ団員に教えてもらったストーリーは以下のようだ。
まず、俺は変態春日くんが「どーしてもキミカとデートしたい」と言ってるのを友達であるメイリン、コーネリアに聞いて、仕方なしにデートしてあげようという話になってる。
そして次に、デート中に幾度と無く『春日が変態であること』をバラそうとする邪魔者を登場させ、春日を焦らせる事を目的としてるので、俺はそれを知ってても知らないフリをすること。途中で「てめぇがあたしのスクール水着を勝手に着てた野郎か!」ってネタバラシしちゃダメ。あくまでも気づかないフリをすること。
デートの途中での会話は特に指定は無いが、必ず更衣室で自分のスクール水着が誰かに着られたという形跡があった、変態がいる、怖い、という旨の話を挟むこと。
手痛い目にあえば変態の春日も大人しくなるだろう、という算段だ。
校庭の桜の木の下で俺は待った…。
日が落ちるのもこの時期は遅くなり、冬の間はもう夕方だった同じ時間帯でも、まだ空は青空のまま、カラ梅雨なのか雨も振らずいい天気が彼方まで続いている。
「藤崎さ…ん」
げ。
来た。
いや、来るよな、そういう作戦になってるから…。
「あ、えっと…コーネリアとメイリンから聞いてるよ」
「は、はい、あ、あの、ありがとう…ございます」
とか言ってるけれどもすっごい違和感がある。何が違和感あるかって、そりゃ君、俺のスクール水着を下着代わりに着てるんだからさ、それを必死に隠そうとバッグを防弾チョッキみたいに身体の前に持ってきてるんだよ。
「どうしたの、そのバッグ…」
「え?!い、いや、な、なんでもない!なんでもないよ!」
「弾を防ぐの?」
「そ、そう!弾を防ごうかなって思って!」
本当かよ…。
「それじゃ、まずどこ行こっか」
「そ、そうだなぁ、本!本屋に行こう!」
というわけで、小一時間歩いて学校帰りに気軽に寄れるタイプの小さな書店へ。
基本的に俺は本は買わずにデータディスクをハマゾンやらで購入したり、aiTunesストアを利用して電子書籍を買ったりするわけで、紙媒体のものは触ることすらない。が、時々、電子化を免れてる古い本で価値のあるものが転がっていたりするから、価値が無いとはまでは思ってはいない。っていうわけで、物珍しく本屋の中をジロジロと見て回っていた。
「キミカさんは、あ、ご…ごめん」
「いいよ、名前で呼んでもらって」
更衣室でオナニーしてた時もキミカさんって叫んでたしな…!!
「キミカさんは本を読むの?」
「う〜ん…あんまり。漫画とかは読むけど」
「そ、そっか…」
そう言って春日は手に持っていた奇妙な表紙の本をそっと後ろに隠した。
「それは?」
俺はその本を指差して言う。
「あ、うん…これは『惡の華』。ボードレールって人の詩集だよ」
「詩集?ふぅ〜ん…その表紙は『このロリコンがぁ!』の妖怪みたいだね」
黒いモジャモジャのチンゲの塊みたいなものの真ん中には目玉が描かれてて、それが花である事が分かるように、枝や葉があり、地面に根を張っている。
「うん…それはよく言われる」
「春日くんはそういう本好きなんだ?」
そう俺が質問すると春日はしばらく考えた後、じっと『惡の華』と呼ばれる詩集を見てから、「うん。この本は、僕の内面を全て表してるようなものなんだ」と言った。
続けて言う。
「人それぞれが持ってる心の中に渦巻いてる欲望とか、そういうぐちゃぐちゃしたもの…。そういうものって、思春期の時に心のさらに深いところに無理に押し込まれてしまうじゃないか。そうやって人は、工場から出荷される製品みたいに『去勢』されて社会に出て行くんだ。だから僕、この本は去勢されていってしまった大人達の叫びのようにも見えてるんだ」
「去勢ねぇ〜…」
自分は他の人間とは異なるんだっていう、アレかな。
俺も自分以外の人間は実はロボットで世界には自分しか人間が居ないんじゃないかっていう変な妄想を抱いていた時があったっけ。小学生の時の話だけどさ。
「キミカさんは、将来はここから出て行くつもりなの?」
「え?」
突然何を言い出すんだ?
「将来、広島とか大阪とか、福岡とか…そういう都会で生活する予定なの?」
「ん〜…特には、そういう予定はないかな」
「じゃあ、学校を卒業してからも、山口に居るんだ…」
「ん…うん。そうなると思ってるけど…?」
…。
「僕は…早くこの街を出たいんだ」
「そうなんだ」
変態行為を他にもしてるからバレる前に出るってことか!!
「去勢された大人にはなりたくない…。この街で育って、将来もこの街にいたら、至る所に僕の事を知ってる人が居るってことなんだ。それは監視されてるようなものじゃないか…そうやってあるべき大人像であるか、監視されて生活していたくない」
今も監視されとるがな!!
