132 孤高のヒーロー 11

スカーレットと中国人強盗団による最後の襲撃。
それは土砂降りの雨の中だった。
俺が姿を表すとさっそうと中国人強盗団どもは散り散りになって逃げた。
そいつらが目的ではない俺はスカーレットの姿を探した。すると、ビルの上から散り散りに逃げ惑う部下の中国人どもを見ている奴を発見した。
すぐさま攻撃を仕掛ける俺。
「待ちなさい」
「待てと言われて待つバカがどこにいる!」
続けざまに攻撃を仕掛ける。
「今日はアンタと話がしたくて来たのよ」
「はぁ?前回もそんな事言ってたよね?」
「今回はそんな話じゃない。アンタがぼっちだとかそんな事はどうでもいいわ。前にアンタが話してた『自由』についてよ」
自由について?
何を言ってるんだこのオバハン。
「それがどうしたんだよ?」
「アンタが目指してるのは自由よね?」
「目指してるってわけでもないけど…」
「本当の自由はどこにあるのか、その答えをアンタは持ってるの?」
…何を言ってるんだコイツは…?
ふむ…。
本当の自由か。
確かに俺はそれについては言葉に明確には出さなかったが、考えている。ずっと。俺は小学、中学とぼっち街道をまっすぐに進んできた。
友達は『両手指で数えれる』ほど、とモノローグで語った事はあったが、あれは嘘かもしれない。本当は『両手指で数えれる』ほどの『知り合い』が居たということなのかもしれない…。
俺の中にある『集団欲求』は時折、『寂しさのようなもの』をあらわにして、必死にそれを埋めあわせようとしてきた。例えば、友達でもないのに『友達のフリをして周囲に溶け込んでいるように演じたり』友達でもないのに『クラスのイベントで無理にでも参加して、自分の必要性を周囲に謳ったり』
俺は寂しさなぞ最初から持ち合わせていなかった。
ただ、集団に溶け込めない『異常性』を持つ自分を露呈させたくなかった。
ただ、平凡に毎日を暮らしたかった。
それはとても息苦しかった。
生きているということは、こうも息苦しいものなのか。
生きているということは、集団の中に自分を溶けこませて、なじませて、理不尽を納得させて、隅のほうにわずかに溢れるクソのカスみたいな小さな幸せに、小さな満足をするものなのか。
いっそ、背中に翼を生やせて、飛び立っていきたい。
『そう願うのなら、そうすればいいんじゃないのか?』
『そう願うのなら、思うようにしてみればいいじゃないか?』
ある時、心の声がそう囁いた。
一人で入る喫茶店
一人で入るファミレス。
一人で入る焼肉屋
あぁ、そうか。
『こんな景色なんだ』
俺はいつも誰かと一緒にでなければまともに『自分の目』で景色を見ることもできなかったのだ、と、その時、気づいた。
世界はこうも美しいのに、ずっと周囲のことばかり、『周囲に見られる自分のことばかり』気にして、美しさに気づかないまま終わるところだった。
その時、世界が開けた。
まるでモノクロの色褪せた世界に、光が差しこむように。
今までクダラナイと思っていたものが輝いて見えた。
春の芽の初きや、夏の青々しく煩い空気や、秋の哀愁漂う薫りや、生命の途絶えた死の冬の残酷さ…それらに気づくことができた。しかし代わりに、俺は一般の人間が過ごすであろう青春のテンプレートを失った。
何かを得れば何かを失う。
RPGで最初に作る自らの分身にステータスを振る時、その限界値が定められているのと同じだ。戦士は魔法使いになれないし、魔法使いは戦士になれない。じゃあ魔法剣士は凄いのかと言われれば、戦士よりも剣術が弱くて、魔法使いよりも魔術が使いこなせない中途半端な存在だ。
俺はきっと最初はこの中途半端な存在だった。
自由を求める前の自分は、柵を超えて森の中へと足を踏み出そうとする羊だった。何が起きるかわからないし、自分で柵を超えたんだから何が起きても結局自分の責任だ。周囲の羊たちは『狼に喰われるぞ、馬鹿だろお前』と俺を罵る。しかし俺は進んだ。
自ら束縛を解き放って森へ進んだ俺を、周囲の羊たちは決して、もう一度柵の中へと入れようとはしなかった。より安全にするために…一度でも自分達と違う意見を言い放ったものは再び自分達の中へ入れない。
だが俺はそれでよかった。
寂しくはなかった。
もし再びあの羊たちの群れの中へ入れば、自分の意識はなくなり集団の意識へと溶けこんでしまう。安全かもしれないけど、そこに自由はない。それが自由だと教えられて偽りの自由を享受して喜ぶだけだ。もう自分の意識はないから、集団の意識が偽りの自由を『本物の自由』だと信じればそれは本物になる。
本物の自由がどこにあるのか?
そんな疑問が沸き立つことさえなかった。
けれど、問われれば今の俺ならいつでも答えることができたんだ。
柵を乗り越えた時、それは解っていた。
そう、本物の自由は…。
「本物の自由は…孤独の中にある」