146 怒涛のマスカレーダー 5

ホテルに到着。チェックイン後に自室に向かってそれから軽くシャワーを浴び、部屋を出て最上階にあるバーに向かう。
神戸の夜景を望める場所。
このバーの価値はお酒ではなくこの景色と雰囲気にある。
ストレスに覆われた空気にさらされた企業戦士達の休息の場所、それがまさか駅前のビジネスホテルの最上階にあるとは、神戸出身の人達でもなかなか知りはしない…それは「地元のホテルなんて誰が泊まるかよ」という根本的な思考回路から導き出される処理結果である。
だから神戸在住の方々はあまり馴染みがないこのバー。
聞こえる話は旅行だのビジネスで遠くからやってきただのだ。
店に入ると先ず目に入るのは巨大な窓ガラスの前にいるバーテンダー。酒はここではあくまで脇役として徹しているようで、客はメニューやら好きな銘柄やらを言い、バーテンダーがそれをグラスに注ぐ。
店の入口からは階段上になっており、ゆっくりと降りて行くとカウンター席。こうすることで客全員が窓からの夜景を望めるようになっている。
迷わずカウンター席に座る。
ぼっちの特等席…それがカウンター席だ。
ワイルド・ターキー12年をロックで」
詰まらせることなく流暢な日本語でウイスキーの銘柄を指定する。
酒の通(つう)は店に入る前から何を飲むのかを決めておくもの。メニューを見るなんてヤボったい事はしない。それは『この店ではその酒を扱っているだろう』という店と通の間での信頼関係を試す事でもあり、『ウイスキーの銘柄を指定するぐらいに味にはうるさい』という事を周囲にドヤ顔で披露する事でもある。この一言で店員は『コイツは誤魔化せないぞ…』と警戒心を与え、それが最終的には店での楽しい時間を作ることに繋がっていくのだ。
「当店ではワイルド・ターキー12年は扱っていない。ライ、レアブリード、アメリカンハニー、スタンダードを扱っているがどうするか?」
な、なんだか偉そうな店員だなおい、しかも女だし。
ったく、俺が流れるように注文んしたんだから流れるように受ければいいものをいちいち細かくセレクションを見せてきやがるなぁ…。
なんだよ、だいたいライアーだとかレアブリーフだとかアメリカンコーヒーだとかスタンドとか。俺はそんなワイルド・ターキーなんて見たことが無いぞ?酒屋に売ってるのは12年と8年だよ!!
「えと、じゃぁ…アメリカン・コーヒーで」
しぶしぶ俺はワイルド・ターキーアメリカン・コーヒーを注文する。
バーテンは何やらコーヒー豆を出してきて、ゴリゴリと音を立てて豆を粉砕し、そこに熱々の熱湯を注ぐ。コーヒーの良い香りが…。
「って、なんでやねん!」
アメリカン・コーヒーを貴様が注文しただろう?」
「してないよ!ワイルド・ターキーを注文したんだよ!アメリカン・コーヒーのワイルド・ターキーを注文したんだよ!耳糞が詰まってるんじゃないの?!」
「失礼ながら私は全身がサイボーグのようなものでな、耳糞は発生しないのだ。それと、アメリカン・ハニーのワイルド・ターキーならあるが、そちらの注文と間違ってしまったのか?」
こ、この俺が、注文を、間違えただとゥ?!
「貴様の高校では校則として酒を飲むのは許可されているのか」
「あーもう!うるさいなぁ!飲酒免許さえ持ってればお酒は飲めるっていう自由な校風なんだよォォ!!いちいちそんな事を気にしなくてm…え?!なんであたしが高校生だっての知ってんの?!」
って、よくみるとこのバーテン、チナツさんじゃないか!
「チナツさんこんなとこで何やってんですかァ…(白目」
「貴様を待っていたのだ」
うわぁ…嫌な予感しかしねぇ…。
「今忙しい」
「頼みがある」
「今忙しいの」
「この私がこんなに頭を下げているのに貴様は聞く耳すら持たないのか?」
こんなにってどんなに下げてるんだよ?1ミリも下がってないよ?ぎっくり腰で腰が曲がらなくなった中年のおっさんみたいに1ミリも下がってないよ?
