143 嫌煙ウイルス 7

今度は警察の面々を引き連れてのドトォールである。
外から見ても既にドトォール店内がすべて喫煙席となっているぐらいの白い煙に包まれている。そして、その店内から出てきた客は呆れた顔をして、
「最ッ悪ッ!」
と自らの服を摘んで匂いを嗅いで、それが予想通りタバコ臭いと分かると火が点いたようにキレていた。
先日の俺のテロが嘘のようにスモーカーどもは完全復帰してタバコを吸っている。あの程度では足りなかったか?もう2、3回マーライオン化させて懲らしめてやったほうがいいのか?という感じに俺もイライラしてくる。
「さっそく行くわよ」
ミサカさんがそう言い店の中へと突き進んでいく。
奥の喫煙所手前は、そこが醜悪の根源とでも言うかのように煙が出ていた。見ればタバコの煙はどんどん部屋の中に蓄積し、部屋内のエアコンがその煙を部屋の外へと押し出しているかのようになっている。これが『形』ばかりに拘った分煙処置なのだ。
完璧な分煙を目指すのならこの喫煙所と店内との間にエア・シャワーを設け、出る際には身体の中のタバコ臭をそれで吹き飛ばしてから使用するか、喫煙者は店内に入る時は身体を完全密閉型のスーツに着替えて入るようにするのがいい。それがいいな、エア・シャワーよりもそっちのほうがいい。
ミサカさんは喫煙所のヤニだらけの曇りガラスから部屋内を覗きこんで、
「いるわーいるいる。いるわねー!」
と、水族館で自分の好きな魚が見つかった時のような感動した声を漏らす。
「いるって何がいるのさー」
俺はその背後から(タバコ臭いけど)覗いてみる。
相変わらずタバコを吸っている連中ばかりだ。先日俺がターゲットにして、マーライオン化した奴等もいるね。
「ほら、あれを見てご覧なさい。MBAよ」
「え?!」
思わず俺の目は釘付けになった。
喫煙所内のカウンター席の一番奥に。
木目があるかのように思える薄っぺらいノートパソコン…そこに向かってオッサンが一心不乱にキーボードを叩いている。叩く度にキーとキーの間から埃(タバコの吸殻)が宙を撒い、気流を作り出し、あたかもオーラを解き放っているかのようだ。近寄りがたいその雰囲気のオッサンはあの伝説のヘビースモーカーであり、小説家『菅井康隆』だった。
「あ、あれが…まさかのMBA…」
「そうね。ヤニで黄色を通り越して茶色になった菅井MBA…」
言うが早くミサカさんはコンコンと窓を叩いた。
曇りガラスの中で煙越しに視線が集中する。小説家の菅井だけは一心不乱状態からは解放されるような気配はなかったが。
それから…。
ミサカさんは喫煙所の中にいるヘビースモーカー達に今置かれている警察の状況や、彼等ヘビースモーカーが必要とされていることを説明した。彼らの中にひょっとしたら嫌煙ウイルスに感染しないタイプの人がいる可能性があるのだ。
でも、説明する間も菅井だけは小説を書いていた。
チラチラとミサカさんは菅井のほうを見ていた。
奴は俺がばら撒いた嫌煙ウイルスをほぼ無効化したのだ。
超有力候補である。
説明が終わる頃、菅井はコーヒーのおかわりをするために再び店員のいるレジのほうまで歩いて行くところだった。と、そこでミサカさんは話かける。
「小説家の菅井さんですよね?」
「なんだ?編集部のもんか?」
「いえ。警察の者です。実はお手伝いしていただきたい事がありまして…」
「うむ。さっきから話を聞いていた。面白そうなので俺も参加したい。ただ、俺の出る幕は無いかもしれんが」
「それは…どういうことですか?」
不敵な笑いを浮かべて菅井は言う。
「この喫煙所は換気が悪くて煙が篭る。特にこの街のドトォールの喫煙所は酷い。だから巷でいうところの『ヘビースモーカー』ではこの喫煙所に入った途端にヤニクラを起こして倒れてしまう。ここはヘビースモーカーでも超重量級のヘビースモーカー達がその身体に毒を入れる場所なんだよ。ちょうど、サウナ好きな人間がサウナに入るのに似ている。言わばヤニの我慢比べが常に行われている場所なのだ。俺の言っている言葉の意味がわかるか?」
菅井という小説家が話をする為に息を吐き出すのだが、それが既にもう毒ガス級なので俺は殆ど話を聞けなかった。辛うじてミサカさんは鼻を抑えながら涙をこらえながら菅井の話を聞いていた。
「つまり、ヤニ耐性が強い人が多いから、ひょっとしたら嫌煙ウイルスを退ける逸材はゴロゴロいる、って事を言いたいんです?」
「そうだ。俺はそれが見たいんだよ」
菅井や先日俺が嫌煙ウイルスでマーライオン化させた不良なども意気込んで警察のこの試みに参加することとなった。
一斉に今までタバコを吸っていたスモーカー連中がドトォールの喫煙所から外へと出てくる。そして店内のヤニ度数が急激に上がり、バタバタと倒れるものが続出する。倒れているのは全員、非喫煙者だ。
泡を拭いて、最後は目に血管を浮き出させてスモーカーどもを指差している。何か言いたそうだが苦しそうで声が出ていない。
菅井を先頭として一行はドトォールから出る。
その時、たまたま店に入るところだった50歳ぐらいのおばさん(犬を引き連れている…店内はペット禁止なのに)が、嫌味ったらしく言う。
「んまッ!臭いわねぇ…。ねぇ!クッキー」
クッキーっていうのが犬の名前なのか?
小さなプードルのようで、洋服を着せられている。
その犬が突然ジタバタと慌てて逃げようとするのをおばさんは抑える。
「ちょっ、クッキーどうしたの?怖くわないわよ?クッキー?!クッキー!!どうしたのよ!!クッキーィィィィ!!!」
クッキーは口から泡を拭いてその場に倒れてガタガタと身体を震わせている。犬の嗅覚は人間の1000倍だとか言うけれども、どうやらヘビースモーカーの一団が通り過ぎるだけでも犬にとってはそれだけで十分な殺傷能力があるらしい。
菅井を先頭としたヘビースモーカー集団は犬を殺し、その足でミサカさんが用意した護送車に入っていく。まさに犯罪者の刑務所間護送という感じだ。そして、この後、署へと戻ってヘビースモーカー集団に僅かな希望を託す事となる。