終末論シリーズを私なりに解釈してみました - 4 - 「ハロー、プラネット」

人や生物が居なくなった世界。そこにいるのはいつしか壊れるのを待つだけのアンドロイドやロボットばかりでした。そして、今回の主人公も前回と同様に人そんな機械の中の一つでした。
この歌詞中には「オハヨーハヨー」という挨拶ともとれるものがありますが、これは挨拶ではなく、理解する・受け入れるというニュアンスの意味を込めた言葉だと思います。

ハロー、プラネット

D
人も動物も植物も、全てが滅んでしまった世界
そんな絶望に包まれた世界で奇跡が起きる

シェルターのおと ひとりめがさめた 
ピピピピ とくにいじょうないようだ
ポストのなかは きっとカラッポだ
うえきばちのめ きょうもでてこないや
やさしい あおぞら おっこちて
しずか しずかな ほしになる

人類が滅んでからしばらくした世界で、シェルターの中でアンドロイドが起動した。彼女はそのシェルターで彼女の主人である『キミ』の命令でシェルターの維持をしていた。
そして植木鉢の芽を観察する事も命令の一つだった。
彼女はこの世界が何らかの理由で終わりを告げた事を知っている。だからポストに誰かから何かが届いている事なども今までも無かったし、これからもないと思っていた。

つなぐつながる ユメとメトロジカ
まわるまわるよ ミチのエントロピカ
エスか ノーか フシギのコトバニカ
マエか ウシロか すすめテクノポリカ
"まるばつ さかだち おつきさま"
キミをキミを さがしにいきたいの
たのしいはなし もっとしたいの したいの

ふと、彼女は今の世界に興味を持つ。それはアンドロイドである彼女に『好奇心』が現れるという、本来ならありえない事であった。
彼女は自分をシェルター内のネットワークに接続してデータを閲覧する。(知識がない状態から世界を見る為、ちょっと人間には理解しがたい歌詞になっている)
そして、その好奇心は居なくなった主人である『キミ』にも向けられた。
『キミ』に会いたい。
会って話がしたいと願う。

ヒトリボッチのベッドに オハヨーハヨー
シーラカンスのシッポに オハヨーハヨー
スフィンクスのナゾナゾに オハヨーハヨー
メモリのなかのキミに オハヨーハヨー

彼女はシェルターから出て世界を見る。
初めて見る世界なので先ほどネットワークからデータを閲覧したばかりの彼女にはまだ概念がわからない。なので、別の言葉にして表現してしまっている。例えばシーラカンス=化石=古い文明の名残…古い文明の残骸。スフィンクスのなぞなぞは答えが人間、つまり人間の死体が転がっている。そして先ほど参照したデータの中にある『キミ』も見つける。

たいせつなモノ たくさんあるけれど
いまはこれだけ もっていればいい
キミがさいごに おしえてくれたモノ
うえきばちのめ きょうもでてこないや

『キミ』は最後に彼女に『植木鉢』を育てて欲しいと教えた。そこから芽が出てくるはずだと。
木の芽の発芽は周囲の環境が発芽に適したものかを判断して行われる。つまり、木の芽が出てくる事は星の環境が元に戻っているかを判断する狙いがある。

"ガレキの あめだま ふってきた"
プラスチックでできたカサ さそうよ
ココロ サビついて しまわぬように

様々な困難が彼女に襲いかかる。
滅びた文明を見ているうちに、自分と同じようなロボット・アンドロイドが錆びついて転がっているのも見てきた。プラスチックで出来た傘は彼女の身体をまもるが、何より守らなければならないのは彼女の意思だった。
「もうダメだ。諦めよう」と思ってしまわないように。
あの錆びついたロボット達のようにならないように。

ヒナタボッコのてんしに オハヨーハヨー
ミズタマダンスのそらに オハヨーハヨー
マーマレードのだいちに オハヨーハヨー
メモリのなかのキミは オハヨーハヨー

シェルターで記憶したデータと似たようなものを世界で見かけた。けれども、それはどれも、元あったような形ではなかった。
不安、そして絶望が彼女を襲う。
メモリの中の『キミ』も彼女を励ますが、そんな言葉も次第に届かなくなる。
それほどに大きくなっていく不安。

♪♪♪♪♪...

旅を続けていくうちに彼女の身体は次第にボロボロになっていく。そんな自分を励まそうと彼女は本来の彼女の機能である『歌』を歌う。
歌を歌って自分を励ます。

しずかに ねむる きみをみた
ポタリ ポタリ オトをたててシズク
どうして かなしいよ
こんなに コンナニ   コ ン ナ  ニ ....

ようやく目的の場所についた。
けれどもそこにあったのは『キミ』の墓だった。
深い絶望と悲しみが彼女を襲う。
ぽたぽたと涙が溢れる。
ロボットであるはずの彼女は、何故かずっと人の様に、不安になったり絶望を感じたり、勇気づけたり、悲しくて涙を流したりしていた。
それは奇跡だった。
奇跡は彼女が好奇心を持って外の世界にでた時から既に始まっていたのだった。

チキュウぼっこのラブに オハヨーハヨー
あさとひるとよるに オハヨーハヨー
ウチュウギンガのリズムに オハヨーハヨー
アダムとイブのあいだに オハヨーハヨー
あいたかったの"キミ"に オハヨーハヨー
うまれたばかりの"キミ"に オハヨーハヨー…

地球という存在を受け入れ、
時間という存在を受け入れ、
宇宙という存在を受け入れて、
万物の創世を受け入れた。
彼女は人と同じように、魂が宿っていた。
それは人と同じ様に天へと昇っていったのだ。
そして、ついに会いたかった「キミ」へと会うことが出来た。
滅んでしまった惑星ではあの植木鉢から木の芽が出ていた。

あとがき

最後に、歌詞にはありませんが、メールがシェルターに届きます。これは「しゅうまつがやってくる!」の主人公からの手紙だとされています。
「キミとキミの愛する人を大切に」
あの時、アンドロイドが外の世界に興味を持たなければ、鉢植えは太陽の光を浴びることなく、木の芽はずっと出ないままだったかも知れません。
…ひょっとしたら、少女の願いが心も魂もなかったロボットに宿ったのかもしれませんね。