143 嫌煙ウイルス 8

警察署に護送車が到着した。
降りてきたのは札付きの『ヘビースモーカー』。
警備をしていた玄関前の警察官が突然目や鼻に苦痛を訴えて早退を願いでた。原因は何故か本人にもわからないらしいが、俺が本人の代弁してやると『タバコのヤニにやられた』である。
ひょっとしたら核廃棄物よりも発がん性があるかもしれない、ヘビースモーカーの一団はミサカさんと彼女の部下の男達に引きつられて警察署に臨時で用意してもらった実験室へ案内される。
そこでは高価な医療器具やらが運び込まれており、それらはどれもウイルスがアウトブレイクっちゃった時にその分析を高速に済ませる機械らしい。その高価な医療器具の近くにはビニールシートで密閉された空間がある。どうやらその中に被験者を入れてウイルスをばら撒き、体外・体内での様子を見てからデータを収集するらしい。そして、被験者であるヘビースモーカー達には実験前にマイクロマシンが投与された。実験データ収集を行うためだ。
簡単に説明がある。
ビニールシートに覆われた空間に『嫌煙ウイルス』がばら撒かれる。
被験者はその中でタバコを吸ってもらい、そこで体内・体外にどんな変化が現れるのかを調べる。もちろん、ここでウイルスに抵抗力がある人間がヘビースモーカー一団の中に居れば今回の作戦はミサカさんら警察の勝利となる。
最初に誰が行くのか、って話になって、1人の背の低い不良っぽい男…昨日俺がテロった時にまっさきにぶっ倒れた奴…が、前に進みでたのだ。
「俺が片付けてやんよ」
と、ヤニで真っ黄色になった歯をチラつかせて言う。
ビニールシート内へと躍り出る不良。
「なんだぁ?シャレてんなぁ!」
と上機嫌。
「それではウイルスを噴射します」
マイクでアナウンスが行われ、まるで毒ガス室よろしくビニールシートで覆われた空間の上部から白いキリのようなガスがばら撒かれていく。
まだ完全にばら撒き終わらないうちから不良はタバコを取り出して口に咥える。そして火をつけて、一気に吸い込む。
「あぁ〜…うめぇ…たまんねぇなぁ…」
と言いながらビニールシートの外で見守るヘビースモーカー達やら警察に向かってヘラヘラ笑っている男。
「もし気分が悪くなったら用意されているバケツに吐いてください」
「吐くかよバー…」
次の瞬間だ。
「う゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぇ゛ぇ゛」
吐いた。
あまりに突然なので少しだけバケツから外れた場所にもゲロが飛んでいる。
「…彼は違うようです」
そうミサカさんの部下の男が言う。それから、マイクに向かって言う。
「ありがとうございました。部屋を出てもいいですよ」
しかし、ひと通り吐いた後にその不良は再びタバコを吸うのだ。
警察も俺も「え?」と驚いた。
ヘビースモーカー一団はじっと彼を見つめているだけだ。
「終わりですよ?」
「終わりじゃねぇ…」
え?
不良はタバコを吸ってはゲロを吐き、タバコを吸ってはゲロを吐いた。もう吐くものは何もない時になってからオムツの中に大量のクソを放出している。それでも、奴はタバコを吸うのを止めなかった。
「き、君、もういいんだよ?実験は失敗だ。君は嫌煙ウイルスに抵抗力を持つ人間じゃない。もう部屋をでてきなさい」
しかし不良は一向に外に出ようとしない。
静かに言う。
「…俺は、ガキの頃からタバコを吸ってきた…ニコチンのせいで成長が止まって小学5年生の頃から身長は伸びてねぇ…。俺はタバコと一緒に大人になったようなもんなんだよ…俺は終われねぇ!!ここで俺が嫌煙ウイルスに負けるって事は、俺はタバコを吸えない人間って事なんだよ!!!」
不良はバケツの前にうつむいて、目を真っ赤にして吐いた。
それでもタバコは止めなかった。
「実験中止だ!彼を早く外へ出せ!」
その言葉に合わせるように警察官が部屋の中に入り、ビニールシートへと向かう。しかし、ビニールシート前にスモーカーどもが立ちはだかったのだ。
「どきなさい!どういうつもりだ!彼を殺したいのか?」
スモーカーどもを超えて警察が侵入しようとする。
その時、図太い声が部屋に響いた。
「お前らは黙ってろ!!」
凄まじい気迫。警察官は驚いてその場で身体を動かせなくなった。
声の主は他でもない、小説家『菅井康隆』だった。
彼は静かに言う。
「お前らは今の奴の話を聞いてなかったのか?」
「?」
「奴は『タバコと一緒に大人になった』と言った…奴にとってはタバコは親も同然…いや、奴の人生そのものだ。その奴に『タバコを止めろ』とお前らは言ってるのだ。それこそ奴を殺すんじゃないのか…?」
なんというニコチン中毒…。っていうかガキの頃からタバコ吸ってるって自白した時点で警察捕まえろよ何やってんだよ…。
「しかし…」
「奴の生き様、貴様等の目に焼き付けておけ!!」
不良はタバコを指の間に挟んだ状態で、顔はバケツにツッこみ、オムツからは異臭を漂わせていた。そして、そのまま失神した。
もう生き様っていうより死に様状態。
警察は失神した不良をビニールシートの外へと運び出した。心臓が動いている事、呼吸をしていることを確認して部屋の外へと連れて行った。
スモーカーどもはその不良に向かって敬礼をしていた。
次に名乗りでたのは顎髭を蓄えた起業家らしい男。こいつはドトォールに忙しく出入りしていてタバコを吸ってはどこかへ行き、また戻ってきてはタバコを吸う、まるでオフィスのようにドトォールを使用している男だ。
起業家風の男は、ビニールシートにウイルスが噴射される前からタバコを吸っている。そのまま煙を漂わせたまま中に入るのだ。
まだビニールシート内には前回の実験で放たれたウイルスが舞っている。だからなのか反応はすぐに現れた。
吐きそうになっている。
それでも男は吐かない。
吐きそうになっては飲み込み、吐きそうになっては飲み込んだ。
「…これは」
警察は『吐いた』場合は実験失敗だと判断していた為、このような状態ではどう判定しようか迷っているようだ。
ミサカさんは言う。
「明らかに我慢してるじゃないの?ダメだわ。失敗よ」
しかし起業家風の男は警察のほうを見て汗だらけの顔でヘラヘラ笑った。それからまたタバコを吸う。
「脳波はどうなっている?」
「いつゲロを吐いてもおかしくない、凄まじい不安定になっている…でも、耐えているのか?精神力だけでゲロを吐くのを耐えている…というのか?!」
マイクに向かってミサカさんが言う。
室内にミサカさんの声が響く。
「気分はどう?凄く顔色が悪いわよ?」
起業家風の男は笑顔で言う。
「きぶん゛はさい゛こぉ゛ぉ゛ぉ゛ぅ゛ぇ!!!」
ダメじゃん!