141 ファイト・クラブ 10

恭二は死んだ。
あのラーメン屋には彼の息子が待っていた。
まだ、待っていた。
もう親父は帰ってくることはないのに。
親父の死を伝えたのは丹波のオッサンだった。
オッサンは子供にはわからないだろうに、丁寧に借金は全部返済されただとか、お前の銀行口座が用意されててそこには金が振り込まれてるだとか、そんな事を言っていた。子供にわかるはずがないだろうに。
恭二の子供は自分の「父親は強いから負けるはずがない!」「今まで負けたことなんて一度も無い!」と泣きじゃくっていた。それもどれも、全部嘘なのに。負けても恭二は「勝った」と話していただけなのに。
俺も丹波のオッサンも泣きじゃくる恭二の子供を前にして、納得の行くような話は何一つすることができなかった。
出来るはずなんてないんだ。
親の死を納得させる理由なんて、子を前にして何一つあるわけがない。
丹波のオッサンは泣きじゃくり暴れる恭二の子供を、不器用な腕で掴んでただ抱きしめる事しか出来なかった。
…。
待合室の中で俺は試合の準備をしていた。
そこへヒロミとマユナがやってくる。
「かなり調べたし、もう後は凸するだけだな」
「うん」
と二人は脳天気に言う。
「あたしは試合が終わってからにするよ」
俺はそう言った。
「それはもういいんだって」
「はぁ?」
「もう後は凸するだけだから。それにな、丹波のオッサンも俺のところにやってきて頭下げてな、出場を取り消すとか言い出すんだよ」
「いや、取り消さないよ。話の流れ的におかしいじゃん」
「いやいや、おかしくねぇよ、全然。次に繋がる証拠も十分とらえたし、後はしょっぴくだけだって。またよろしく頼むぜ!」
またって、以前大暴れしたアレか。
「アレはアレでやるけどさぁ、試合も出るよ」
「『危険だからやめとけ』って丹波のオッサンが。まぁ、俺には何がどう危険なのかは知らんけど…」
「あたしは今まであんなのと比べ物にならないぐらい修羅場を乗り越えてきたの!!危険なのは『相手』のほうでしょ?『戦う』んじゃない。恭二の『敵討ち』に行くんだよ!!トイレでクソするのと同じ。勝つとか負けるとかじゃない。肥溜めにクソが落ちるのを見に行くだけ!」
「…何マジになってんのよ…」
俺が普段と違ってマジ顔で答えているのをビビっているヒロミ。
「どいて。そこをどいて」
「わ〜かった。俺は止めない」
ヒロミはスイッと俺を交わす。
しかし次に待っていたのは丹波だ。
丹波は言う。
「ダメだ。試合も出場を取り消してきた」
俺は今までにないほど、ほぼ本気で丹波のおっさんの首を掴んで若干のグラビティコントロールも働かせ、壁沿いに持ち上げた。宇宙の法則から考えれば腕の細い、体重の軽い美少女な俺がこんなオッサンを片手で持ち上げるなんて不可能なのだが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
「オッサン!!どうしてそれを恭二の時にも言ってやらなかったんだよ!」
「きょ、恭二は、もう引き返せなかった。でも、お前は違う。お前はこの世界の人間じゃない。ただマトリとの仕事でそうしてただけだろ…」
苦しそうに言い訳を言うオッサン。
ヒロミのほうを睨む俺。
ヒロミは身震いした後、
「ごめん、丹波のオッサンに話しちまった」
テヘペロする。
俺は丹波のオッサンを降ろす。
オッサンは咳き込みながら言う。
「キミカ嬢よぉ…やめろ。相手はケタ外れの強さだ。あんなの見たことがない。あれはもう人間の所業じゃねぇ。悪魔の所業だ。人に触れただけで溶かした…水みたいに液体に変えた…」
そう。
人間の所業じゃない。
人間の強さじゃない。
あれはドロイドバスターの力だ。
マコトと同じ、エントロピーコントロールの力だ。
液体を個体に、個体を液体に、個体を気体に、気体を液体に、気体を液体に。物体のエントロピーを制御できる、力のドロイドバスターの能力の1つだ。
「人間の所業じゃない?ちょうどいいじゃん!!あたしも人間の域を脱しているからね。思う存分、楽しめるよ。今まで手加減しすぎて変な筋肉使ったせいで筋肉痛になってたところなんだよ。ちょうどいいウォーミングアップが出来る」
俺が待機室を出る時、地下格闘技場から「オッサン!」と叫びながらやってくるヤクザがいる。続けざまに「何、取り消してんだよ!こんなの認めれるはずがねぇだろうが!試合はエントリーしたら取り消しは不可だ!空気読めコラ!」と叫んだ。
俺はそのうるさいヤクザ野郎をグラビティコントロールだけで天井まで持ち上げる。
「ヒィッ!」
「邪魔だ。どけ」
そしてその下を歩く。
すぐにグラビティコントロールは解除し、ヤクザは地面に激突した。
地下格闘技場に近づくほどに、歓声や笑い声が聞こえる。
また奴が。
また奴が会場で笑いをとっている。
女性ファンに媚びを売ってる。
いいだろう。
楽しんでおきな。
今から俺がその場の空気を凍らせてやるよ。
寒いギャグで凍らせるんじゃない。お前が恐怖で顔を真っ青にして、その後、ボロ雑巾のようにリングに沈む状況をお前のファンが見るから凍らせれるんだよ。
「挑戦者!!キミカ!!」
俺が会場に入ると同時に司会が俺を紹介する。
相変わらずマイク片手に学は話している。俺の紹介があってからも、
「おいおいおい!彼女、へい、彼女!家に帰りなよ(会場で笑)」
などと言ってる。
俺はそのマイクをグラビティコントロールで取り上げた。
何が起きたのかわからずにキョトンとする学。
俺はそのマイクを片手に言う。
「またマイク持ってると怪我するよ?」
まるで子供に言うように。
引きつった笑いをする学。
さらに続けて俺が言う。
「顔の傷はどうしたの?まだ治ってないのかな?」
学は「何言ってんのコイツ」みたいなジェスチャーを審判や客席に向ける。
それを無視して話を続ける俺。
「前の試合観てたけどさ、その顔、売り物なんだってね?…なら、親切なあたしから1つだけ忠告しとくよ…『保険』に入っておいたほうがいいよ。今からその大事な大事な売り物の顔がぐしゃぐしゃになるからさぁ…」
さすがにこれには大人の対応は出来なかったらしい。
マイク無しに怒鳴る学。
「おい!お前みたいなオナホールは家で男の股に跨がっとけばいいんだよ!オナホが偉そうに人語話してんじゃねぇ。この肉便器が」
俺はマイク片手にそれに返す。
「あんまり調子に乗って罵倒してると負けた時の自分の品を下げるよ。明日からアンタは『オナホで肉便器』に負けた男ってレッテル張られるんだからさ」
そこで俺はマイクを吸い込んだ。
マイクロブラックホールの中に。
これには学も驚いている。
そして奴は武闘家のソレの構えをした。
「本気でかかってきてね、ま・な・ぶ君」
俺は語尾にハートマークでも付きそうな程に萌声で学を挑発した。
学はこれに「ブッ殺す」で答えた。