29 如月流心眼道と金剛流居合術 7

剣道の練習が終わって誰も居なくなった練習場に向かうと、さっきの男が一人座って俺を待っていた。
やっぱり違和感があるな。こんな不健康そうな人が武術をするのかな?
「自己紹介がまだだったね」
「あ、えっと、キミカです。藤崎紀美香」
「僕は金剛遊馬(アスマ)。アスマでいいよ」
「ええっと…アスマ…さん」
アスマは震える手でバンブーブレードを持つと、それを逆手に持ち替えて軽く振ってみる。
「僕は君がその男にどうして暴力を受けているのか、どうして君が警察にそれを言わないで自分の力で解決しようとしているのかは問わない。ただ、僕は自分の居合術を誰かに教えなきゃいけないなっていう気持ちに駆られてね。ちょっと精神修行にと剣道をやるような感じで僕の持っている居合術を習ってもらっては僕もいささか辛い。『金剛流居合術』は人を殺す為のものだ。…というのは言い過ぎだけれど、それなりに使ってもらわないと教える側も本気になれないしさ」
つまり、一子相伝とかいう奴かな?
「『逆手持ち』は実は最も攻撃と防御に優れた持ち方なんだ」
「ふむふむ」
「ただ、それは『フォーム』がそうであって、総合的に見ると剣道などには負ける。例えば剣道は両手で持つよね」
「うん」
「両手で持つのなら、両手分の力が刀に加わるから刀の斬りつける力は強い。それに刀を頭上に構えるので様々な攻撃に繋げる事ができる…けれども」
「けれども…?」
「防御は弱い。刀を上に持つって事は胴ががら空きだから。それから刀を上に持つことは上から攻撃しますって宣言するようなものだから動きも相手に読まれる。まぁ、確実には読めないけど。金剛流居合術は刀を逆手に持つ。この逆手持ちは刀を動かす動作が攻撃でもあり、防御でもある」
と言いながら、アスマは刀を動かして見せる。下から上へと。弧を描く様に陽の光に反射されて(バンブーだけど)動きは「身体を包み込む」という残像を描く。なるほど。攻撃でもあり、防御でもある、っていう意味が分かった。例えばその動きの最中に弾が飛んできたら、刀を攻撃と同じ動きで動かせば弾を防御できる。
「戦国時代に戦場で刀を使えば、それがどんなに切れ味がいい刀であっても刃こぼれして使い物にならなくなる。だから刀で『受け』るという文化は亡くならざるえなくなった。それが攻防に優れていたとしても、あくまで刃こぼれしない刀である前提だからね。金剛流居合術は純粋に攻防を追求したもの。刃こぼれしない刀…切れ味が永久に変わらない刀がこの世に存在しているのなら、それを使いこなすのに逆手持ちはもっとも優れた持ち方で、それを主体とする金剛流居合術は優れた居合術なんだ」
「ふむふむ〜…でも刃こぼれしない刀って…」
「無いよ。『戦国時代には』ね」
「今は…あるっていう事?」
「そう。ヴァイブロブレード…ハーモニクスブレードとも言われる。刀は超高速で振動しその振動で分子間結合を切断する。軍ではさらにそれを改良したレーザーブレード、アームブレードなどとも言われてるものもある。銃弾も弾き鉄も…衝撃波すらも斬る刀だよ」
さっきは弱々しく見えていたのに今のアスマは身体から闘志みたいなのが溢れている。これが殺気とかいうのの元になるものなのかな。武道家が持つ独特の気。技の前には気がある…って海堂先輩も言っていた。相手を殺せるだけの力があるのと、相手を殺すだけの気持ちがあるのとは後者のほうが強い。武道は精神修行の一面もあるから相手を殺す気持ちを持つ事も武道の中にはあるはずなんだ。けれどスポーツ化した武道からはそれは排除されている。本来なら、最も根幹になければならない気持ち。
「どうする?会得してみるかい?」
会得…。こんな言葉に変えているけど、さっきからアスマが発している殺気みたいなのは「殺してみるかい?」と言い換えてもいいぐらいの気迫にも受け取れる。つまり相手を殺す覚悟があるのなら、会得するか?って問うているんだ。答えは分かっているよな、俺。
相手に殺されるかも知れない戦場で紛いなりにも正義をかざす人間ならば、相手を殺す覚悟でもいるって事だよ。そう。答えは一つしかない。
「もちろん」