141 ファイト・クラブ 7

「殺れ!殺っちまえ!」
ロープ外から丹波のオッサンが叫ぶ。
試合の最中だった。
目の前にはタイ人のキックボクサーだ。
こいつも日本に何かしらの希望を持ってきたんだろう。
金が目当てだと言っても、そもそも貧乏な出なのだからわらにでも縋る思いだったに違いない。得られた金は仕送りでもしてるのか?借金をしてしまって返すのに必死なのか?
俺の頭の中には色々な背景が渦巻いている。
色々な事情があって試合に出ている、というのを知ると、なかなか相手を殴れなくなる…。むしろ挑発ぐらいしてくれるとやりやすいのだが、最初の時と違ってかなり警戒されてるから調子に乗って挑発なんてしないのだろう。
タイ人は至って真面目に、攻撃と防御を繰り返している。
しかし、拳を交えると互いの事は判るようになるとかどっかの漫画では口上並べられてたが、それは本当なのだろうか、相手は俺が本気を出していない事に疑問符を頭に浮かべている。
「てめぇ!なに防御にまわってんだ!殺れ!殺っちまえよ!」
また丹波のオッサンが叫ぶ。
ったく、うるさいな、俺が戦ってるんだから横から余計な事を言うなよ。
俺は相手を蹴るような仕草で半回転し、後ろにいる丹波のオッサンの顔を思いっきり蹴った。
「ブッ」
顔を蹴られて後方へと吹き飛ぶ丹波のオッサン。
え?っていう顔をするタイ人。
しかし、俺が攻撃をしようと前に進み出ると、再びファイティングポーズ。そして瞬発力のある足蹴りを俺に食らわせてくる。
その時だ。
俺はその足をキャッチする。
キックボクシングでは手数の(ここで言うのなら足数)多さがキモにもなっているから、攻撃をした後に素早く元の体勢に戻る必要がある。だからキックをしてもそのまま力を同じベクトルに進めるのではなく、ヒットと同時に足を引っ込める方向へとベクトルが進む。
だから俺のような体重の軽い女の子でも、受け身の姿勢を取れば攻撃を受けた後、それから足をキャッチすることも可能になる。
もちろん、結構なダメージは食らうが…。
今までそんなことをしたような奴が居なかったのだろう。会場は一瞬だけ時が止まったかのように、俺の行為を固唾を飲んで見守る。
タイ人は大慌てで足を振りほどこうとする。
そりゃそうだ。奴の脳裏には最初の試合で俺が相手をどんな風に傷めつけたのか、それを知っているからだ。これは足が二度と使い物にならなくなるカウントダウンを意味しているのだ。
よし。
このままッ!!親指を!こいつの!目の中に…つっこんで!殴りぬけるッ!
足を持たれたままでは受け身が取れない。
キックボクサーはそのまま頭からリングに沈んだ。
脳震盪が起きている。
ノックダウンだった。
「勝者!キミカ!!」
会場が沸き立つ。
しかしまぁ、俺が勝つという前提で俺に賭けてた奴が殆どだろう。ここで俺が負けそうになること自体、連中が冷や汗を掻く要素だったはずだ。
丹波のオッサンは鼻血を垂らしながら起き上がると、歓声が俺へと向けられていることから俺が勝利したことを知って安心していた。
「ったく、ビビらせやがって…チビるところだったぜ」
あんたは俺が試合に負けたらチビるのかよ…。
「キミカ!次は例のガタイのいい日本人野郎だ!確実に仕留めろよ!」
マジで?
俺の脳裏にはラーメン屋で親子二人でラーメン食ってるイメージが強制的に流れるのだ。これで親父のほうを殺せとか非人道的過ぎて無理だぞ。
しぶしぶリングに上がる。
相手のほうもしぶしぶ、という雰囲気でリングに上った。
そして俺達の気持ちの整理を待たずしてゴングがなる。
軽いジャブを俺に撃ってくる。
本当に軽い…女の子のパンチか?
俺も俺でそれを真似るように軽いジャブを撃つ。あくまで戦ってますっていうのを観客やレフリーや丹波のオッサンにアピールする為の行為という感じで。でも、それに戦いのプロであるオッサンが気づかないはずはない。
「何やってんだ!本気で殴れ!手ぇ抜いてんじゃねーぞ!」
ったく…うるせーなぁ、また蹴りいれるぞ。
今度は俺だけじゃない相手に対してもヤジが飛ぶ。
「おい!お前が本気で殴らないからキミカも殺る気になれねぇだろうが!本気で殴れ!ここまで来て何手ぇ抜いてんだボケ!」
その時、一瞬だけ、目の前の敵が俺に向けて本気っぽいパンチを送って来たような気がした。だが、俺が避けようとするその前で止まる。寸止めされた。
「女の子は殴れないって事?」
俺は息を切らしながら言う。
「…」
無言だ。
これじゃ埒があかんぞ。
ノックアウトをうまくキめるか…しかし、アレはアレで結構危険だからなぁ、脳震盪程度で済めばいいんだけど、脳内出血させる可能性もある。
「おい!和馬殺した時みたいにやってみろ!!」
どっちの応援してんだよ、っていうぐらいに丹波は俺と戦っている相手のほうに向かって言う。和馬っていうのが丹波のオッサンの弟子だった男らしい。
丹波のオッサンはしつこく叫んでいる。
「それが人を殺した奴の顔か!いいか!人を殺した奴の顔ってのはな、こうやるんだよ!(なんか怖そうな顔)」
…何やってんだよ、このオッサン。
その時だった。
「うぉぉぉおぉぉぉぉ!!」
ラグビーのタックルのような突進で俺に向かってくる。
そのまま俺を倒してマウント姿勢になる。ただ、寝技は俺のほうが上手なはずだ。それを知ってる上でこれをやってるってことは…コイツ、やられに来たのか?自分が負けて終わりにしようとしてるのか?
マウント姿勢のまま俺を殴る。
殴る、フリだ。
ストレートパンチは俺の頬を掠めてリングに沈んだ。もちろん、俺の弾道計算からすれば、もう放ったその時からソイツのパンチは外れる事はわかってた。だから、そこしかとりあえず今のところチャンスは無いということもわかった。
俺が演技をするチャンスが。
俺は殴られたフリをして、そのまま気絶した、フリをした。
「…勝者!恭二!」
レフリーは今のをカウントしたようだ。当たるか当たらないかスレスレのきわどいパンチであたかも俺が殴られたように演じた。そして、ガタイのいい男こと『恭二』が、俺に勝利した。