90 社畜達の沈黙 9

参考人の席には原告である小森さんが立っている。
その周囲を神林弁護人がウロウロと歩きながら質問する。
一見すると落ち着きがないようにも見えるが、これは作戦だ。小森さんはその作戦にまんまとはまってしまい、ウロウロとする神林弁護人が気になって仕方がない様子だ。
「小森さん、あなたは未払いの残業代があると言われてますが。レイテック社の勤務管理データベースにはあなたは朝8:00に出勤し、夕方は毎日17:00に退勤している事になっています。これは…?」
一瞬ビクつく小森さん。
しかし、ここは打ち合わせどうりだ。キョドる必要はないよ、小森さん。そう来ることは想定の範囲内なんだ。
「上司にそう入力せよと言われました」
「証拠はありますか?」
「いえ…ありません。ただ、私の記憶ではそうです」
するとドヤ顔になる神林。
証拠のある・ないではこちらが不利だな…。
俺とマコトはリアルタイムで某巨大掲示板のクソスレを見ているから陪審員の反応は手に取るように判る。
<どうせ嘘だろ?>
謝罪と賠償を要求するニダ!!>
<これで金が貰えるなら俺も裁判起こすよ>
まぁ、ごもっともだな…。
「あなたの上司である高坂さんに『後で』質問してみるとしましょう。では、続きまして…法に反する…あなたが言うところの『非人道的な扱い』ですが、どのようなものでしょうか?」
小森さんは…押し黙った。
本当にえげつない奴だ。この神林弁護人という女は。
意図的に答えにくい質問をしてくる。これは小森さんがどういう反応を示すのか、それを陪審員に見せたいというだけなのだ。
小森さんはその質問に答える為に『非人道的な扱い』を今思い出しているのだと思う。それは怒りと悲しみと共に身体に拒否反応的なものを出させるには十分なものだったに違いない。トラウマなのだ。
普通に生活している人間でも過去にクソみたいな出来事があったら、それが再び繰り返されるのではないかと身体が感じ取った時に怯える。そんな事は起きないのだと論理的に証明できたとしても。
<何この沈黙wwww>
<早く言えよほら>
<上司のケツの穴でも舐めさせられたんじゃね?www>
<泣いてるじゃん、可哀想に>
「黙っていてはわかりませんが。口頭弁論で『あなたが』そう言われたのですよ?」
まくし立てるように言う。
これも弁護人である神林の手腕なのか。
感情を揺さぶらせて不利な発言をさせる。人間のクズは総じてそうだ。クズだから人間の弱い部分を突くのが上手い。ある意味それは尊敬に値するよ。俺も人間のクズ相手にはその手を使おうかな。
このプレッシャー…でも小森さんは沈黙の中で力を振り絞って、声を振り絞って、怒りと悲しみで震わせながら言った。
「土下座を強要されました…そして、頭を靴で踏まれ…、そしてビルの窓から飛び降りろと言われました…」
嗚咽混じりの発言だった。
これを言うだけでどれだけの精神力を使ったか、この弁護人にはわかんないだろうな…。今までそういう人間は山ほど見てきたんだろうし。そういう人間から企業の金を守るのがコイツの仕事だしな。
俺はふとチナツさんを見てみた。
彼女はずっと、ずーっと、被告であるレイテック社長を見つめていた。相手がそれに気付いて焦りながら目を逸らすが、それでも見つめるのをやめない。すげぇ…それも戦略か?
とりあえずネットを見てみよう…。
<マジかのか?>
<ってか、ちょっと前に企業の特集でやってたとこじゃない?>
<レイテックってブラック?>
<飛び降りろって、まず言った本人が手本見せろよ>
よし。
よしよし!きたぞ…世論が傾いてきた!
と、そこでこのクソ弁護人、神林が言う。
「演技がうまいですねぇ…」
なんだとこのクソ野郎…。
会場の、レイテック幹部連中のクスクスという笑い声がする。
「裁判長!」
お!チナツさんが何か言うぞ。
「栗林弁護人」
「そこの人間の屑は不利な発言を導こうと工作しているぞ」
おいおいおい!それは言いすぎだろう!
