90 社畜達の沈黙 5

俺とマコトは労働基準監督署の職員を全員土下座させた。
「あんた達が働かないから違法な労働条件下で働いて苦しんでいる労働者がいるんだよ?それを知ってるの?」
「私達もちゃんと…」
代表者らしき男が言う。
「ちゃんと、なに?どういう活動をしてるの?具体的に説明できるの?なんでレイテックみたいな企業が野放しになってるの?」
「そ、それは…その…私達が訪問した時には、特に、」
「訪問した時にィィ?そりゃ『今から行きます』って言って訪問したらちゃんと監査の準備してるよ。私達は普通の企業ですって言うよ」
「…」
「つまり、何も機能していない。労働基準監督署はぜーんぜん働いてないって事ね。よーくわかった。この事実はネットにばらまいておきましょう。こっぴどく絞られればいいよ」
「(そんな事はみんな知ってる…)」
嫌味のように小声で呟く職員。
「あ゛ぁ゛ん゛?」
俺は拳銃をそのクソ職員の額に突きつけながら言う。
「いえ…なんでも…ありません…」
「あんた達は今からレイテックに行きなさい。ちゃんと労働基準法を準拠しているか調べてきなさい!」
「しかし…レイテックへの通達はまだ…」
「だから!通達したら審査の意味が無いじゃん?突然行って突然調べなきゃ事実は全部隠されるんだよ!ほら!行った行った!」
クソ腰を重そうに持ち上げた連中はダラダラと準備をして事務所を後にしていた。それを見送って俺とマコトはタクシーを呼び、刑務所へと向かった。ハンニバルさんと再開するのだ。
…。
それから小一時間して刑務所に到着した。
「また彼にですか?」
さっきの看守とは違う別の看守だ。俺達が「ハンニバルに会いたい」と言うとそいつは訝しげな顔をしてからそう言ったのだ。
マコトと俺とその看守は冷たい廊下を歩いていった。
「彼の事が嫌いみたいですね。他の服役囚と違うんですか?」
と俺が聞く。
「奴はこの日本の税金を食い漁る蛆虫ですよ」
と少し語尾に怒りを込めてから言う看守。
なんだかちょっとムカつくな。
蛆虫にならなかったら彼は今頃あの会社で過労死していたかも知れないし、ひょっとすれば自殺していたかも知れないのに。
「あの人の事情を知っててそう言ってるんですか?」
とマコトが間に入ってくる。
熱い人だなマコトは。俺はただ看守の言葉を頭に受け止めた後、軽くスルーするしか出来なかったよ。
どうせ何も変えられないだろうって思って。
「あの人の事情ですか。あの人は日本人じゃあありませんよ。まぁ、正確に言えば半分だけは日本人でしょうかね。中国人と日本人のハーフ、そして日本国籍の無い人間です。だから犯罪を犯して刑務所で暮らすんですよ、働いても金が稼げないから」
意外な事実だった。
日本人じゃない?
それなら辻褄があう。
あの会社で働いていた社畜達は全員、日本人じゃない。
社長に頭を踏みつけられていた「彼」もそうだ。「働かない」っていう選択肢は無いと言っていた。これが意味するのは国籍を持っていないから生活保護が受けれないからだ。
だから働くしかない。
働かなければ生きていけないから。
働けなくなる事は死を意味する。
だからあのクソ社長に死ねと言われた時、彼は無意識にそれを悟って飛び降りようとしたんだ。「自分はダメな人間だ、だからこの会社では働けない。もし会社を辞めたら死ぬしかない。…だから死のう」と、悟って…。
ハンニバル。お前にお客さんだ」
看守は冷たくそう言い放つと俺達を鉄格子の中に案内した。
鉄格子の中には鉄格子がある。その鳥かごのような部屋にハンニバルは居た。厳重な警戒だった。
「どうして檻が二重なんですか?」
マコトが看守に聞く。
「危ないからですよ。コイツは噛み付いて耳を引き千切ってここに来たって話じゃないですか。だから2重の檻を用意しているし、厳重に見張っているんです」
「それだけで…?」
「それだけっていうのは?」
マコトは口を噤んだ。
それだけで…たったのそれだけの情報で厳重にしているって事だ。彼がどんな理由で上司に噛み付いたのか、それを全く知ろうとも知らず、たったそれだけの情報で厳重にしているって事に疑問を持ったマコトだったけど、口を噤んだ。
噛み付いた事は事実だった。
看守はそんな事実は知らない。
仮に知っていたとしても看守の中にある様々な偏見…外国人に対する偏見には立ち向かえないと、外国人であるマコトは気付いたからだ。そしてその「恐れ」が口を噤ませた。
ハンニバルは俺達が来る事を事前に知らされていたかのように、ニコニコと笑いながら檻の入り口に近寄ってきた。そして檻を握って、
「ようこそ、ミス・キミカ。そしてミス・マコト」
そう微笑んだ。
そして以下のように続けた。
社畜小屋の社会見学は終わったかな?」
俺とマコト、そしてハンニバルは檻ごしにゆっくりと歩きながら会話をする。彼のその質問は俺達を試しているかのようだった。
「見ました。明らかに違法行為ですね」
「違法行為?だとしたらどうする?」
「告訴します」
「それは無理な話だな。君達は警察官だ。警察官は労働基準監督員ではない…それは労働基準監督署の仕事だ」
「…」
…そして労働基準監督署も機能していなかった。
「あなたの話しも聞いたよ、ハンニバルさん」とマコト。
「社長の耳を噛み千切ろうとしたんだって?」と俺。
しかし、その質問を遮るようにハンニバルさんは言う。
「人は本当に辛いときは辛いとは言わない」
…?
「あの社畜達の事ですか?」
「ミス・キミカ。君はあそこで何を見てきた?」
「…社畜達がいじめられているところです」
「彼等は何か言っていたか?」
「いえ…」
「空気が支配している…声を上げようとするものはいない。全ての社畜達はただただ沈黙し…耐えている。彼等にとっての生とは『耐える』事だ。耐えられない時、彼等は社畜をやめる。それは生をやめる事でもある。違うかね?…ミス・キミカ」
それがタイムリミットのセリフだと気づくのに時間は掛からなかった。会社から逃げ出した『彼』がこの世からも逃げ出してしまう『タイムリミット』の。
「私達は逃げ出した彼を追わなければならないんです」
「それでどうする?捕まえて国家反逆罪で吊るすのかね?彼は軍の重要機密情報を持ちだして逃げているのだぞ?」
「彼の自殺を止めるだけです」
俺のその言葉に、ハンニバルは僅かだけど顔色を変えたような気がした。そして彼は続けて言う。
「彼の両親の家に行け。そこに答えがある」
俺の言葉を信用してくれた。
全部じゃないけど…ハンニバルさんは俺の言葉を信じてくれた。俺はそれに答える義務がある。