72 自殺とデートとクラッカー 3

「自殺って何?」
俺はフォックスというハンドルネームの男に聞く。
男は、自分の名前を北原明と名乗った。これは本名だろう。そしてフォックスはチナツの話に少しだけ耳を傾けて、その場を立ち去るのは諦めたようだった。
今は俺と並んで歩きながら話している。
「やっぱり人間も動物だからかな、今から死ぬって分かってると突然怖くなったりするものなんだ」
フォックスは俯いたまま、俺のほうは見ないで一見すると独り言でも言ってるかのように話している。
「俺は死に場所を求めてた。けれど途中でやっぱり怖くなってやめてしまう。それで考えだしたのはドロイドをハッキングして俺を殺すようにプログラムして、いつ襲ってくるかわからないようにする事だ。これならいつ自分が殺されるかわからないから、怖くはないし、それに途中で諦めてやめてしまうのを避けれるでしょ」
なんつぅサバイバルだよ…。
「いやいや、めちゃくちゃ怖いよ。普通はいつ死ぬかわからないとかそれ一番怖いから…」
ツッコミどころが多すぎるフォックスの話にとりあえず思いつく最初のツッコミを一つおば。
「そっかな、人間はいつ死ぬかわからないものじゃないのかな。例えば、ある日、隕石が落ちてきてそれに頭をぶつけて死ぬ人もいる。もしその人が生を望んでいたのなら可哀想だけど、死を望んでいたら?幸せなことじゃないかな?」
ん〜…死を望んでる人が普通に生活しているイメージが俺の脳裏に浮かぶよ。どっちかっていうと自殺志願者は死に場所を求めて生きているか死んでいるかわからない心境じゃないのかな。
「死を望むねぇ…どうしてそう思うのか理解に苦しむよ」
フォックスは俺のその反応に明らかな溜息をついて、
「大抵の人はそういう反応をする。自殺するような人を見て『自殺するぐらいなら何でも出来る。人間死ぬ気になれば何でも出来る』ってまくし立てる。頑張れ頑張れって、その言葉の一つ一つに責任を全然背負わないで、ただただ頑張れ頑張れって」
「そりゃぁ、とりあえずは死んで欲しくないからじゃないの?」
「『死ぬ気になれば何でも出来る』っていう人間は生に価値を見出しているからそう言えるんだよ。死ぬことが生よりも辛いからそう言えるんだ。本当に辛い時って辛さから逃げたいって思うのが人間の、いや動物の本能なんだ。もし生きてて辛いことばかりなら、生きてる事から逃げるのが本能じゃないのか?」
「そりゃ…そうだけどさ。生きてれば楽しいことがあるんじゃないのかな。つらい事ばかりって、それは言い方を変えれば考え方次第では楽しいことばかりって事にもなるし…」
「…」
「っていうのはダメ?」
「…もっと早くそれに気付いて、早く俺が俺を何とかしてればよかったけどね。もう手遅れだ。でも別に俺は悔いて無いよ。自分で自分の人生を終わらせる事ができる事も自由の一つじゃないか」
まぁ…確かに、自由に生きていく事が出来るのなら、自由に死ぬ事も出来るのが本当の意味での自由だけども、それはこの自由な社会では許されない事なんだよね。
フォックスはそれから身の上話をした。
誰にでもペラペラと話すような事は今までしなかったんだろう。話の一つ一つは慣れてなくて、分かりやすいように一度話したことをを別の言い方にして話したりもした。
フォックスの家庭は母子家庭だ。
今時珍しくもないシングルマザーの家庭だ。
この世に生を受けてほんの僅かな間だけ、母親はフォックスに愛を注いだ。けれどもそれは本当に、ほんの僅かな間だけだった。
離婚してからは母親は全てを憎んでいた。自分の境遇も、自分の人生も、別れた夫も、フォックスが自分の子供である事も。
俺はフォックスが自殺する理由には同意出来なかったけど、この世の全ての母親や父親が子供を大切にするというマスコミや著名な作家などがしきりに植えつけようとする馬鹿みたいな『親は凄いんだ論』には反対だった。この世には生きている数だけの人生があって、家族の数だけストーリーがあるからだ。
その中には不幸なストーリーもある。
問題を解決する時のまず第一歩は、問題がある事を認めること。
この世にはダメな親がいることを認めないと、ダメな親から子供を救うことは出来ない。けれど、大抵の人間はそんな事はしようとはしない。ある日突然、どこの誰のガキかわからないようなヒネたガキが家に現れて、今からそいつを育ててくださいなんて言われて見れば、余程のバカか溢れんばかりの愛を持ち合わせてる奴じゃなきゃ世話なんてしないだろう。
それでも誰かは自分の立場っていうものがあるから「可哀想ですね」「社会がなんとかしなきゃいけませんね」「政府は何をしているんだ」と大声を張り上げるが、いざ自分がそのヒネたガキを育てる事になれば、きっとヒネたガキをそもそも育ててた親よりも酷い仕打ちをそのガキにするだろう。
フォックスもそれと同じ境遇だった。
『ヒネたガキ』になれるならまだパワーがある。でもフォックスは親から受ける虐待と社会からの拒絶で、人の顔色を伺いながら生きていく手段をとった。その受身の人生は、心をズタズタに破壊して、ボロ雑巾のようになった彼はこの世の全てが信用できなくなって、かと言ってそれに怒りを顕にするわけでもなく、ただ、諦めと人生からの離脱を望んでいた。
「俺は哀れんで欲しいとか思ってるわけじゃないよ。ただ、キミが俺の自殺の理由を知りたいって言ってるから話しただけだよ。今まで誰にも話したことはないからね。親にも」
そう言って苦笑いをする。
いや、苦笑いじゃないんだな。作り笑いなんだ。
「自分はあなたのゴキゲンを取ろうとしてます」っていうのが明らかに相手に伝わってしまう…そういうのを作り笑いって呼ぶ。
「わかった。わかったよ…もういいや、その作り笑いもいらない」
俺はそう言った。
フォックスは俯いて、
「ごめん」
と一言。
「じゃあこうしよっか。デートしてあげるよ」
「え?」
「人生が楽しいものっていうのを知ってほしいからさ」
「い…いいの?その…キミって彼氏とかいるんでしょ?」
いやいや、いねぇよ…ホモかよ…。
「いない…けど…っていうか、べ、別にあんたが好きだからってデートするわけじゃないんだからね!」
何故かフォックスはクスッと笑った。