142 必要悪 1

マナブはボクシングのソレに近いような構えで俺に向かってくる。
突き出すストレートやフックのパンチは手で交わす。
が、その時、コイツの放つパンチには熱が篭っているのがわかった。エントロピーコントロールで自らの拳の周囲の温度を上げているのだ。もしこれを食らえば液化しそうな勢いだ。
ということは、正攻法では防御で奴の手や足に触れる事になるからダメって事。だが、むしろそっちのほうが心眼道的には『正攻法』なのだ。相手と正面をきって戦う事はしない。常にカウンターを狙う心眼道では相手の力のベクトルと垂直に交わる事は基本的に絶対にしない。盾があって剣を防ぐ時もそれは90度直角ではなく、45度斜めなのだ。
マナブの顔に焦りが見え始める。
奴の攻撃はまるで空に向けて放たれるようにかすれる。俺の斜め45度にズレる。まるで第二次世界大戦時のドイツ戦車のように分厚い装甲ではなく、爆風の直撃を逸らすような傾斜角をつける『フォーム』で。
奴の右ストレートに俺自身の身体を回しながら巻き込むように身体を回転させると、その勢いを利用して肘鉄を奴の腹に喰らわせる。
「グッ…」
うめき声が聞こえる。
0.2秒ぐらいだった。
俺の肘鉄が奴の脇腹に叩きこまれたのは0.2秒程度。
だが、俺の肘はそれだけで真っ赤になった。
コイツ、まるで炎のオーラを身体に纏っているようだ。確かにダメージは与えたがエントロピーコントロールのせいで俺にもダメージがある。
俺の肘が真っ赤になっているのを見てニヤリと笑うマナブ。
それから言う。
「いいメロディーが浮かんできちまうぜ。やっぱり戦いっていうのはロマンだなぁ…そう思わないか?俺は戦いの中からロックを生み出しているんだ。他のミュージシャンには出来ないことだぜ?」
へぇ〜…コイツはミュージシャンでロッカーなのか。
随分と余裕じゃねぇか、たかが少し肘にダメージを与えたぐらいで。
「あたしもいいメロディーが浮かんできたよ。楽器が無いから、あんたの悲鳴でメロディーを奏でさせてよ。マニアにはきっとウケルよ?」
「ヘッ、なかなかおもしろいセンスしてんじゃん?」
マナブは指を付き出してそれをクイッと曲げると「かかってこい」のジェスチャーだ。今までマナブの攻撃から俺がカウンターへと繋げてたからそれを避けるための『挑発』の1つなのだろう。
いいだろう。
心眼道はカウンターばかりじゃないぜ?
足を踏み出して奴の攻撃の射程範囲内にわざと自分の身体を持っていく。これが俺の攻撃だ。そうだよ、攻撃というなの挑発。これで奴が調子にのって攻撃してくるのをカウンターで返す。
まさかと思っていただろうマナブは目の前にターゲットが迫ってきてるのをここぞとばかりに殴りかかろうとする。
それよりも速く、軽いジャブを奴の顔にキメる。
突き出すベクトルよりも、引っ込めるベクトルに力を意識させ…奴の身体に触れる時間を極力短くする。
「ブッ」
ジャブは一番骨の弱いところ…鼻の頭に当たった。
よし。
読みは当たった。触れている時間が短ければエントロピーコントロールは影響を与えていない。今ので0.002秒ぐらいか?
マナブの鼻から血がダラーっと垂れている。
「スケベな事でも考えてたの?鼻血が出てるよ?」
俺はおどけてみせた。
「おい、あんま調子にのんじゃねぇぞ…」
「だったらなんなの?『ブッ殺す』とか聞き飽きたんだよ。『ブッ殺した』なら使ってもいい。使えるもんならね!!!」
マナブは思いっきり息を吸い込んだ。そしてそのまま、俺に向かって身体を半回転させ、蹴りを入れてくる。もちろんそんなものは俺には無効だ。そして、なぜ息を吸い込んだのか、そんなものもお見通しだ。
まるで歌舞伎役者のように、足をダンッとリングに叩きつけると奴の口から大量の炎が拭きでた。炎と言うより真っ赤に燃える液体といってもいい。
お見通しなんだよ。
マコトと同じエントロピーコントロールの使い手なら攻撃方法だってそれほど違わない。息を吸い込んだら、それを温めて吐き出すなんてドロイドバスターなら幼稚園生でも想像できる。
完全に読んでいた俺はあえてギリギリでその炎を交わした。炎は俺を通りすぎて後ろにいたレフリーをまっくろくろすけにした。まるで漫画のように真っ黒になったレフリーはそのままマットに沈んだ。
会場から悲鳴が沸き起こる。
レフリーは強制退場となる。
真っ黒の死体をヤクザの部下どもが引っ張り出す。
俺の視界の隅っこでまた奴が少し息を吸い込んだのが見えた。さっきほどじゃないがこれもエントロピーコントロールで火炎放射をする前準備だ。
んじゃ、次は『交わす』以外でキメるか。
俺は手のひらにマイクロブラックホールを創りだして単純に奴の顔を目掛けてストレートを放つフォームになる。それを見せつける。するとマナブは獲物が自分から射程に入ったとでも思ったのだろう。俺に向けて火炎放射をする。
しかし、炎はマイクロブラックホールに吸い込まれた。
確実に当たると思っていた攻撃が目の前で吸い込まれて何が起きたのか脳が大慌てで解析を急いでいるというマナブはスキだらけだった。
「『保険』に、入っとくべきだったね」
俺のジャブがマナブの顔にヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。
次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。
次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。
奴の身体がバランスを崩して倒れるから、俺はグラビティコントロールで身体を倒れないように固定する。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
0.0001秒ぐらいでジャブを引っ込める。次のジャブがヒット。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!!!!!」
血しぶき。
肉と骨と血がリングに飛び散る。
軽いジャブで一つ一つにそれほどダメージは無いが、それが1秒間に何千発も与えられる。マシンガンのような攻撃で俺以外の人間からはそこには残像しか見えてないだろう。本来なら血しぶきは俺にも飛んでくるはずが、凄まじい衝撃波は奴の後方にしか血や肉や骨は飛ばさないようになっている。
5秒かそこらで奴の顔は肉も血も吹き飛んで頭蓋骨とその中身しか残っていない状態になった。
リングに両膝をつくマナブ。
それでもうダウンを取れる。だが、審判はいない。さっきコイツが殺した。
「ハッ…はっはっは…は…」
乾いた笑いがマナブから発せられる。
この状態でまだショック死してない。
リングの真ん中で頭蓋骨野郎が笑っている。
気色悪ッ…。
かろうじて残っている顎の筋肉を使って、日本語とはちょっと程遠い感じの発声でマナブは言う。
「おもひれぇ…おもひれぇよ、ひひねぇ…」
まるでそこにギターがあるかのように、マナブはそのギターを…『エアギター』を引いた。音は鳴らない…が、その次の瞬間、奴の身体の周囲に真っ赤な炎のようなエネルギーフィールドが発生する。
その炎が奴の身体を包み込み、一瞬でドロイドバスターの戦闘服に…いや、まるでミュージシャンが舞台でロックをキメる時の衣装のようなものに変わる。
一瞬でさっきまでボロボロだった顔が再生される。
こいつ、公衆の面前でドロイドバスターに変身しやがった。