お前のクラスメートがずーっとつけて睨んでるよ!!
「確かに、今もずっと見てるかもね。あはは…」
「そうだよ!キミカさんも気づいてる…?」
「さぁ?どうかな〜?」
「できるなら…僕は生まれ変わりたい。誰も僕の事を知らず、僕も誰も知らないような街で一からスタートしたいんだ。叶うのなら…だけど。でも僕にはお金もないし、きっと大人になってもこの街で暮らしていく事になるんだろうな」
なんてロマンスっぽい事言ってるぞおい、何が「誰も僕の事を知らない街で」だよ!そりゃ知られたくないわな!好きな女の子のスクール水着を着て金玉とチンコがポロリしちゃってるなんてさ!ケツにも食い込んでるんじゃないのか!!
金玉とチンコぽろりの春日くんはその状態でまだロマンスを並べている。
「人は誰もが何か失敗をやらかした時に全てをリセットして生まれ変わりたいって思ったりする。僕は今すぐにでも生まれ変わりたい。でも、そんなファンタジーを許さない僕も心の中に居るんだ。現実を直視して僕自身を社会の歯車に組み込もうとするもう一人の僕…」
社会の歯車の一つである事への葛藤。
それは俺も経験したことがある。
前にもモノローグで語ったことがあるけれども、俺にはかつて友達がいたんだ。いや、友達と言うべきか、ただのクラスメートと言うべきか。
彼がある夏休みの日。
彼の友達と共にどこか遊びに行こうとしているのを見てしまった。
勝手なことだけれども、俺は彼の事を『友達』だと思っていたから、その友達が俺と全然関係ない誰かと一緒にどこかへ遊びに言っているという状況…それは俺の世界を崩壊させるのに十分だった。子供心にそれはいわゆる嫉妬のようなものだとはわかっていた。
おそらくは、それが歯車だろう。
本来あるべき自分という理想の姿を脳は勝手に想像して、そこに収めようとする。
が、実際、俺はその友達に裏切られて、一緒に誘ってくれればいいものを関係ない他の誰かと遊びに行っていた。俺にとって『本来』その友達と共にどこかへ遊びに行くはずだったのに。その本来あるべきものと現実とのギャップに脳は苦悩する。
しかし…しかしである。
一体それに何の意味があるのだろうか。
例えば仮にマスコミが平均的な日本人像を創りだしたとしよう。
25歳ぐらいで結婚して30歳ぐらいでマイホームを建てて子供をもうける。一人は男の子で長男、一人は女の子で長女というバランスのとれた構成で、奥さんは専業主婦。35歳ぐらいで会社では課長になり、年収は2000万を超える…。
あたかも幸せそうな日本人像がテレビから流れてくる。
それが幸せですよと、そうなる為に頑張りましょうよと。
でも、本当にそれが幸せなのだろうか?
どこかの知らない誰かが勝手に定義した『幸せ』が万人にとって『幸せ』なのか?
子供心に考えてもそれはありえない事じゃないか。カレーが好きな子がいて、その子は世界中の誰もがカレーが好きだと言えるのか?カレーという料理すらない国もあるのに。
俺は夏休みのあの時間、友達が他の誰かと一緒に遊んでいて、それに嫉妬するべきではなかった。子供は目の前にある狭い世界が全てだから真っ暗闇に襲われてしまうんだ。
友達が居て友達と遊んでいる俺と、友達の居ない俺。
それを分け隔ててるのは寂しいという感覚と、世間一般から逸れているという感覚。
でも、俺がもっと賢ければ、もっと知識が深ければ、歯車の中に組み込まれる安心よりも歯車を飛び出して一人世界を歩いて行くスリルのほうを求めていたはずだ。
俺は静かに言う。
「目の前の世界が閉ざされてると、どうしても『それだけが世界の全て』だって思ってしまって、それを失うのが怖くて、ただ他人が好き勝手に言ってることに従順に従う事ってあるよ。実際に自分の足で飛び出してしまうと、あっさりとそれまでの世界は崩壊してしまうんだけど」
「え?…キミカさんも、この街の事が嫌いなの?」
「ち、違うよ。そういう意味じゃなくて、春日くんが見ているものが全てが、本当に『世界の全て』なのかって事だよ。勝手に自分でこれが全てだって思ってカラに閉じこもっていたら、今から広島だとか福岡に行ったとしても、結局、アパートの周りだけが世界の全てだって思ってまたカラに閉じこもる事になるんじゃないの?」
俺の問いかけに、春日は俯いている。
そして震えた声で言った。
「わからない…わからないよ。仮に今の僕がそんな状態だったとして、じゃあ、どうすればいいのかだなんて、今の僕にはわからないんだ…」
そう言って春日はボードレールの詩集『惡の華』を強く握っていた。