「法廷でそのような言葉は謹んでください」
冷静に裁判長が指摘する。チナツさんに…。
ネットの反応は…。
<wwww>
<ワロタww>
<なかなかおもろいな、この弁護士ww>
ウケてる…。
「レイテック代表取締役社長の川口さんは、このような事実は無かった、と言われています。ただ、社員の教育の為に過激な事を言うことはあったらしいですが…。あなたにとってビルの窓から飛び降りろ、というぐらいの過激なイメージを与えるようなセリフが川口社長から出ただけではありませんか?」
「確かに言われました!事実です!」
「原告はどうやら興奮しておられるようですね。確かに私も酷い事を言われた時はそれよりももっと酷い事を言われたと勝手に解釈して記憶してしまいます。そして相手にそれに相応しい復讐をしようとする。それが人間の心理というものです。陪審員の方々に一言言わせて貰います。人間の記憶とは曖昧という事です。会社での人間関係は時折円滑に行かない事もあります。それらの負のエネルギーは様々な形に変化します。この裁判もその一例…なのかもしれません」
それを最後にして被告側弁護人の質問は終了。
ネットでは「事実かどうか如何わしい」って結論となった。
クソ…そういう言い方されたらそうなるわな。でも俺は見たからな。今にもあの参考人席に『俺が』立ってクソ社長が足蹴にしていた奴は過労死してるよって叫びたいよ。
引き続いて、次の参考人の登場だった。
高坂、と呼ばれた小森の上司の男だ。
そして質問するのは我らが弁護人、チナツさんだ。
「貴様が高坂か。臭い臭いと思ってたら貴様が臭いの中心だったか」
「弁護人!今の質問は裁判とはなんら関係ありませんよ?」
うわぁ…さっそくチナツさんがやらかした。
「すまないな。何日も風呂に入っていない人間の臭いがしたものでな、ついつい『臭い』と言ってしまった」
ネット上の反応はよかったけど…。
<こいつはおもろいでwww>
<ウケるwww>
<笑いを取りにきたのか?www>
「原告である小森義隆の勤務管理を8:00出勤で17:00退勤と記入するように命令したのは貴様か?」
「そのような事実はありません」
「毎日毎日同じ時間を入力させるのならマクロでも組んで自動的に入力されるようにすればいいのではないか?」
「…」
「そういう効率化を考えないのは社畜の証だな。社畜の高坂よ」
「裁判長!!意義あり!!まったく審議に関係ありません!彼女の質問はまったく審議に関係ない!即刻この下らない質問を中断させてください!」と狂ったように言う神林弁護人。
裁判長が中止を言い渡そうとした時それをチナツさんが止める。
「関係はある。この裁判には社畜が大きく関連する。それを欠けば原告の訴えを全て真っ向から棄却している事にほかならないぞ裁判長。それで陪審員を納得させれるのか?」
強い口調でチナツさんが裁判長に言う。
「馬鹿げてる」と神林。
しかし裁判長はネットの動きもチェックしているようだ。
<ごもっともだな>
<原告の訴えを最初っから退けるのはクソ>
<お前らwww>
<在日がどうとか言ってた奴がいたけど>
意見は二分している。
「質問を続けてください」
裁判長はそう言い渡した。
「『弱いものは夕暮れ、さらに弱いものを叩く』というフレーズがある。貴様が生まれるよりもずっと前にあった曲の歌詞だ。社畜である貴様は自分よりも弱い立場にある小森をイジメる事で自分の存在意義を見出していたのではないか?」
「そのような事実は…ありません」
「いいのか?ここで嘘をつくと、あとが怖いぞ?」
「証拠は…あるんですか?」
これは事実なんだろう。俺には冷や汗が見えた。社畜の高坂の額から落ちる一筋の汗が見えた。
「高坂…証拠を出させたら終わりだぞ?」
チナツさんが何やらバッグから取り出そうとしている。
息を呑む高坂社畜
脅されてるのがわかってるのか?この高坂社畜は。裁判内で嘘をつくって事は陪審員により強いインパクトを与える事になるのに。
それがわかってるのか、目配せをしている神林弁護人。
そして、
「終わったな、高坂」
そう言ってチナツさんはテーブルの上に靴を置いた。
「こ、これは…お、俺の靴」
陪審員の方々、この靴は高坂社畜がレイテック社内で常に履いている靴だ。作業靴だな。そして、彼はこの靴で小森社畜の頭を踏みにじり…この靴を舐めさせた」
「で、でたらめだ!」
「私の方でそれが事実か調査した。そして、ビンゴだ、高坂」
「?!」
「この靴からは小森社畜の口から分泌された唾液が検出された。DNA鑑定を行った結果も添付しておこう。もちろん、頭皮の一部と髪の毛も検出された。証拠に必要な量以上に沢山検出できたぞ?日常的に足蹴にしていたようだな?」
ニヤリと笑うチナツさんの横で顔を覆って真っ青になっている高坂の姿があった。
俺も身震いを感じたよ。チナツさんの作戦の怖さを…。
高坂のような弱い立場の人間をイジメる者…。
こういう人間をネットは許さない。