119 遺作 6

そうこうしているうちにサヨコのアトリエらしき場所にたどり着いた。森の中にあるボロい平屋の家だった。
周囲は雑草だらけでトタンが雑草の侵入は防いでいる。もし森の中で一人でこの家に出くわしたのなら俺が廃墟マニアでもない限り、その場で回れ右して逃げ出すだろう。全力で逃げ出して家に帰ってから清めの塩を頭からかぶって翌日にでも神社にお祓いに行く。
「んしょ、ちょっと待ってね、今準備するから」
「準備ってお茶でも出してくれるの?」
「そうじゃなくて、描く準備だよ」
お客を家に招き入れてるのになんにもモテナシ無しかよ…。
うわぁ…きったない部屋だなぁ…。
平屋の面積のほとんどを占めるのはこの人のアトリエとして使っている部屋で、画家が使いそうな道具などがゴロゴロと転がっている。三脚だとか絵の具だとか筆だとか。ここでは生活はしてないんだろう。
不思議なのはこの部屋には「今まで描いていた」と思われる絵がひとつもないことだ。あのスケッチブックだけなのかな?
「今まで描いてた絵を見せてよ」
「ん?スケッチブックのこと?」
「いや、絵の具がちゃんと使われてる奴」
「あぁ、それは全部、大学に置いてきちゃった」
「へぇ〜…どんな絵なの?神様の絵?」
「うん。神様の絵だけどね、誰にも理解してもらえないの」
さっきのカラスの絵は意外とよかったけどな。親と子っていうのがちゃんと表されてて。
「よし!描くよォ!」
さっそく準備が出来たようだ。
って、ここで描くのかよ?
「何か背景的なものはないの?森の木々を背景にとか…」
「そんなものはいらないの!」
「ポーズとったほうがいいの?」
「いらない!座ってるだけでいいよ。あたしが描きたいのは神様だから!目に見えてるものを参考にして描くんじゃないの」
「あぁ、そう…」
俺はそこに備え付けられている粗末な椅子に腰を下ろした。
それから10分ぐらい経過したのだろうか。この家には時計が無いし俺のaiPhoneも電源が入らないので時間の概念がなくなってしまっているのだが、感覚的には10分だ。
描きながらサヨコは話始める。
「あたしね、山口に住んでる時にね、山の中で神様に出会ったんだ」
ほほぅ…山口県民でしたか。
「山の中なら動物沢山いるから神様そこら中にいるね」
「そういうんじゃなくて、今のキミカみたいな。わかる人にはわかるよ。他の動物はそれはそれで神様なんだけど、パワーの差っていうか、存在感の差っていうか、とにかく凄いの」
「熊にでも遭遇したの?」
「熊!そうだね!そんな感じ!」
「ふぅ〜ん…」
山口の山奥で熊に遭遇してよく無事に帰ってこれたな。
「それで家に帰ってから何枚も何枚もスケッチして、それを元に絵にしてきたよ。神様の絵」
「熊の絵?」
「んーん、違う。熊っぽいけど。そうじゃないの。神様の絵」
熊の絵なんだろうな。
下書きでもするものかと思ってたけど本来の画家っていうのは直接白い紙に向かって絵の具をぺたぺたと塗って一気に描いてしまうらしい。パレットと筆と油絵の具がちらっと見えた。
サヨコはさっきまでの笑顔ではなく少しだけ真面目な顔で言う。
「西洋の世界では神様は自分達民族の主義主張を守るためのものになっていったでしょう?多民族がやってきたら、多民族の神様を悪魔にして、『神々と悪魔』との戦いってしちゃったり。本当の神様って、何かの主義主張の為とか、特定の人達の正義の為とか、人を幸せにするためとか、そういうものじゃないと思うの…」
そりゃ「神」って一つの言葉しかないからじゃないかな。しょせん人間が勝手に定義した概念に過ぎないだろうし。
「キミカは、どっちなのかな?」
「へ?」
「何かの主義主張を守るとか、特定の正義を成すとか、誰かを幸せにしたいとか…そういう事が好き?」
突然の質問で俺は少し固まってしまった。
10秒ぐらい経ってから…。
「どうだろうかな〜…あたしは、ただ『生きてる』って感じだけどね。まぁ、この身体を手に入れる時にはテロリストへの復讐を誓った〜なんてテロップが下に流れるんじゃないかっていうほど燃えてたけど。今考えるとそれも一時的なものなのかな。こうしてる間にも人は産まれたり生きたり死んだりしてるわけじゃん。そこに何かの理由を求めたり決めつけたりとか、たかが人間がそんな大それた事をするなんて神様に失礼だとは思うけどね」
するとさっきまで真面目な…いや、『暗い顔』をしていたサヨコはぱっと明るい顔に変化して、
「さすが!あたしが認めた神様だけはあるね!」
と笑顔で言った。
「そうかな…どんな人間でも考えて考えあぐねて悟りを開いたらそんなところに行き着くような気がするけど」
俺は俺で自分の言葉で話したような気持ちになってはいるけど、世の思想家達の誰かが言った言葉をコピペしただけかもしれない。
「『どんな人間でも』っていうのは間違いだよ。殆どの人間はそんな事を考えずにそんな事を気づかずに一生を終えるんだよ」
何か思うところがあったのだろうか、サヨコの筆はしばらく止まって、じっと絵を見つめている。
それから、ぽそっと一言。
「キミカは変わらないでね」
そう言った。
「え?」
その意味を知りたくなって俺はサヨコの表情を見てみる。
すると頬を涙で濡らしながら、
「やっと、あたしが一番描きたかった絵が描けた。ありがとう」
そう言ったのだ。
気のせいか、サヨコのその顔も身体も、まばゆいばかりの光に包まれていた。そして気のせいか、その身体は透き通って後ろが見えていた。まるで…そうまるで…。
幽霊のような。
光が差し込んでいたこの部屋は何故か暗くなっていた。
窓から侵入するかのように生えていた雑草は既に窓の中へ入っている。部屋は…もう何年も誰も入ってないような廃墟だ。
サヨコは居なくなっていた。
「え?」
廃墟のソレだ。
誰かが勝手に侵入して部屋を荒らしたり窓ガラスを割ったり、好き放題したような形跡がある。
「ええええ?!」
俺は立ち上がって周囲を見渡すがサヨコの姿はどこにもない。
ヘリの音が聞こえる。
人の叫び声も。
窓に駆け寄るとヘリが見えた。それからロープウェイも。
「え?!ちょっ、戻った?!」
やばいやばい!!
ロープウェイの滑車の部分から小さな爆発が!!俺はグラビティコントロール全開で自らの身体を空に向けて『発射』した。