146 怒涛のマスカレーダー 17

『尼崎一家なりすまし事件』のチームである俺とチナツさんは二人でミーティングをすることにした。しかし、県警のビルの中には俺達の居場所はないし、それに加えてあちらの連中に知られてはマズイこともある、という理由からチナツさんは県警前の小さな喫茶店に俺を呼んだ。
何故かチナツさんは先客のいるテーブルを指して俺をそこへ案内する。
対面に座ってから、
「紹介しよう。『坂本興治』弁護士だ」
と俺に弁護士の坂本を紹介するのだ。
坂本は不機嫌そうな顔でチナツさんに言う。
「どういうつもりなんですか?栗原さん。…私は全面的に争うつもりですよ。不正な捜査が行われていることを国民へ公表し、徹底的に警察組織をクリーンナップするべきだと考えています。そんなおりに警視庁に所属しているあなたが弁護士と話など…譲歩しませんよ」
「譲歩しなくてもいい。徹底的に国民へあることないこと全部を公表してくれ。それで時間稼ぎになる」
「話が見えません。何が目的なんですか?」
まだ疑っているようだ。
まずチナツさんが警察官というのはただなりすましているだけだから、そんな肩書きだけでの関係だと相手を疑うしかないのだろう。
「宮川祐介は冤罪だ」
「え?」
「警察もそれは認識している。だが逮捕した。証拠を捏造したのだろう」
「だとしたら、大変な事になりますよ!!」
坂本はそう叫んだ。
一瞬、店の空気が凍り、視線が集中する。
チナツさんは人差し指を口に当てて、静かにしろのジェスチャー
「以前紹介したが、私も藤崎も警視庁から派遣されている。兵庫県警の不祥事についてはマスコミのお陰で日常化しているが、まさかここまで腐敗しているとは思ってなかった。我々の仕事は貴様と同じ『警察組織のクリーンナップ』だが、それには民意の後押しが必要だし、トカゲの尻尾切りで終わらせられるのも防がなければならない」
「トカゲの尻尾切り?」
「例えば私に責任を負わせ、県警組織は今までのままという結末だ。これでは何も変わらない。ま、私については別に終わらせて貰ってもかまわないのだが、私がやった事が無意味になることだけは避けたい」
「確かに、資本主義社会での会社と違って公的機関の自浄作用なんてものは存在しないと考えていいですからね…」
「自浄作用のない保守派の多い組織には外部からの刺激がもっとも有効だ。これはただの権力や財力でのコントロールだけじゃない。時には恐怖も与えて、そしてその結果、血も流れるだろう」
…。
誰か殺すつもりなのか?
「しかしわからないな…」
「?」
「あなたや藤崎さんは警察組織の1つだ。いくら自浄しようと正義心を燃やしても、それが結果的に今まで手に入れた地位や名誉や財産も無くす事に繋がりかねない…なぜ、そうまでして…」
するとチナツさんはいつものあの怪しげな笑みを浮かべ、
「何故か?それはそうすることが楽しいからさ」
と言った。
「た、楽しい…?全てを失うかもしれないのに?」
「では貴様に問おう。貴様はなぜ生きてる?人はいつかは死ぬ。それがわかってるのになぜ生きているのだ?」
「そ、そりゃぁ…幸せになるためですよ」
「幸せになるのと楽しいことと、どんな違いがあるのか教えて欲しい」
「そ、それは…」
「資本主義社会では金の稼ぎ方なんて何万通りもあるのに、貴様はそのなかで弁護士という職業を選んだ。それはそれが楽しいからだ。貴様は悪事を見過ごす事ができない、だから『疑わしきは罰せず』のパターンの事件ばかりを扱っている。正義の組織であるはずの警察が不正を働くのだから『許せない度』は普通の悪党どもにくらべたら天と地の差がある。そして警察組織が正義であって欲しいから貴様は今、ここにいるのだ。警察組織が正義であることが、貴様にとっては『楽しい』ことなのだ。違うか?」
「えぇ。そうですね。まったくもって」
「だがそれには大きな代償が伴う。より楽しい人生にはより大きな代償が。で、藤崎、貴様の仕事として、坂本が大きな代償を払わないよう、ボディガードを努めて欲しい」
なるほどね。
「そうくると思ったよ。多分警察はヤクザともコネクションがあるから、坂本弁護士には一斉攻撃が来るだろうしね」
「あぁ。一斉攻撃が来るのなら、こちらも一斉反撃するまでだ…ただ、今回守るのは一人だけじゃない。ゆーすけにしてもそうだが…」
そう言って店の表の方を見るチナツさん。
よく見ると入り口のあたりでウロウロしている人影。ベレー帽に黒髪…あれはエルナじゃないか?
