149 簀巻きラバー 11

次の休み時間、俺はすかさずキリカの背後へと近寄って思いっきり後ろからおっぱいを揉んだ。さっき俺が悲惨な目に会ってたのに見向きもしなかった罰だ。
「にぃぃぁぁぁぁぁぁああ!!」
可愛い叫び声をあげるキリカ。
普段寡黙なキリカがそんな可愛い声をあげるので教室は一斉にキリカのほうを見る。と、俺がうしろからおっぱいを揉んでいたので、あぁ、いつものことかとまた談笑を再開するクラスメート達。
「絶対に許さない…キミカ…許さない」
「落ち着いて聞いてよ!!」
「おっぱいを揉まれた後に落ち着いて聞くとかないから!」
「真面目な話なんだよ!」
「口寄せ…『蛇王心眼:アンダーウォーター・ヴォイドフィンガー』」
「待て待て待て待てェ!!」
キリカが眼帯を取ろうとしていたのでそれを止める俺。
と、ここで俺が『アカシック・レコードについての話』というキーワードを放ったもんだから、一応は大人しくなった。ふぅふぅと鼻息を荒くしていたキリカだったが落ち着いた。
…。
俺はこの数日の間に起きたユウカ妹についての話をしたのだ。
腕を組んでうーんと唸った後、キリカは、
「『ユウカ妹』ってさっきから言ってるけれど、名前はなんていう?」
「え?そりゃ、名前は…えっと、なんだっけ?早見、なんとか…ユウカが姉だからユウコとかユウキとかじゃないの?」
「…」
「あーはいはい。聞いてくればいいんでしょォ?!」
俺はユウカの席に行き、
「妹の名前はなんていうの?」
と聞いてみる。
「あれ?言わなかったっけ?妹は、よ?」
「あ?」
「よ」
「よ?」
「『よ』じゃなくて。よ」
本当に俺はおかしくなってるのか?!
何かモヤモヤ〜っと名前を言ってるんだけど聞き取れないぞ?!
「ここに名前書いて…」
「な、何よ…ツンボなの?」
鉛筆でスラスラと名前を書くユウカ。
えっと、早見…ンォォォ?!
名前が…書かれてないぞおいおいおいおい!!!
俺は慌ててその紙を持ってキリカの席に行く。そして鼻息を荒くして顔を真赤にして、興奮しながら、震えた手で、
「こ、これ?なんて書いてある?!」
「…ん?早見…」
「…」
「名前が書いてない…」
「だよね?!だよねぇ?!おかしくないよね?!」
「名前が定義されてない。名前に関する情報にアクセスしようとすると拒否される。何者かにブロックされている…」
「(ごくり)」
何者かに情報をブロックされる…それはアカシック・レコードでは霊的な力が働いてるってケースが以前『7つの家』でも起きた。もしかしたらユウカ妹が放ってたあの不思議な様々な国の文字を模した黒い煙のようなものも、アカシック・レコードにアクセスする力の一つなのか?
「レコード内の情報は通常、人間は見ることはできない。たまに見えてしまい、予期しない情報になるのは人間の脳で処理できる限界を意味している。コンピュータ内部のビット配列のようにただ眺めていてもなんら意味をなさないものを、無理に表現できるものとして変換をかけるように、人によってはそれは何かおぞましいものに見えたり、キミカのように文字のようなものに見えたりもする」
「ってことは、前にキリカがあたしの意識を転送したあの7つの家の空間は…」
「私の作り出した仮想空間シュミレーター内にアカシック・レコードから7つの家に関する情報を展開したもの。邪魔されて再現率は低いから途中でアカシック・レコードの生の情報が見えてしまった。それがキミカには文字として見えた」
「なるほど…」
わかることはそこまでのようだった。
キリカは「余計な詮索はしないほうがいい」と言った。
名前がないということは、つまり存在がないことと同じだとも。
この世には名前がなく、存在がないものはいくらでもある。それにいちいち詮索していてはいくら時間があっても足りない…。何よりも、ユウカ妹自身が詮索されることを望んではいないのだから、というのがキリカの答えだった。
だが、確かにこの週末の俺の貴重な時間はユウカやユウカ妹やナノカによって奪われたし、その間の記憶も俺の脳にははっきりと残っているんだ。それで名前がないから全てが無かったことになんて、俺としては納得が出来ない。
気がついたら昼休み、俺は食事を終えると1人、中等部の例の場所へと向かっていた。ユウカ妹が昼休みに1人佇んでいた、あの場所に。
街を見渡せる丘の上にある我がアンダルシア学園。
その中等部もまた、丘の上からの眺めはよかった。
一部の生徒は春のまだ涼しい時期は、そうやって丘の上の芝生の上に座って街を見渡している。見ているだけで心の中にあるモヤモヤが洗われていくような気持ちになる。やっぱりその生徒の中にあの『簀巻き』はいた。
もうずっとそれを繰り返しているから他の誰もが違和感を覚えていない。
布団ぐるぐる巻のユウカ妹はやっぱり何か思うところがあるのだろうか、深い溜息をついて街を眺めている。
心を洗い流して欲しいのに、洗い流されない。
俺にもなんだかその気持がわかるような気がした。
彼女は記憶を消した。
記憶を改変した。
名前を名乗ろうと思えばいつでもそれは出来たはずだ。
好きなように記憶を改変して「ユウコ」なり「ユウキ」なりユウカの妹として名乗ればいい。でも、それはしなかった。
名とは縛りだからだ。
名に自分を縛ることで、他人をも自分に縛る事にもなる。
妹の名前すら知らないなんちゃって姉のユウカが、必死に妹の為に時間を費やすように、今の、この『ユウカ妹』とモノローグで語られる曖昧な繋がりでさえも、ユウカ妹に対して何かをしてくれるのだ。
風の中にユウカ妹の声が消えていく。
「その布団の間から溢れる白い素肌、美しいクリーム色の柔らかな髪、それはまるで太陽が暗闇を照らしていくよう。僕は太陽に憧れを抱いてしまっている。それは儚い恋ごころなのか、叶わぬ夢なのか。あぁ、僕の太陽よ、」
あの時のラブレターを声に出している。
深い溜息。
プチンと音がすると簀巻きが解き放たれて、中からは中等部制服姿のユウカ妹の姿が露出する。文にあるように、白い素肌とクリーム色のストレートの髪、首のリボンは解けかかってて、胸元はノーブラでブラウスには小さな膨らみに胸ポチ。そんな彼女の身体を風が撫でる。
それはまさに天使のようにも見えた。
あの黒い文字の煙は布団と制服の間から放たれ、空へと消えていく。
手にはラブレターが握られていた。
ユウカ妹はそこに息を吹きかける。すると、ラブレターの上の文字達は黒い煙と同じように、空へと解き放たれ、文は白紙へと戻る。
そんな様子を遠くで、まるで時でも停まっているかのように見ている男の子がいる…。彼くんじゃないか。
雷にでも撃たれたように停まっている。
あぁ。
そうか。
恋に落ちたんだな。
…また。