72 自殺とデートとクラッカー 7

そろそろ夕方だった。
冷たい風が顔と髪を撫でていく。この時期の陽は落ちるのが早くなるな。太陽の光がないっていうだけで風はじつはこんなに冷たいものなんだと驚かされてしまう。
俺達は最後に観覧車に乗ることにした。
瀬戸内海の波を照らしていく陽は上下する波に合わせてキラキラと光を目の中に反射させてその姿は草原のように見えた。
ゆっくりと俺達を乗せたゴンドラは上空へと上がっていった。
そういえば最後は観覧車だったかな。
子供の頃の…。
「あたしが子供の頃に遊園地に来た時もこんな感じだったよ。最後は観覧車で、その時間帯になると夕方で瀬戸内海の綺麗な夕日の反射が見えた。それを記憶の中に焼き付けて帰ったよ」
窓のほうに手のひらをくっつけて俺は外を眺めながら言った。
この観覧車の揺れや匂いや室温だとかそういったものが俺の中の様々な記憶と結びついてデジャブを感じさせてくれる。
「いい家族を持って幸せじゃんか」
フォックスは少し皮肉交じりに言う。
「今はもう居ないよ。みんな死んだ」
皮肉を遮るように俺は言った。
「あ…。ご、ごめん」
そう。
俺の家族はテロに巻き込まれて焼け死んだ。
あの時から全てが変わったんだ。何もかもが変わった。住む場所も、友達も、家族も、名前も、性別も。
そして俺は相変わらず女子高生の姿だし…。
「別にいいよ。死んだのは事実だし、悔やんでもどうにもならないし…それに今のあたしは家族が居なくなってるのも含めて今のあたしだし。それがなければまたそれは別の世界の自分だし」
自分で言っててよくわかんなくなってくるな。
「強いんだね…」
「そう?」
フォックスの話を聞いていると今までずっと心に溜めてきた何かを吐き出したくなった。そしてそれを今やってみようと思ったんだ…自分の話をしたくなったんだ。
『自分語り』っていうのは適当な人間相手に出来るものじゃない。…かと言って信頼できるからとか、良い人だからとか、親だからという安易な理由でもできるものじゃない。
いくつもある『自分』の中の一つとたまたま価値観が一致した時だけ初めて扉を開けて相手に自分を語れるようになる。よほどのナルシストかかまってちゃんじゃない限り普通の人間はそうだ。だから大抵は過去を封印したままにしている。
俺はフォックスに何かしらの共通点を見出したのだろうか。それは俺自信でもわからない。
「親が死んだ時にあたしは一つだけ気付かされたよ。人はいつかは死ぬって。自分だっていつかは死ぬ。あたりまえだけどね」
「…」
「日曜日の夕方にどんなに憂鬱になったとしても、何もしなくても月曜日はやってくるし、土曜日にもあと1日で嫌な月曜日だって思うようになって、金曜日にもあと2日で嫌な月曜日だって思うようになって、木曜日にもあと3日で嫌な月曜日だって思うようになって…。これの繰り返し。そう考えたら自分が明日事故で死ぬ可能性にしたって考え方は同じ事だと思うよ。嫌な事は結局いつかはやってくるんだ。こっちが待とうが待つまいがさ」
そして俺は嘆息しながら言う。
「キリないよ。今がつらかったら昔の楽しい事を思い出して懐かしんで、今のつらさがもっとつらくなる。今が楽しくても昔のつらい事を思い出して、きっと昔みたいにつらい事になるんだって思って全然今が楽しくなくなる」
親が死んで親と俺の葬式が終わって、家も友達も家族も俺自信もめまぐるしく変わってしまって、息をつく暇も無かった時にも俺は一人、ケイスケの家を出てここに来た。
そしてただじっと海を眺めていた。
頭の中を整理したかったのだと思う。
頭の中の整理…それは、自分の立ち位置の整理だ。これからどうするのか、どうしたいのか…。
「…」
フォックスは黙って俺の話を聞いていた。
あの時の俺のように、観覧車のゴンドラの中から見える綺麗な瀬戸内海、夕日がキラキラと波を照らす瀬戸内海を見て、そして俺の言葉を聞いていた。
俺はあの時、一つの解を導き出した。
「人間は他の動物よりも賢いっていうけどそれは違うと思うな。賢いっていうのは色々考えてずっとつらい気持ちでいることなのかって、そう思う。…だから自分は賢い人間になる為に考えるのをやめようと思うよ。過去も未来も、嫌な事全部。両親が死んだ事も全部。それは過去を忘れる事じゃない。過去を考えるのをやめるって事。どんなに考えたって過去は変わらないし、忘れようと思ったところで忘れれるものじゃないしね…」
両親が居た頃の自分は今の俺の姿からしたら別人で別人の記憶だとも言えるかもしれない。だけどあれは紛れも無く俺の記憶で、その時の俺も今この中に生きている。
照れくさい言い方をしたらそれが『愛』なんだと思う。その愛って奴が俺を今も生かしてくれてるし、俺を手助けしてくれてるし、たぶん、誰かを助ける事にもなるんだろう。
「テロの巻き添えになって両親が死んで、本当ならあの時あたしも一緒に死んでいたけど今はある人のお陰で生きていられる。だから今の自分の命は自分のものであって自分のものじゃないの。あの時、あたしは必死に死にたくないって願った。こんな形で死ぬのは嫌だって願った。でも次にまた死ぬ時がやってくると思う。だからその時は『生まれてきてよかった』って思って死にたい」
フォックスは終始、無言で俺の話をじっと聞いているだけだった。