「こっちだ!」
手を振るチナツさん。
エルナはそれに気づいておどおどと店内に入ってくる。
そして俺達の席の前に来た。
「キミカ、貴様にはエルナも守ってほしい」
突然の話で、途中参加のエルナは困惑を隠せない。
「どどどど、どういう事なんですかァ?」
と言って冷や汗を掻いている。
「エルナ、貴様はなぜ尼崎市の事件報道を上司に規制された?」
「え、えっとォ…それは、警察からのリークを受ける権利がなくなっちゃうからですゥ…。って、それはチナツさん知ってるじゃないですかァ…」
そ、そういうことか。
なんで報道されないのか、今わかったぞ。
「そういうことだな。マスコミは警察がバラす捜査の情報で、事件に関心を持った人々をネタにオマンマを食っているのだ。決して自分の脚で情報を集めてきてるのではない。何故か?面倒くさいからだ。面倒くさい、それはコストがかかる、コストがかかるからマスコミにとっては会社の存続にも関わってくる。だから警察がどんなに疑わしい行為をしてても、それを世間に公開するということは警察に対する裏切りであり、マスコミにとっては自滅を意味する。しかし…これではジャーナリズムのジャの字も成せてない。今の世の中、ジャーナリズムは資本主義の奴隷になるシステムなのだ」
それらをひと通り聞いてから俺は「じゃあエルナは役立たずじゃん」と言って鼻で笑った。
「すいませェェ…ん…役立たずですいませェェェェ…ェェん」
今にも泣きそうな顔をするエルナ。
「心配はしなくてもいい。先ほど私は『ジャーナリズムは資本主義の奴隷』と言った。しかし、それらは時として逆転することもある。この日本には古くから損得抜きにして正義を貫こうとする匿名の馬鹿が沢山いるのだ。ほら、キミカ、貴様が常日頃からチラチラと見ている掲示板にもな…左だの右だの言われているネット弁慶どもはろくに働きもしないが正義だけは貫こうとする。エルナは彼等に情報をリークするのだ」
「そ、そんな事で信じて貰えるとは思えませんよォ…会社の肩書きがない記者の話を信じる人なんて。三流週刊誌とかいい例じゃないですかァ…」
「証拠が示せてないのなら誰も信じないかもな。だが、証拠もつけて、それを大手新聞社から公表できない今のシステムもすべからく話せば、わかってくれるものは必ず出てくる。一旦リークされてしまえばもう後は止めることは出来ない。ネット上の国士様は数も多くて誰が誰やらわからないからな、金でコントロールすることもできない。警察組織に彼等を納得させるだけの証拠や理論武装がなければ、そこで我々の勝利が確定する」
「でも、でも、私は二度と会社の土は踏めませェェン…」
「ネットで賑わっている頃に会社に暴露するか、会社から貴様に話があるだろう。世間が動けば会社も動ける。そこで貴様の小さな新聞社が世に名を売ることもできる。貴様も手柄を得ることが出来る。貴様の上司も悪魔じゃぁない。本当は正義があるが、それを成せるだけの状況が整ってないだけだ」
正義を成せるだけの状況…か。
以前、心眼道の俺の師匠が俺に言ったことがある。
流れを見て、流れを制御せよと。
『状況』を作り出すことも、戦いの1つなんだろうな。