143 嫌煙ウイルス 9

それからヘビースモーカー達は1人、また1人と嫌煙ウイルスとの戦いに敗れていった。これまで挑んだスモーカー達は全員、ゲロを吐き、クソを垂らした。
そして、いよいよ最後の1人となったのだ。
小説家『菅井康隆』だ。
この人ならは一度、俺のテロに耐えている。俺がばら撒いた嫌煙ウイルスが舞うドトォール店内で、顔色1つ変えずにタバコを吸い続けた『実績』がある。だから俺は彼に賭けている。
さっきの不良やら起業家風の男やらは吐いてクソを垂らして、ひと通り体内をデトックスできたのだろうか、最後の挑戦者である菅井を応援していた。
不良は言う。
「俺はアンタに出会ってから喫煙本数が100倍に膨れ上がったんだ。アンタが俺にこの世のパラダイスを教えてくれた。いつもアンタの背中を見てタバコを吸っていた。その背中はとてもデカくて、ヤニまみれで…真っ黄色で、臭くて、とても汚かった。だからアンタの背中は男の背中だ。やっつけちまってくれよ…ウイルスなんざにアンタの『男』は汚せねぇぜ…もう既に汚くてこれ以上汚れようがないんだからな!!!期待してるぜ…」
起業家風の男は言う。
「俺はアンタに賭けている…。アンタは本物のニコチン中毒…いや、ニコチン王だ。ニコチンにやられるどころかニコチンを手下にして、アンタの歩いた道には草木も生えねぇ…泣く子も黙ってから後にニコチン中毒になり、犬だって近づいたら悲鳴を上げる前に窒息死する。アンタはもう既にその存在がニコチンそのものだ。あんたは毒ガス兵器だ。歩く発がん性物質だ。タバコが産みだした厄災だ。アンタなら勝てる…俺はそう信じてる。救世主になってくれ…!」
…という感じに不良と起業家風の男の二人は、褒めているのか貶しているのかわからないような応援をして菅井を送り出した。
菅井は静かに言う。
「テーブルを…借りてもいいかな」
警察はそれを許可した。
ビニールシートの中に椅子とテーブルが運び込まれる。
それから菅井はバッグからヤニまみれでまっ黄色を通り越して茶色になっているMBAをテーブルの上に広げて、深く椅子に腰掛け、電源を入れた。
そしてウイルスが噴射される。
それを深く吸い込む菅井。
それから、彼はタバコを吸った。
エコーズ…そう、俺が知る限り一番濃いと言われているタバコの銘柄。
短く太いそれはまるで男のナニのようだ。海外の映画ではマフィアのボスが葉巻などを咥えているがそれによく似ている。
タバコを吸い始めてから1分が経過した。
凄い…。
「凄いわ…ウイルスはちゃんと噴射されてる?」
「えぇ…されてます…凄い。嫌煙ウイルスが効かない…のか?」
「モニタリングはできてる?」
「えぇ…。確かにウイルスは体内を循環しているのですが…」
菅井のカチャカチャと小説を打つ音だけが実験室へこだまする。
すこし菅井が一息いれようと背伸びをした、その時だった。
「んゥォ…」
身体を激しく唸らせた。
「やはり…ウイルスは効いています…でも精神力だけで耐えている」
目を血走らせる菅井。
身体を震えが襲い、手も足も震えている。耐えているのだ。
「じ、実験中止だ…」
ミサカさんの部下の男は言う。
「…ま…まだ…だ…」
小さくも地を這うような声が響く。
菅井が言ったのか。
「『男』というものは、一度タバコを吸うと決めたからには死んでもタバコを吸う。吸って吸って吸い尽くす。この世のタバコがなくなるまで…肺が真っ黒になっても、吸って吸って吸い尽くす。健康?医療費?そんなもんはクソ食らえだ…正直に言えばいいだろう。『タバコの臭いが嫌い』だとな。嫌いなものを嫌いと言えない輩が好きなものを好きだなんて言えるはずもない。俺は言えるぞ『タバコが好きだ』。『人がタバコを吸っているのを見てクセェだとか健康だとか医療費の負担がどうとか言う輩が嫌いだ』。俺は好きでタバコを吸っている。嫌煙ウイルスが舞うこの空間でも、俺が俺の意思でタバコを吸う事を選択し、それがどう身体に影響を及ぼすのか、そんなことも知ってて、その上でそれでも俺はタバコを吸う。それが『男の道』だ。男って生き物はなぁ…人生を楽しむ為に産まれて来たのさ…。お嬢さん」
と、菅井は俺の方を指差して言う。
「お嬢さんは女だから、なぜ俺が嫌煙ウイルス舞うドトォールの中で、吐くこともなくクソを垂らすこともなく、平然としていられたかわからんだろう」
俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
菅井はMBAを指さした。
茶色の汚らしいMBAを。
「男は自分が好きな事をしている時は、身体中の全身系がそこに集中するのさ。食う時は舌先に神経が集中する。セックスしている時はチンコの先に神経が集中する。小説を書いている時は小説のストーリーが頭の中に舞っているんだ。だから、俺の周囲には嫌煙ウイルスが舞ってはいないのさ。舞っていたとしても、俺はそれを認めていない。俺が認めていないのなら、俺の中では存在しないも同意義なんだよ」
結局、菅井からは抗体になるようなものは見つからなかった。
それでも、彼は嫌煙ウイルス舞うビニールシート内で、吐くこともなく、クソを垂らすこともなく、最後の最後までMBAを弄り続けた。
俺は、ここにいる全員は、新たなる『伝説』の生き証人となったのだった。