141 ファイト・クラブ 6

その日は俺の出る試合は無かった。
その為か、ファイト・クラブのお客さんどもで俺の試合を期待していた連中はそのまま帰っちゃう人まで出てくる始末だ。どうやらここは賭けなくとも入場するだけで金を取られるらしいからな。金を取られた挙句にキミカの試合は無かったとなれば、待っている時間は苦痛だろう。
初めて俺以外の選手同士で殺り合っているシーンを見ることになった。
一人はタイ人っぽい顔付きで、やっぱりタイ人ならではの格闘技『キックボクシング』を用いて戦っている。もう一人は日本人の顔付き。体格は日本人離れしており、こちらは普通のボクシングだ。
観戦している俺の横にはいつのまにか丹波のオッサンがいる。
「次の相手だ。見ておけ」
と言う。
「どっちが次の相手?」
「両方だ」
総当り戦なのか?
「…それにしても、あのタイ人、アレもヤクザなの?」
「あれはヤクザ候補さ。日本に来て金欲しさにこういうところで暴れる。それでヤクザに気に入られるのを待って弟子として入るのさ。後はボディガードだとか鉄砲玉だとか、まぁそんなんで手足となって働く。アイツの仲間のタイ人がもうヤクザの下っ端として組に入ってるとか言ってたな。ソイツに手引きしてもらったんだろう。連中はハングリーだよ」
「へぇ〜…」
「お前も腕っ節がいいのを認められてヤクザの子分になれるかもしれねぇな。最初の試合ン時から俺ンとこにオファーが沢山来てるんだよ」
「子分になるわけないじゃん。子分にしてくれって言ってきてもお断りだよ」
「だろうな。断っといた」
勝負はタイ人のキックボクサーの勝ちだった。
日本人のガタイの良い方は途中からボコボコに蹴られ、最後はダンゴムシみたいになって結局タイ人はレフリーに止められてた。
「意外と…あの身体の大きいのが弱かったね」
「ま、アイツはダメだろうな。相手を傷つける事に躊躇するような奴は、こういうところは向いてねぇんじゃねーのか?」
あら、そうだったのか。
一方的にやられてたと思ったけど、殴るのを躊躇ってたわけね。
「じゃあ、なんでこういうところに来てるんだろ?」
「そりゃ、お前、金が目当てなのさ。出場するだけでも結構な額が貰えるし、勝てばそれなりに。もし相手方のほうが賭け金が多い場合はもっと沢山貰える」
「死ぬかもしれないのによくやるよ…ったく」
すると丹波のオッサンは俺の顔を見て「コイツ何言ってんの?」的な表情で、
「お前だってやってるじゃねぇか?金が目的じゃねーのか?」
というのだ。勘違いしてるな。それに金はお前が全部取っちゃっただろうが、ってツッコミを入れたくなったけれども、どうせヤクザの汚らしい金は欲しくはない。で、俺は丹波には、
「あたしはヤクザ相手に暴れたいからやってるだけ」
と答えた。
「はッ!面白い奴だな!」
試合は終わった。
会場を後にする俺。
帰りはラーメンでも食べて帰ろうかな。東京のラーメンは博多とかのに比べると醤油味がメインだと聞いているから、それがどれほどトンコツスープといい勝負が出来ているか、舌で確かめてみたいとは思っていたんだ。ほら、例のラーメン一郎って店の発祥も東京だっていうじゃないか。あんなに行列作って相当美味しい醤油ラーメンを出すんだろうな?
