90 社畜達の沈黙 3

刑務所を後にした俺達はそのままタクシーで『社畜小屋』…つまりレイテックの事務所へと向かった。
ほんの小一時間でレイテック事務所に到着。
既にチナツから貰っている偽の身分証…警察手帳をかざす。するとやっぱり事件の話は聞いているのかそのレイテックの一社員である女性は顔色を変えて事務所内に入っていった。
ここで待っているのもなんだし事務所の中に入ってみようかな。
「入ろっか…外で待ってるのも寒いし」
マコトにそう言って二人してスタスタと事務所の中に入った。
「あれ…今日って…」
それがマコトが放った第一声だった。
「お休み…のはずなんだけど…」
と俺がそれに続けて言う。
そう、今日は土曜日。普通なら企業はお休みのはず。店舗のある企業はお休みを取らなくてもちゃんと交代で働かせる事で法的にも許されているがこういったオフィス仕事の店舗なし企業がお休みである土曜日に出てきているのは異常だし違法だ。
残業などをしているという風にも見えない。何故ならこのオフィスに机がある社員は全員が総出で仕事をしている。
全員、とても綺麗に整ったスーツを着ている。身だしなみはとても美しい…って言ったところなんだけど、その一人が俺のそばを通りかかった時に変な臭いがした。なんていうか…とにかく変な臭いだ。例えるのなら何日も風呂に入っていない人…が俺の知り合いに居たかどうかって言われると居ないけど、例えるのならそんな臭い。
「う〜ん…か、カブトムシの臭いがする」
か、カブトムシ…。
マコトのそのキーワードは結構クルものがある…。そうだ、カブトムシの臭いだよ。俺のその臭いと共に、彼等の髪の毛がまるでポマードを零してしまってどうしようもなく仕方なしに髪に拡げたみたいに「ベトベト」状態になっているのが目に飛び込んできた…。
もしかして…ここにいる人達って…。
何日も家に帰ってない?
と、その時だった。
俺は怒号を聞いた。
「ここから飛び降りろ!!!」
と、飛び降りろォォ?
声のしたほうに向かってみた。
すると、このフロアの会議室(お客様用に設けられたと思われる椅子が用意されている場所)の椅子を全て脇にどけて、そのフロアに土下座をさせられている人達の姿が目に飛び込んできた。
椅子があるのになんでこの人達地面に座ってるの?
もうそんな俺の疑問は無視してどんどん話は進んでいくんだ。その監督官らしき怒号を放った男は、震えて土下座している社員らしき男に向かってまた怒号を放つのだ。
「無理とはなんだ?!無理と思うから無理なんだろうが!!無理だと思っていてもそれを続けていけば無理じゃなくなる!!」
「飛び降りるなんて無理ですよぉぉぉ!!!」
そりゃ無理だ。無理に決まってるじゃん。
「お前がそんなに無理だと言うのなら、外国人を雇う!」
いや、飛び降りる仕事に誰が来るんだよ…。
と、その時だ。
(ぐぅぅうぅぅぅぅ…)
とお腹が鳴った。
鳴ったのは今叱られている社員。その社員のお腹が鳴った。
「腹が減ったのか?」
「はい…昨日から何も食べていなくて…」
その声は聞こえないようにしているのか、それともお腹が減り過ぎて力が出ないのか、かすれて消え去りそうな声だった。
しかし監督官らしき男をそれは怒らせるのに十分だったらしい。彼は社員のたったいまお腹ペコペコリンでグーグーと鳴らした男の頭を引っ掴むと地面に叩きつけて、
「いいかよく聞け!!その腐った頭に叩きこめ!!人間っていうのはな、食べなくても生きていけるんだよ!!!」
え…?
えーッ!!!
そうだったのか。それは初耳だ。
「24時間仕事の事だけを考えていればいい。人間っていうのはな『感動』を食べて生きていけるんだよ!!お前は仕事をしてうまくいった時の『感動』を味わったことはないのか?えぇ?!感動したらお腹は減らないんだよ!!!よーく覚えとけ!!」
むちゃくちゃな…どういう理屈だよ?
その監督官らしき男は、社員の男の髪を手放す。と、同時に崩れるように床に倒れる社員の男。見ればパラパラと髪の毛のようなものが床に落ちた。脂ぎっている髪の毛だからか、監督官の男はハンカチで念入りに自らの手を拭いていた。
その後、別の土下座していた社員に向かって激励?みたいなのを繰り返している監督官。激励を受けた社員は泣いたり怒ったりして見た目には青春ドラマの1シーンのようにも見えた。だけど、最初から最後まで見ている俺からすれば異常な空間にも映った。
その時だった、さっき監督官に髪の毛を引っこ抜かれそうになって床に這いつくばっていた社員の男が泣きながらフラフラと立ち上がって窓のほうに歩いて行くのだ。
俺は最初気分が悪いのだと思った。窓を開けて新鮮な空気でも吸おうと思っているのだと。でも違った…。窓をあけると同時に男はその窓に吸い込まれるように飛び込んだのだ。
「あッぶな!」
俺は慌ててグラビティコントロールを作動させて男の身体をこちらに引っ張りあげた。
間一髪。
もう少し落ちてたら俺の変身前のグラビティコントロールの影響範囲外だった。地面に真っ逆さまになって潰れたトマトみたいな真っ赤な花をアスファルトに咲かせるところだったよ。
と、そこで、さっき俺とマコトが話していた受付の女の子がその監督官らしき奴に向かって「社長」と言ったのだ。
「社長、警察の方が…はぁはぁ…おこしです」
それまで鬼のような形相をしていた社長と呼ばれた男は一瞬でその顔を引き攣らせて、そしてその後、明らかに作り笑顔と思われるニッコリとした顔になって俺に向かってから、
「ご用件はなんでしょうか?」
と言った。
「どういう事なんですか?今、その人、窓から飛び降り自殺を仕掛けていましたよ?」とマコトは俺が言おうと思っていた事を先に言った。それはマコトの正義感がやたら強い性格の現れかな。
「いえいえ、これは社員教育の一環なんですよ」
と朗らかな表情で答える社長。
社員教育ゥゥ?」と俺が言う。
それが社員協力なら俺がグラビティコントロールを効かせなかったらこの社員さんは地面で肉塊と化してるぞ?
「はい、社員教育です。彼が飛び降りようとしたのは、彼が私を慕っている事の現れです。普通の会社では飛び降りろと言われてもそれに従いません。自分の命が可愛いですからねぇ…しかし、私どもの会社では違います。社長に飛び降りろと言われれば飛び降りる、それが本来の社員のあり方です。本当に飛び降りてしまう前に止めるのですが、ちょっと今回のはアクシデントでしたねぇ」
ふむふむ…。実に教育のしっかりと行き届いた会社…なわけねーだろうが!アホか!飛び降りろって言われて飛び降りる社員なんていらんわ!!キチガイか!キチガイの会社か!!何がアクシデントだよ!
飛び降りてたら俺がお前を殺人罪で訴えてやるよ!
「ところで、お話というのはなんでしょうか?」
と言う社長。それに続いて、
「おい!お前たち!さっさとお客様にお茶をお出ししないか!椅子とテーブルもちゃんと元に戻せ!何をトロトロしてる?!」
と土下座している社員の頭を踏んでから言う。
気に入らねぇ…。
この社長、すっげぇ気に入らねぇ…。