142 必要悪 5

江田は俺に言う。
「こんな事をしても何も変わらない。お前は何も分かってない」
ここにきていよいよ…
「命乞い?」
俺の問いに対して、無表情のまま男は言う。
「命乞いなどするものか。俺はこの世界に足を踏み入れてからいつでもこうなることを想定していた。死ぬ覚悟はとうに出来ている」
それから男は淡々と俺に続ける。
「お前は『必要悪』という言葉を知っているか?」
必要悪?
「さぁ?」
と答えておいた。
「ふんッ…まぁいい。知らないのなら俺が教えてやる。『俺』のことさ。俺たち『ヤクザ』のことさ」
何を言ってるんだ?
「ヤクザってのは必要悪なのさ。光が当たるところに闇があるように、光と闇は常に対になって存在してしまう。それはもう自然の摂理だと言っていい」
自然の摂理ときたもんだ。
やれやれである。
「犯罪を正当化してる奴が言いそうな言い訳だね」
「お前が正義の味方を気取るのは結構だ。だが、それは自分が光を当てた先にある闇に向かって怒りを向けるようなものだ。人の欲求がある限り、そこには悪が存在し続けるんだよ。お前が倒した外国人のファイターだってそうだ。この日本に希望を求めてきた。助けを求めてきた。そしてそれには金が必要だと気づいたのさ。警察は奴等を救ってやれるのか?お前は奴等を救ってやれるのか?奴等は正当法では金は手に入らないから、俺達を頼る」
「…」
「例えばソープランドはどうだ?あれは本来なら違法行為だ。だが、警察は見逃している。正当法では人は自分よりもランクの高い奴と『セックスすること』さえ出来ない、そういう人間がこの世の中にはごまんといるんだよ。どんなものでも手に入る力を持っているお前にはわからんことだろうが」
それはわかる。
俺にだってそれはわかるんだ。
だが、コイツが定義している悪は、本当の意味での悪じゃない。
「マトリがあなた達を調査してる。そのマトリに問題児が2名いる。その一人は、どうして今の仕事をしてるのかって聞いたら、どう答えたと思う?」
ヒロミの事だけどね。
「麻薬をこの世から撲滅したいと言ったんじゃないのか?」
「違うね…『金持ちが嫌いだから』と言ったよ。笑っちゃうよね…彼は正義でもなんでもないんだよ。どっちかと言えば『悪』なんだよ」
「何が言いたいんだ?」
「この試合に参加していた恭二というファイターがいる。彼は金が必要で、そして子供がいた。彼は子供の為に死を選んだ。子供は金が手に入り、安定した生活が手に入る。それはハッピーエンドなの?」
「どう転んでもそうなるように事は運ばれていた。明日から突然幸せになれるとでも思っていたのか。そんなのは物語の中だけの話だ。恭二は金を手に入れた、その代わりに犠牲を払ったのだ。『自分の命』という犠牲をな」
「わかったような事を…」
「解っていないのはお前だ。この世の摂理を少しは勉強しろ」
「アンタは自分がやってることを『自然の摂理』だと大きな事を言ってる。たかが人間のくせに。森を見て木を見ず、それが今のアンタ。この世には反吐が出そうな悪は腐るほどそこら中にある。それをひっくるめて全部『必要悪』だと言い切ってしまうことそのものが『悪』なんだよ。あんたが見ているのは世の中の結果だけ。少し手を加えれば自分のところへ金が転がり込んでくるから、あたかもそれが世の中そのものだと勘違いしている。100人の人間が居れば、そこには100人分の人生がある。ソープランドで働いている娼婦はそれぞれ事情があって辛い思いをすることがあっても耐えて働いている。ソープランドを利用している男達は稼いだ僅かな金を代償に本来なら手に入らない経験を金で手に入れている。この中に悪は存在しない。でも、そういう『人の摂理』を利用して金を稼いでいるアンタ達は悪以外の何物でもない。人の脅して金を奪う、人の騙して金を奪う、人を薬漬けにして金を搾り取る…どれも、アンタ達があたかも自分達は人を知り尽くしたかのように、人の欠点を利用してやってること。アンタがそれを『自然の摂理』だと言うのなら…」
俺はブレードで江田の両腕を切り落とした。
血が噴き出る。
「これも『自然の摂理』だよ」
そう冷たく言い放った。
「こんなことをしたところで何も変わらんぞ…」
さすがに表情を崩して江田は言う。
「変える必要なんてない。アンタが人々の欲求を『悪』だというのなら、善の行為もまた『人々の欲求』なんだよ。あたしは自分がやりたいことをやっただけ。アンタが悔しがっている顔をみたら満足なんだよ。残念ながら…」
と、俺が言いかけたところで警察が突入した。
その続きを俺は言う。
「逮捕するって結末がなければ警察は納得しないから、アンタを殺すことはできないけど」
一斉に包囲して腕を切り落とされた男、ヤクザの頭に銃を向ける。
すぐさま止血の処置が施される。
その間も、江田はずっと俺を睨んでいた。
痛みをこらえる顔だが、それでもさっきと殆ど表情が変っていない。
「何も変わらん…俺だけを捕まえた所で…」
そう言った。
俺はニヤリと笑って、江田に顔を近づけ、言った。
「アンタはまだ『森』を見ているようだね」
俺から視線は逸らさなかった。
江田は睨んだまま、言う。
「…俺はそういう視点でしか物事を見れないんでな」
俺は顔を離して、江田に向かって言った。
「へぇ〜…じゃあ、アンタの目にはあたしがまだ正義の味方にでも見えてるのかな?…あたし気に入らないだけだよ、アンタのような人間が。それと…『何も変わらない』って?。少し物事をミクロな視点で見たほうがいい。鏡で自分を見つめなおして見ればいい。両腕のない今のアンタを。それが世界さ、アンタにとっての『世界』。次にアンタがブタ箱から出てきた時は、文字通りバラバラにしてあげる。そしてアンタの『世界』を終わらせてあげる」
江田は警察に連行された。
ヘリに乗せられる間際に俺に言う。
「ドロイドバスター・キミカ。俺はお前の事を覚えているぞ」
俺は江田に向かって、真顔のまま、中指を立てた。