フラフラと新宿の繁華街を歩く。
一瞬、視界の端っこに俺の記憶の断片と同じものが映った。
さきほど見ていた試合に出ていた、ガタイの大きな日本人だ。ソイツは傷だらけアザだらけで、それに加えて身体じゅう絆創膏だらけだった。そんなのがフラフラと歩いてラーメン屋へと入っていくのだ。
「大丈夫なのかな?」
それについていく俺。
戦士の休息って奴を見てみたくなった。
ラーメン屋に入るとカウンター席とテーブル席が1つ。小さなラーメン屋で九州方面のラーメン特有のトンコツ臭は漂ってない。
さっきのガタイの良い日本人の男はテーブル席に座って、何故かその向かいに一緒に座っている男の子と話をしている。
二人がどんな話をしているのか聞いてみたくて俺はカウンター席に腰掛けて背中を向けて、ラーメンを注文する。…すると、すぐにラーメンは届いた。まるでレンジでチンしたぐらいの速さだ。
それをあまり音を立てずに啜りながら聞き耳を立てる。
「父ちゃん!試合どうだったの?!勝てた?!」
子供が言う。
父親だったのかよ…。
「ん?あ、あぁ。勝ったよ」
嘘ついてるし。
「すっげぇ!タイ人のキックボクサーだよね!滅茶苦茶攻撃速くなかった?!父ちゃん傷だらけになってんじゃん!」
少しは心配してやれよ、って思ったが、子供だからか今はそういう事に興味深々な年頃なんだろう。そして父親も変に気遣いをされたくないのだろう。
ぎこちない嘘を重ねていく。
「父ちゃんな、いつか優勝して、金貰って、借金返すからな」
「うん!」
そのガタイからのびた太い手で男の子の頭をガシガシと掴む。
と、その時だ。
一瞬、その男と子供との会話が止まる。
俺は嫌な予感がして、ちょっとそちらとチラ見してみる。
あぁ、やっぱり嫌な予感的中。ガタイのいい男は俺のほうに気づいたようだ。しかも俺の事を知っているっぽい。
突然立ち上がると俺の側に近寄ってきて、
「ちょっと、話、いいか?」
と言う。
子供には、
「誠太!お前はここで食ってろ」
と言う。
店の外まで連れ出される。
てっきり俺と試合以外で殺り合うのかと思ってファイティングポーズをキメてみるが、そうではないようだ。
深々と頭を下げて言うのだ。
「さっきの話は、子供には黙っててくれ…!」
「さ、さっきの話?」
「俺が嘘をついたことだ…」
「あ、あぁ。別にいいよ」
しばらくの無言。
俺は店に戻りたかったが、ガタイのいい男はまだ俺に何か話したいらしい。
「恥ずかしいシーンを見られちまったな」
「子供がいるとは思わなかったよ」
「まぁ、その、そういうわけなんだよ。結局、金欲しさに暴力振るってるって事だ。…その、えぇっと…お前はアレだな、丹波さんところの」
「あぁ。うん」
「今話題になってるもんな、凄い強いって」
「…」
しばらくまた無言。
とりあえず何か話そうかと俺は、
「あなたも、結構強いんじゃないの?」
と言う。
「俺は、どうだろうな…」
「本気出せばいいのに。丹波のオッサンが言ってたよ。相手の事を思って本気で殴りに行けてないだとか、そんな事…」
「そうか…」
丹波のオッサンの事は知ってるの?」
「ん?あぁ。うん」
なんだ?
上の空的な反応は。
そしてしばらくの無言。
その無言の空気を割ったのはガタイのいい男だ。
丹波のオッサンに弟子入りして、試合に出てた奴を、俺が殺したんだ」
空気が少しだけ凍った。
殺した?あぁ、試合でやっちまったって事か。
「それは…仕方ないんじゃないの?そういうもんなんだし」
「そりゃそうなんだけどな、あれから俺はどうしても本気で殴りにいけないんだよ。俺みたいな事情で試合に出てる奴だっているわけだから」
「それなら…試合に出なければいいじゃん」
ガタイのいい男は、白い息を吐きながら、少し苦笑いをしてから言う。
「もう戻れないんだよな。俺は」
鼻をすするような音。
苦笑いは涙を隠すためなのだろうか。
俺には白い息で泣いているのかどうかはわからなかった。
男は店の中へと戻っていった。