チナツさんはさっき俺が飲みたかったウイスキーである『ワイルド・ターキー』の『何か』をグラスに注いで汚らしくも自らの指をそれに突っ込んで、グラス内の氷を2回転だけさせると俺の目の前に乱暴に置く。
俺はそれをチビチビとやりながら、
「頼みってなんなのさ?」
「実は…」
「あー。待って、事前に言っておくと、あたしは警察のお仕事に忙しいから時間が掛るようならそっちの要件はその後だね」
「おそらく貴様の今の仕事と同じ案件だ」
「え?…門田家の話?」
「ん?門田家?違うな」
「なーんだ。チナツさんにもわからないことがあるんだねー。あたしは今、門田家について調べてるんだよ。朝鮮人がどうも門田家の中の人になりすましてるらしい。そういうなりすまし・乗っ取りが横行してるっぽいんだよ!」
「妙だな、兵庫県警は警察官がドロイドに狙われる事件について調べているはずだが…。貴様はそこへの救援で本庁から向かわされたという設定だが」
「あぁ、あの事件かぁ…あれは酷い事件だったね…それがチナツさんの要求とどう絡んでくるの?警察は調べる気がゼロだよ?」
チナツさんはバーテンにあるまじき行為として、まずグラスの中にワイルド・ターキーを注ぎ込んで氷をそこに入れて、それをグビっと飲んだ。
それから俺に向かってから、
「そうだ。警察は調べる気がゼロだ。そのせいで罪の無い一般市民が冤罪の危機にさらされそうになっている」
ふと脳裏に県警の対策会議室で聞いたあの声が蘇ってきた。
『アニオタは怪しいな。とりあえず数人しょっぴけばビビって吐くだろう。礼状なしでも大丈夫だ。連中はビビらせればなんでも自分に不利な事言うからな。前はそれで何人か捕まえたしな!』
という声。
俺は全てを察して言う。
「チナツさんの知り合いが警察にマークされてるの?」
チナツさんはもう一度クビッとウイスキーを流し込むと、
「あぁ」
と疲れた声で言う。続けて、
「警察だけじゃなく、マスコミもタッグを組んでいるようだ。私の予測では警察は未だに真犯人の検討は欠片もついていないだろう。そこで連中は真犯人と思わしき人間で警察と関係がある…つまり、前科持ちの人間をリストアップして、その中から手頃な奴をムショにブチ込む。これがいつもの警察の常套手段だ」
「証拠なんてないじゃん?」
「証拠がなければ作ればいい。自白させれなければ、あたかも本人が自白したかのように作りこめばいいのだ。連続殺人事件やテロなどのように世間に注目されるわけでもない事件だ。適当にでっち上げてもマスコミが大々的に報道すればアホな民衆はそれを信じる。犯人の出来上がりだ」
「そんなの、許されるわけないじゃん!」
「そうか。私に賛同してくれるか」
「でもさ、なんで警察はそんなどうでもいい事件に本気になってるのかな?」
「…というと?」
俺は今までの経緯を話した。
『門田』と呼ばれる一家からの通報は県警は一切受け付けなかったこと。家庭内暴力が行われていたということ、朝鮮人が『門田』の名前を名乗っていたこと。警察はこれほどの『大』事件は放っておいて、何故かくだらないハッカーの事件を追っているのだ。
チナツさんはしばらく考えた後、
「考えられるのは、まず第一に、その一家の事件を処理すると厄介事が増えるからだろうな。外国人が絡んでいるから余計にだろうし、おそらく背後にはヤクザもいる。第二に、身内が実際にドロイドに襲われているのだから、そちらを優先したということだろうか。警察がナメられては始まらないからな」
「警察は市民の平和を守る義務があるはずなのにね…」
「それは認識の齟齬だろう。警察は法律に従って悪を捉えるのが仕事だ。市民の平和を守るのは警察ではない」
「そ、そりゃ、そうだけどさ…誰が平和を守るんだよ」
チナツさんは無言でグラスを持った手で指差す。
俺の方を。