90 社畜達の沈黙 12

裁判は終わった。
面倒臭いけど、俺には一つやることが増えた。
一番借りを作りたくない人間に借りを作ってしまったからな…。
法廷を抜けてこの裁判の『逆転ホームラン』を放った投手に会いに行かなければならない。いくら俺が非コミュな男でもお礼も言えない人間にまで成り下がってはいないからさ。
「いやぁ助かりましたよ、あはは…」
と頭をポリポリと掻きながら俺はジライヤこと東条、及びその部下達が歩いているところに横からわざとらしくやってくる。
「ふんッ、やるべき事をしただけだ。貸し借りなどと思うな」
「いえいえ、一応言葉でのお礼はしなきゃと思って」
相変わらずのツンデレっぷりだな、いや、デレはないか。
相変わらずの「ツンっぷり」だな。
「それにしても貴様は何をしているのだ?こんなところで弁護士の真似事などを…」と突然、東条が言うから、周囲の部下達は驚いている。俺を弁護士だと思っていたんだからさ。
「ちょっとお手伝いをば…」
「ふんッ」
ジライヤ相変わらずのクールっぷりで、俺を振り切ると裁判所前に用意されていた軍の車の後部座席に部下と共に乗り込んだ。そしてあっちゅうまにどこかへと出発した。
さてと…お礼は終わった。
『キミカちゃん、どこ?』
とマコトの電脳通信。
『今裁判所の外だよ』
『あぁ、もしかして東条って人に挨拶に行ったの?っていうか、すごい逆転劇だったね…びっくりしちゃったよ、ボク…』
『あたしもビックリだよ…』
『あの人と知り合いなの?』
『うーんまぁ…軍関係の人だからね』
…裁判は勝ち、そして小森さんを含めて今までレイテックに勤めていた人達は全員、退職金プラス未払いの残業代などを手に入れる事ができた。退職金は何かって?
さっきもレイテック社長が言ってたとおりだ。
レイテックは存続できないのだ。
それが良かったのか、悪かったのか…わからない。でもまぁ、続いたとしてもこれから過労死を沢山出しながら続けるであろう会社が良いのかって言われたら答えはNoだ。
資本主義は確かに人々の生活レベルを向上させる起爆剤にはなってるとは思う。レイテック社長の言う会社の存続や、それによる社会の存続は100パーセント間違っていることではない。だけど、資本主義はあくまで起爆剤でしかない。起爆して爆発して、爆発し続ける事はできない。どこかで安定稼働させなければならない。
人は資本主義のために生きてるんじゃない。
生きるために資本主義という道を選択しただけ。
「生きるための資本主義」を守る為に死ぬのは間違っている。
例え資本主義が廃れても、それでも人は生きていかなければならない。食べて寝て、子供を産んで育てて、その営みは何主義だろうと続けなければならないんだ。
誰もがそれを望んでいる。
時には道を見失っている事もあるけど。
それが人の使命だから。
1週間。
それから1週間が経過した。
そんな落ち着いた時。
俺とマコト、それから小森さん、そして刑期を恩赦により減らしてもらい出所したハンニバルさんの4名は再会した。
小森さんの友達の墓の前で。
「藩丹原さんの声、届いたと思いますよ」
ふと小森さんが言う。
「そうか。それはどうかな…」
「だって藩丹原さんには社畜達の声が聞こえるじゃないですか。あの日どうして社長に噛み付いたのか、僕は聞きましたよ」
「…」
「高坂さんの親が亡くなられて、彼が葬式に行こうとしたのを社長に反対されたのを聞いて、それであなたが…」
「そんな事もあったな」
まるで遠い昔を思い出すように言うハンニバルさん。
誰かの為にと犯した罪なのか。
そんな事が出来る人間がこの世に居るなんて思わなかったよ。
身内でもない、ただの同僚の処遇に意義があるだけで刑務所に行こうとする人間なんてさ。
「だからきっと、声は届いたと思うんです。どんなに雑音にかき消されても、誰かに口を塞がれたとしても…。だから僕達は裁判に勝てたんです。僕達の声はちゃんと届いて『誰か』を動かした」
小森さんはそう言った。
そうだ…社畜達は沈黙していなかった。
俺もマコトもいつの間にか動かされた。
あのレイシストの集まりであるクソ掲示板の連中すらも動かした。
彼等の声は確かに俺達に届いたんだ。それが「声」だと認識できるものじゃなかったとしても、確かに、俺達に届いた。
そして小森さんは彼の友達の墓に線香を供えて、目を瞑った。
頬には涙が伝っていた。
藩丹原さんの頬にも同じくそれはあった。